※実在の地名、人物とは一切関係しません。
あくまで創作の中での話です。
※未成年の飲酒・喫煙は、法律で固く禁じられています。
(第10話)
フレイアの長い話が終わるまで、僕は大人しく、黙って彼女の言うことを聞いていた。
ー...そういうことだ。 ...サーシャは自分から投降した。 ...もうお前は、彼女の護衛でもないし、帝国の軍属でもない。
......お前は、黙って見てたのかよ。
ー...そうだ。
......止めようって、思わなかったのか。
ー...レイ。 ...アルルゥも聞いてたのです。 ...フレイア1人で、何とかなるような状況じゃなかったのです。
.........僕が気持ち良く寝てなかったら、何とかなったって言いたいのかよ。
ーち、違うのです! アルルゥは、そんなつもりじゃ...
ー...自殺未遂の次は、八つ当たりか。 いいご身分だな。
......何だと?
ーお前が寝てようが起きてようが、まともだろうが、そうじゃなかろうが、何も変わらなかった。 サーシャは自分の意思で選択したし、そうしなければ今ごろお前は居心地の良い監獄のベッドに逆戻りだ。 その方が、強制的に断酒できて楽だったか? ん?
僕は唇を噛み締めて、フレイアを睨みつけた。 ...睨みつけて、それで...何も言い返せない。
......全部、僕のせいだって言いたいのかよ。
ー...どの文脈で、そういう話になるんだ。
全部...全部、僕のせいだってことかよ!! ...オラリアの奴隷の女の子のことも、サーシャのことも、フィアのことも!!! ...ぜんぶ......
僕は叫んで、部屋を飛び出す。 アルルゥの静止の声が聞こえたけど、そんなこと構わなかった。 ...ぜんぶ忘れて、どこか遠くに行きたい。 ...復讐も、旅も、もうなんだっていい。
...遠くに、行きたかった。
ー...レイ。 ...貴方のせいじゃないわ。
耳元で、フィアの小さな声がそう囁く。 僕はそれには答えずに、走りながら、ただ首を振った。
..........違う。
...本当は...........僕だって..............
里の門を飛び出して、それでも僕は走り続ける。 あたりはもううっすらと暗くて、日は西の山に沈みかけようとしている。やがて、右の方に小さな湖があることに気付いて、僕はそこで立ち止まった。 ...アルルゥに手当てしてもらった右手が、やけに痛んだ。 掌を開いて見てみると、ガラスで切れたところから、うっすらと血の跡が広がっている。
......全部......わかってるんだ.......
湖を見れる木のベンチに腰掛けて、僕は手を組んで、少し項垂れながら湖を眺めた。それはとても綺麗なオレンジ色に染まって、ただ静かに、そこにあった。
...僕は、夕日が沈んで、空に綺麗な星と月が瞬いても、ずっと、湖を見つめていた。
少し冷えてきたような気がして、僕はようやく自分がローブも着ずに、挙げ句の果てに靴も履かずに飛び出していたことに気づく。 ...ふと、首元に手を伸ばしてなぞると、そこにはもう首輪は無かった。 ...僕とサーシャのつながりは、もう無くなったのだ。
...それは、どうしてだか、とても寂しいもののように感じられた。
それから、どれくらい時間が経ったかは、よくわからない。 でも、月はもう少し、空の上に高く昇っているような気がする。 僕は、後ろから誰かに肩を叩かれて、そのあとで、横にその誰かが座るのを、横目で見つめた。
...何しに、来たんだよ。
僕は横に座ったフレイアに、小さな声で尋ねる。
ー...アル中、薬中、暴走、自殺未遂、八つ当たりの次は家出か。 ...何でもありだな。
......嫌味、言いに来たのかよ。
ー...冷えるぞ。
彼女は僕に、黒いローブを投げて寄越す。 確かに寒かったので、僕は渋々それに袖を通した。 ...着慣れた匂いと、温かみが感じられる。
ー......もう一度言うが、オラリアでのことをお前に黙ってたのは、私の責任だ。 ...すまなかったな。
...違う。
ーうん?
......わかってるんだ、全部........本当は、僕のせいだって。
ー...........レイ。
僕のせいで......みんな、巻き込まれて......不幸になっていく。 ...奴隷の女の子は殺された。
サーシャは、帝国に捕まった。姉さんは、僕たちを守るために、帝国に降った。
...フィアは...僕のせいで、死んだ。
......みんな僕に言ってくれるんだ。 僕のせいじゃないって。
...でも、それは違うんだ。
違うって、本当は分かってるのに...認めたくなくて.....
帝国に復讐するって言って、本当は.....僕が、逃げたいだけなのに........
自分で話してるうちに、僕の目から涙が溢れた。
...気づいてたんだ。 本当は...最初から...
ー..........そうかもな。 ..........なあ。 少し、私の昔話を、聞いてみるか?
