1章 拾漆ノ夜 地獄の果てまで許さない
「加島ぁ…………！ お前何でこんなとこおんねや！」
「いやあ、神童はんに『君の仕事は下賀茂神社にあります』とか言われて嫌々様子見に来たんやけどな。来てみたらビックリや。人払いの結界張ってあるし、アンタに近づいたら、ごっつ気色悪い陰の気プンプンさせとるし。アンタ自分が何してんのかわかってんの？ 人造怪魔使って、しかもそれを人にけしかけるとか普通に査問モンやで」
「また神童か！ ホンマ毎回毎回余計な事しやがって…………ッ！」
ここまでずっと気味の悪い、厭らしい笑みを崩さなかった北神宗次の顔が悪鬼の如く歪んだ。
そこに在るのはもはやただ純粋な悪意だけで。
だからこそ私は改めて決意する事が出来た。
「加島特級、彩乃姉ぇ」
「さ、咲良？！」
「コイツだけは……コイツだけは私が止める。北神本家の娘として。一人の人間として」
元々そんなつもりは無かったし、この男が最低の人間だって事位元々わかっていた。
だけど、この男にだけはやらせない。
コイツが人造怪魔を使役している事も、あの謎の金属板の事も気になるけど。でもそんな事、この際どうでもいい。
こんな男に店主さんは消させたりしない。
「だから二人とも。私とコイツの戦いに手を出さないでください。お願いします」
私は西薗彩乃と加島特級に向き直って頭を下げた。
「エエよ」
「加島様？！ いくらなんでも危険すぎますわ！ もはや北神宗次は重罪人。わたくし達が介入したところで問題は――――」
「あのな、西薗はん。そういう事ちゃうねん。ワイは今回の話、あんま聞いとらんさかい偉そうな事言えへんけどな。この戦いはもうあの子モンやねん。もはや、ワイにもアンタにも介入できへん、あの子がプライドかけて勝ち取らなあかん勝利やねん。そんな戦いにワイらが手ぇ出すんはアカン話や」
極めて軽い口調で話す加島特級だったけど、今の私にはその方が有難い。
一方で西薗彩乃は珍しく取り乱して加島特級に詰め寄っていた。
「では貴方様は、咲良を見捨てろと仰るの？！」
「そうは言うとらんがな。ホンマに危なかったら手ぇ出す気ではおるし、ワイもあのボケ取っ捕まえなアカンしな。せやけど、その前にワイらにも仕事あるやろ」
加島特級に掴みかからんばかりに近寄っていた西薗彩乃は、そこで周りを見渡し、一つ溜め息を吐いた。
そして納得したように怪魔を睨んで。
「……この人造怪魔共――――【三頭餓鬼狼(ケルベロス)】ですわね」
そう言った。
「せや。このワン公片付けんかったら、南条君の彼女さんも安心して戦えんやろ」
「は？ 咲良が南条一哉の彼女？ 変な事言っていると、ぶっ殺しますわよ？」
「なんや自分、相変わらずの南条君嫌いかいな。難儀なやっちゃな」
西薗彩乃の相変わらずな発言に、加島特級だけじゃなくて、私も思わず苦笑してしまった。
人造怪魔に囲まれたこの状況でこんな漫才みたいなやり取りができるんだから、やっぱり特級はレベルが違うわね。
人造怪魔【三頭餓鬼狼(ケルベロス)】の対処を自ら引き受けてくれた二人に内心感謝しつつ、私は再度北神宗次を睨み付けた。
「嘗めた口利いてくれるやないか、咲良。所詮一級でしかないお前が、このボクに一騎討ちでやって勝てんのか、試してみぃや」
「言われなくてもそうするわよ。そして絶対に私が勝つ」
「クハハハ……ッ！！ 高々一回ボクの術を破ったくらいで調子乗んなや」
私の背後では既に二人が怪魔との戦闘を始めている。
特級鬼闘師が二人もいるのだから、それ程時間もかからずにかたがつくだろう。
問題はこの男だ。
右手に持つ黄土色の金属板は未だに禍々しい陰の気を放っている。この金属板が何なのか、一体どこから入手した物なのかはわからない。
だけど、あの時法具も無しに『除魔の舞』を遣ったのはコレがあったから。根拠は無いけど、直感的にそう思う。
私達は鬼闘師と違って霊体そのものを相手にする。だから、魂や精神に作用する霊術を多く使用するのだけれど、これらは受けてしまえば致命的な隙を晒す事になる場合が多い。丁度さっきの私みたいに。
ゆえに、相手の出方を見るといった立ち回りを取らずに先手先手で手を打っていくのが、私達祈祷師の基本スタイルだ。それなのに、法具無しで霊術を遣えるなんて、楽器無しで演奏しているようなものだ。手を読めるわけがない。
「…………ッ」
戦う前から気圧されてどうするのよ、私。
私は自分に与えられた状況を確認する。
残存の霊力量は4割前後ぐらい。4回しか霊術を遣ってないのにこの減り方は、明らかに遅延起動のせいね…………。
次に今すぐ遣える霊術は一つもない。『滅魔の陣』は私がさっきのたうち回ってる時に陣を壊してしまった。遅延起動用のストック霊術はさっきの『風槍閃』一つを保持しておくので精一杯で一つも残っていない。というより、系統の違う祈祷師の霊術と鬼闘師の霊術を同時に起動する事は出来ないから、当たり前と言えば当たり前なんだけど…………。
そして結界法陣形成用の霊具が幾つかと、「爆符」の呪符が2枚。
ハッキリ言って、普通なら勝ち目は薄い。
二人には見栄を張ったけど、手持ちの駒が少なすぎる。
でも今の私には――――
「『爆符』――――っ！」
私は必要も無いのに呪符の種類を宣言した上で、北神宗次の足元目掛けて飛ばす。
「こんなもん当たるか！」
そして彼は私の狙い通りに後ろに跳んで躱す。
この霊具はダメージを与える為に遣ったものじゃない。それが狙いなら、他にやり様は幾らでもあるから。その為に残り少ない霊具を使ったりはしない。
私はもう一枚「爆符」の呪符を足元めがけて飛ばした。
当然、二枚目も避けられる。
だけど、充分過ぎるほどに目的は達せられた。錫杖を失った今、音で霊術にかけられる事は考慮しなくても良い筈だ。ならば距離を取っていれば、北神宗次の精神干渉を防げる。
そしてそれ以上に、時間を稼げる――！
《幾多なる息吹よ その欠片集わせ…………》
「ちいっ！ さっきの火花は言霊詠唱の為の――――ッ！」
「今さら気付いても遅いのよ！ 『樹縛鞭』！」
私は左手に握った洋扇子を振り切り、近くの樹に霊術を作用させる。同時に、樹がみるみるうちに変形しつつ北神宗次へと向かった。
『樹縛鞭』はその名の通り、植物を変形させて鞭の様にして敵を縛り上げる霊術。しかも、植物という生命を変形させているがゆえに、『除魔の舞』や『滅魔の陣』による霊術無効化が効かないという稀有な術でもある。私が遣える数少ない鬼闘師の霊術の一つ。
それはつまり、祈祷師と対峙するのにこれ以上無い程に最適な霊術というわけで。
「ぬあぁっ…………？！ 咲良、お前！」
あまりにも呆気なく北神宗次は縛り上げられる。
金属板を掲げようとする直前で全身を固定し、さらに私はダメ押しとして、残り全ての霊具を北神宗次の周囲に撒いて結界法陣を造る。
「『滅魔の陣』――――！」
霊術の発動と共に白い光が球状に現れて私達を呑み込んでいく。相手は法具無しで霊術を遣えるのだから、油断するわけにはいかない。ゆえに私の取った選択は、結界領域内の霊的現象を無に帰す法陣で拘束した北神宗次を包囲する事だった。
これでこの男は何も出来ない！
身体の動きも、霊術も封じたんだから！
しかも、そこに丁度そのタイミングで。
「咲良、こちらは片付きましたわ」