......うん。
ー私はな、ここから少し西の方へ離れた平原の、ファ族の里の生まれでな。 ...まあ、今はもうないところなんだけどな。 ...16か17か忘れたけど、多分、お前くらいの年に、帝国の侵攻を受けたんだ。 空からな。 ...多分、ベドウィン侵略への足がかりにしたかったんだろう。
......それで?
ー...当初は、帝国軍がここにも拠点を作っててな。 そりゃまあ、横暴なものだったよ。 ...結局、夜森のせいで、ここを超えてベドウィンには行けないことが分かって、そのあとで放置されたんだけどな。 その前の話だ。 ...私は、あいつらがずっと憎くてな。 父も、母も、兄弟も...立派な戦士だったが、戦争で死んでな。 そこに、帝国軍だ。 どうにかして一泡吹かせたくてな、できることは何でもやったよ。 ...盗み、恐喝...殺しもな。 それでじゃあ、盗った金はどうしてたのかって言うと、ぜーんぶ綺麗に薬と酒に変えたよ。 ...でもな、最悪なことに、当時はそれが持て囃されたんだ。 ...いつの間にか、帝国の支配に反抗する、英雄みたいな扱いになっててな。 その時に悪いことやってた仲間が集まって、デカくなって、帝国に対する抵抗組織みたいな感じで扱われたんだよ。 ...それで、私はますます調子に乗った。
僕はフレイアの話を、黙って聞いていた。
...聞いていて、明るい話じゃなかった。 ...話してる彼女は、多分もっと、辛い気分なんだと思う。 ...だけど、彼女は、話し続ける。 それは、きっと多分、僕に何かを伝えたいから。
ー...そんなことを、3年か4年ほど続けたっけ。 帝国はもはや、この地域に拠点としての価値を見出せなくなってて、撤退が進んでた。 ...私はまた、それが気に食わなくてな。 いじめるだけ虐めて、後はポイ捨てかって思ったよ。 知り合いも何人か、裏でオラリアの方に売られたりしてたからな。 ...でも本当は、帝国が気に食わなかったんじゃない。
......あいつらがいなくなったら、自分が、見捨てられるんじゃないかって、怖かったんだ。
それで、軍備が薄くなってきた時期を狙って、本気で紛争に持ち込もうって、みんなに呼びかけたんだ。 ...ちょうどその時、私は仲間の1人だった、デライラって名前の、ミ族の男と付き合っててな。 ...お前も昨日会った、族長の息子で、ミリナって妹がいたんだ。
...私たちは、いつも3人でつるんでてな。 デライラと私は、帝国との戦いに勝ったら、結婚することを約束してた。 ...でも、ミリナは帝国と紛争に持ち込むことを大反対しててな。 ...結局、あいつは抜けて、それっきり喧嘩別れだ。
......負けたのか。
ー.......そりゃもう、酷い負け方でな。 本国の方から、空を埋め尽くすような大艦隊が、森とは逆方向の山を超えてやって来て...今でも覚えてるよ、この湖の、向こう側に見える山だった...私の里は焼かれて、手を組んでたミ族の里も、半分以上が燃えた。 私以外、解放軍もほとんどが死んでな。 ...デライラは、私を庇って、流れ弾に当たって死んだ。
......私は、燃えたこの里の家の一つから、何とか小さな赤ん坊だけ救ってな...逃げ出したよ。
まあ、そういう、救いようのない馬鹿の話だ。
フレイアが話し終えた後も、僕はしばらく何も言えずに、湖を眺めていた。 ...それから、やっとのことで、僕は一言だけ呟いた。
......帝国に、復讐したいって、思わなかったのか。
ー......何度も思ったさ。 ...でも、アルルゥを育てるのに必死でな。 金も、稼がなきゃいけなかった。 ...それに、もっと正直に言うとな...怖すぎて、何もできなかった。
.......
ー罪滅ぼしのつもりだって自分に言い聞かせて...何とか、罪悪感から逃れたくて...金も食料も、里に送り続けたよ。 ...まあ、夜森を越えて届けられたのかは、よくわからん。 ...だからな、本当は私にも、お前を叱りつける資格なんて無いんだよ。 ...お前を見てると、昔の自分を見てるみたいで、妙に苛立ってな。 ...それで、色々責めてるわけだ。 何のことはない、八つ当たりしてるのは、...私の方でな。
.........なあ。
ーどうした?
.........復讐って、虚しいことなのかな。
ー......そうは思わない。 ...それが、生きる意味になることだってあるし、立ち向かい続ける強さになることだってあるんだ。 ......私は、夜眠るたびに、私はデライラと、死んでいった仲間や、家族や、友達のことを思い出すんだ。 みんな、私に言い続ける。 ...復讐を果たせと。 ...憎み続けろって、そう言うんだ。 ...みんなの言うことはもっともなんだよ。
..........やっぱり........僕も、そうすべきなのかな。
ー.......そうしたいのならな。 けどな...もしお前が、今でも誰かの夢を見続けていて、その誰かがお前に囁くなら.....、きっと、それは、お前が帝国を滅ぼそうが、滅ぼすまいが、一生...変わらない顔で、お前の前に現れるんだ。 生々しくて、悲しい声で。 ...死者の顔は、私たちが何をしようが、もう変わることは無いんだ。 ...死んだその時の姿で、表情で...手を触れようと思っても、もう届かないんだ。 ...どうしてだか、わかるか?