「こっちもやで。はぁ〜、やれやれ。ワン公の散歩も骨折れるっちゅうもんやな！」
北神宗次が呼び出した人造怪魔【三頭餓鬼狼(ケルベロス)】を全て倒しきった二人が私の方に近づいてくる。
これで全てが終わった。
北神宗次は全ての手管をへし折られ、拘束されている。
人造怪魔の所持・使役の件で、二度と祈祷師にも復帰できず、今までこの男を守っていた超法規的権限も消滅する。
「後はさっきの変な板を回収するだけね」
北神宗次があまりにもアッサリ捕まるものだから、結局詳細は不明のままだけど、かなり危険な代物には違いない。そもそも祈祷師が、あんな陰の気にまみれた物品――いわゆる呪いのアイテムの類――を肌身離さず持っていることの方がおかしいのだから。
でもその前に。
「アンタ、さっきの金属板。アレは何なの？」
私は『樹縛鞭』の木の縄で拘束されている北神宗次に問う。
「…………」
「答えなさい！！」
「何でお前に答えなアカンねん」
「コイツ…………ッ！」
コイツ、ホントにムカつくわね！
素直に答える気は無いだろうとは思ってたけど、実際に反抗的な態度を取られると、物凄く腹立つわ。
「ショージキに答えた方がエエんちゃう、北神はん？ なんやったら、西薗はんに身体の先からじっっっっくり溶ける毒出してもろて、それ盛ってもエエんやで？」
「ちょ…………っ！ 勝手に人の霊術を拷問道具みたいに言わないでくださいます？！ わたくし、そんなえげつない『魂毒』作った事もありませんわよ！」
「えぇ〜、そうなん？ アンタ、『刺毒の令嬢』いうんやから、そん位えげつないもんやと思っとったわ」
「はぁ？！ 貴方様こそ、『狂気のおもてなし』って何ですの？ 狂うのか、もてなすのかどっちかにして頂けませんこと？」
「ワイが付けた名前ちゃうっちゅうねん！ 文句なら他の奴に言うてくれや」
「それなら、わたくしだって同じですわ！！」
アンタらは尋問するのか、喧嘩するのかどっちかにしなさいよ…………。
後ろの賑やかし要員は置いておいて、私は再び北神宗次に向かい合った。やっぱりどうしてもあの板の事が気になったから。それが何故だかはわからないけど。
「もう一度聞くわ。あの板は何？ あんな明らかにヤバそうなもの、どこから手に入れたのよ」
「何べんも言わせんな。何でお前に教えなアカンねん」
だけど、相変わらず北神宗次は口を割る気配が無い。
そして残念な事に私には尋問のスキルもないし、口を割らせるような話術もない。拷問は――――多分、私の方が先に参っちゃうわね。
そうなると私にできるのは、現状正体不明の金属板を取り上げて解析する事だけ。どうせ取り上げるのだから、過程は一緒でも結果は同じだろうから。
「強情なヤツね。いい加減観念しなさいよ」
「黙れ、本家のクソガキが」
私は口の減らないクズっぷりに業を煮やして、金属板を取り上げようと北神宗次の握り締める金属板を引き抜こうとした。
そしてそれは、あまりにも浅ましくて醜い罠だった。
「その身体、ボクに寄越せ！」
「――――？！」
私が金属板に触れた途端、再び金属板から禍々しい光が放たれ、同時に私の身体に大量の陰の気が流れ込んでくる。
「『侵蝕合心(しんしょくがっしん)の念』――――！」
「く…………ッ！ 何よ…………これ…………ッ！」
起動霊術の宣言と同時に私の中に途轍もなく気持ちの悪い何かが入り込んだ様な感覚がして、私の視界がダブり始める。
一つは当然だけど、私の視界。再び厭らしい嗤い顔を、いや、どこか勝ち誇ったかのような狂気的な顔の北神宗次が映っている。
そしてもう一つは――――
「私…………ッ？！ わたし…………自身が……見えてる！」
私の視界にうっすらと重なる様に見えているのは、苦悶の表情を浮かべる私と、私の後ろで半分パニックになっている西薗彩乃の姿。
しかもその像はほんの少しずつ濃くなってきて、私の視界が少しずつ薄くなってきている。
「アンタ……ッ………………私に何したのよ？！」
私は、私の中で暴れる大量の陰の気と何かに抗いながら、必死に叫んだ。
多分、この状態もそう長くは続かない。私の霊力、陽の気が尽きたら、私の中を入り込んだ何かが埋め尽くしてしまう。そしてそうなってしまったら、恐らく今度こそ私が私でなくなってしまう。
そんな気がする。もはや猶予など残されていない。
「まさか『禍ツ神』を使う事すらできずにボクが追い込まれるとは思いもせんかったわ。案外本家の血も侮れへんもんやなぁ。なあ、咲良」
「『禍ツ神』…………っ？ それが……あの金属板の……名前…………っ！」
思いがけずその名を聞き出す事は出来たけれど。
そんな情報、今のこの状況では何の役にも立たない。
今私に必要なのは、私の身に何が起きているのか把握する事――――！
「アンタ、この『滅魔の陣』の中で…………どうして霊術を…………！」
「まだまだ青いなあ咲良。『滅魔の陣』は『除魔の舞』と効果は似とるけど、その本質は全く違う。『滅魔の陣』は効果範囲内の霊術を構成する気を散らす術や。術が散らされるから、結果的に霊術が無効化されとる様に見える。せやけど…………もしその気を散らす効果に強引に介入したったら、どうなる？」
「それが…………あの板の力……？！」
「それだけちゃうけどな、『禍ツ神』の力は」
何か。何かを掴めそうな気がする。
だけど、状況は待ってくれない。
北神宗次の持つ金属板の禍々しき輝きが益々強くなる。
「それだけじゃ……ない…………？！ あああぁぁぁっ！！ 私の中の……何かが…………？！」
それと同時に、私の中で暴れる大量の陰の気と何かが私の中で爆発的に膨れ上がる。
私はもはや私が私である事を意識しているのが精一杯で、またしても動けなくなってしまう。
そして私の視界とダブる謎の視界の像がより鮮明になって来て。
でも不思議な事に、聞こえる声だけはクリアで。
「貴方、咲良に何をしましたの？！」
私の後ろに居る西薗彩乃が法具を構えて今にも飛び掛かろうとしているところを、私はなぜか3人称の視点で見ている。
その意味を。
今の私は考えられない。
考えろ、考えなさいよ、私！
この視界の意味を！
理解しなければ、自分に取れる手段だって見つかる訳無い！！
ダブった視界の意味を！
この状況でもクリアに聞こえる音の意味を！！
「おっと加島に彩乃ぉ？ 下手な真似せん方がエエで。咲良を殺したないんやったらなぁ」
「な……っ！ どういう…………事ですの？！」
「ハハハハハハハハハ！ どういう事か確かめたかったら、かかって来ればエエやろ！！」
私の耳に入ってくるのは、焦った西薗彩乃の声と、不愉快な変態ロリコン男の声。
視界に映るのは悔し気に唇を噛む西薗彩乃と、そんな彼女を抑える加島特級。
そして虚ろな眼をしてブツブツと何かを呟く私自身。
もはや薄らとしか見えない、元々の私の視界。その中で北神宗次は狂った様に笑っていて。
この状況の意味が理解できそうで出来ない。
私の中の私がどんどん薄くなってきて、それを食い止めるので精一杯だ。
そして私の霊力はもう限界まで来ていて――――
私の中の何者かが囁く。
その何者かは汚らわしく、途轍もない嫌悪感を抱かせる何かで。
そんな存在が私の魂に嘯く。
諦めて身体を明け渡せと。
この視界の意味を理解する為のヒントは唐突に与えられた。
「「咲良はどうなっても知らんけどなあ！！」」
私の耳に言葉が入る。
北神宗次、そして私自身から全く同時に発せられた全く同じ言葉が。
二つの視界の意味。私が私自身を三人称の視点で見ている理由。
私の意識は薄くなってきているのに、声だけはクリアに聞こえ続けるわけ。
シンクロしているかの様に全く同時に発せられた全く同じ言葉。
そして、私の中で存在を主張する醜悪な何者か。
それらが意味するのは。
「アンタ…………何勝手に私の中に入ってくれてんのよ？！」
その意味が理解できた時、私は私の中に上書きされつつある北神宗次に僅かに対抗できるだけの力を取り戻していた。
「なっ？！ 咲良、お前まだ自分の意識が――――！」
「当然……よ……っ！ 私の魂はもう……私だけの物じゃない！ 私は私の中の希望で…………みんなとつながっているんだから！！！！」
私が北神宗次に再び対抗できる程力を取り戻せたのは殆ど偶然と言っても過言ではない。
正直私が祈祷師でなかったら、対抗する術も無くあのまま呑み込まれていた。
私が自分の状態に気が付く事が出来たのは、悪霊が似たような害を振り撒く事があるから。
それは「憑依」。
悪霊が正常な人間の肉体を乗っ取ろうとする事。
私の中で暴れる陰の気、そして重なる視界と薄れゆく私の意識。
そして私の意志とは関係無く動く身体。
その症状が何となく「憑依」に似ていると感じた時、私は私の中に侵入した何者かが北神宗次である事に気が付いた。私がずっと感じていた醜悪さと嫌悪感の正体がそれを教えてくれたから。
生きた人間が「憑依」など到底信じられる話では無いけど、そうとしか考えられない。現に『禍ツ神』などという意味不明な板のせいで常識を越えた霊術行使が行われているのだから。
「な、何を言うてるんや…………！！ 【神流】はこの術は絶対に破れんって…………！」
初めてクズ男の顔に焦りの表情が浮かぶ。
私が自分の中の北神宗次の存在に気が付いた時、私は無意識の内に強力な自己催眠をかけて自我の確保をしていた。
その自己催眠というのは「私自身の中に別の人が居て、私はその人の中から外の様子を見る観測者」という少々特殊なもの。だけど、これは「憑依」に対抗する手段として有効な手段の一つ。まあ、その「別の人」に選定する人間が無意識に一哉兄ぃになったのは実に私らしいけど…………。
そうして僅かに意識を北神宗次からの浸食以外に裂けるようになった私は、次々と別の自己催眠をかけていく。自己催眠は思い入れの強い人を対象にする事で効果が上がるから、店長さん、西薗彩乃、一哉兄ぃの妹の佐奈など、8人くらい分を確保する事でようやく会話が出来るほどに自分の意識を奪い返す事が出来たのだ。
それが私の言う「みんなとつながっている希望」。
「いいから出ていきなさい…………私の中から！！ 永遠に！！」
往生際の悪いクズ男に鉄槌を――――
『滅魔の陣』を解除して、霊術を解禁。
私は自分の中に我が物顔でのさばるクズを消し去る強いイメージをもって、最後の霊術を練る。
もう、私自身の主導権は二度と渡さない！
「私はアンタの事を！ 人の心を踏みにじり続けるアンタの事を、地獄の果てまで行っても許さない！！ 『反呪の舞』――――！！」
現在進行形で私の魂を侵食するのなら、それは「現在進行形で霊術を行使している」ということ。
この条件であれば、「行使完了前の」呪いの類いを行使者へと返す『反呪の舞』――――いわゆる呪詛返しが遣える。残存霊力が少な過ぎて『除魔の舞』による霊術の無効化が出来ない今、私に取れる唯一の対抗手段。
「や、やめ…………やめろおおおおおおぉぉぉぉぉぉ！！！！」
霊術の起動と同時に、私の中の陰の気と北神宗次が消えていく。
それにつれて、塗りつぶされた私自身が再び戻ってくる。
私の中の北神宗次が消えた瞬間、私は逆に北神宗次の中へと入り込んだ様な気がしたけど。
こんな男の中に居るなんて一分一秒でも御免よ。
私は北神宗次との繋がりを完全に断ち切り、私自身を取り戻して。
霊力を完全に使い果たした私は、変態ロリコン男の顔面に一発パンチをいれてあげた。
★
「浮かない顔ですわね、咲良」
溜め息を吐いてへたりこむ私の隣に西薗彩乃が腰を下ろす。
「あたりまえじゃない…………弾みとは言え、人一人を壊しちゃったんだから……」
原理は全く分からないけれど、『反呪の舞』で北神宗次を私の中から追い出した後、北神宗次はもはや正常に思考できるだけの意識も理性も有してはいなかった。私の見立てでは、彼が今後、元の彼に戻る事は無い。
関係あるのかはわからないけれど、彼が握り締めていた昏い黄土色の金属板『禍ツ神』は完全に気を散らして機能を失っていた。『反呪の舞』で北神宗次の霊術を返した時に壊れてしまったのか、あらかじめそういう細工がされていたのか。
こうして私達はこの件に関する手がかりを全て失ってしまった。
「そんなの、あの男の自業自得ですわ。貴女が気に病む事ではなくてよ」
加島特級は廃人と化してしまった北神宗次を関西支部へと連行していった。
北神宗次は人造怪魔の所持及び使役の咎で査問にかけられた後、対策院から追放になるだろうとの事だ。まあ、本人がそれらを意識する事は永遠に無いのだろうけど。
「でも…………」
「咲良。これ以上あの男の事で気を揉む位でしたら対策院を辞めた方が良くてよ。この程度の事で一々心を痛めている様でしたら、この先この仕事をしていくのは不可能ですわ。いくらなんでも、貴女は優しすぎる。ハッキリ言って、貴女、この仕事向いてませんわよ」
そこまでハッキリ言われると、それはそれでイラっとするけど。
だけど。
「そう言われるとそれは却下ね。私まだ、対策院には籍置き続けないといけないから」
「それは南条一哉の為？」
「そうね。一哉兄ぃの為」
私のやるべき事は変わらない。
あの人の隣に居る為に強くなって、あの人を支える。
今度は一人きりで、じゃないけど。
「ねぇ、彩乃姉ぇ」
「咲良…………その呼び方……」
「何でも良いじゃない………………………………ありがと……ね……」
「………………ふふっ。どういたしまして」
私はふと、星も見えない程に明るい夜空を見上げる。
これで護れたのかな。やっと、私が護りたかったモノを。
願わくば、私と店主さんの物語に最高の幕引きを――――
霊力を使いきり、精神を他者に侵食されるという中々できない体験をした私の身体はもう限界が近い。正直、今すぐにでも眠ってしまいたい位だけど、まだ一つだけ仕事が残っている。
私は束の間の安息を求めて静かに目を閉じた。
それと同時に女性の声が耳に飛び込んでくる。
「あの…………あなたが、咲良さん……？」
「え…………あ、もしかして……アイリ、さん……ですか？」
「そうよ。初めまして」
私に声をかけてきたのは、少し長めの黒髪を無造作になびかせて、黒縁の眼鏡をかけた、正直パッとしない女性。だけどこんな時間に、しかも私の名前を知って私に話しかけて来る人間の心当たりなんかもう一人しかない。
「お待ちしておりました。ご案内いたしますので、どうぞこちらに――――」
「ええ、お願いするわ」
私は彼女――――アイリさんを伴ってNOIRへと導く。
22時14分。
私が京都に来てから13日目。
その瞬間、私の今回の任務は完了を迎えた。