............わかんないよ.............
ー.........みんな、もう、いなくなってしまったからだよ。 ......もう、みんなは、いないんだ。
...フレイアの最後の言葉は、消え入るように静かで、小さくて......
......それはきっと、僕じゃない、誰かのために、言った言葉だった。
ー...なあ。 冷えて来たから、もう帰らないか。 アルルゥが首を長くして、晩飯を待ってる。
......うん。
ー......私は、お前についていく。 ...どうするかは、お前が決めるんだ。
....わかった。...明日の朝までに、考えておく。
ー無理して、徹夜するなよ。 ...まあ、お前はよく寝るし、無用な心配か。
やっぱり嫌味かよ。...でも、そうかもな。
ー...帰るぞ。 ...お前、裸足のまま走って来たのか。 おぶってやるから、さっさと乗れ。
.....優しいんだな。 ......まあ、わかってたけど。
ー...うるさいな。
僕とフレイアは、アルルゥの待つ家へと、ゆっくり歩いて帰る。
空の星が綺麗にまたたく下で、本当に久しぶりに...フィアの姿は、見えなかった。
************************
...結局、僕はその日、一睡もしなかった。 隣でスヤスヤ寝てるアルルゥの小さな体を、起こさないようにそっと撫でながら、僕は暗い天井を見つめる。フレイアは、椅子に座って、静かな寝息を立てている。
フレイアは言った。 ...みんなは、もういないんだと。
...どうして、フレイアには、そう言い切れるのだろう。 ...僕だって、まともな時は理解してるはずだ。 ...フィアは、もういないんだって。
......だけど、それなら、死んでいった彼女の魂は.....どこに行くんだろう。
帝国を滅ぼすのは、本当に、フィアの願いなんだろうか。 ...それとも、ユーリィ執政官の嘘なのだろうか。 ...だとしたら、彼はどうして、回りくどい嘘をついてまで、僕に杖を見つけさせようとしてるのだろう。
...考えても、わからない。
フィア...
僕は、誰もいない天井に向かって、小さく囁く。
...君は、本当に...帝国を、滅ぼしたいのか?
...僕の問いには、誰も、...フィアの幻さえも、答えてくれなかった。
翌朝、日が登ってすぐに、僕は2人のために朝食を作る。 ...料理をするのは、なんだかずいぶん久しぶりな気がする。とれたての卵を目玉焼きにして、ミ族の里ではいっぱい見かけるにんじん(萎びてない)を切って、レタスと合わせてサラダを作る。
ー...お。 ...奇跡的なことに、久しぶりにマトモなことをしてるな。
フレイアが目を覚まして、速攻で僕にいつもの皮肉を飛ばしてくる。
......うるさいな。 早起きして、暇だっただけだ。
ー......そうか。 ...よく眠れたならいいさ。
(わかってるくせに...)
僕はそう思ったけど、フレイアはそれ以上追求することはなかったし、それが嬉しかった。
料理を皿に並べていると、アルルゥがようやく起き出して、小さな鼻を動かしながら、モゾモゾとベッドの中から這い出してくる。
ーおはようなのです。 朝からいい匂いがするのです。
...怪我させた、お詫び。
僕は、アルルゥに甘いココアが入ったカップを渡す。 こっそり持って来てた、貴重なカカオを使って淹れておいた。
ーなんと...レイが素直なのです。 ...でも、アルルゥはもう気にしてないのです。 サーシャがいないのは寂しいですけど...今は、未来のことに目を向けるのです!
ー...おい、私には詫びは無いのか。
お前が好きな、苦い茶、淹れといてやったぞ。
ー......まあ、妥協してやる。
僕たちはテーブルについて、サーシャがいない食卓を囲む。 ...やれやれ。 別に、あいつのことなんかどうでもいいはずなのに......いないといないで、少し物足りない気もする。
ひとしきり食べ終わって、僕たちは食後のお茶を飲む。...まあ、一応、本当に一応だけど、フレイアにもココアを淹れてやった。
ー...で、やることは決まったか、レイ。
そう聞かれて、僕は言い出すまでに少し躊躇ってから、答える。
...族長の言ってた通り、理力の塔を目指す。
ー.....レイ、やっぱり、帝国に復讐するのです?
......ごめん、わからない。 わからないけど......僕には今、そうすることでしか、前に進める方法が無いんだ。 ...だから.....
ー...まあ、お前がそう決めたなら、それでいいさ。 ...塔が...まあ、どの方角を見渡してもさっぱり見えないわけだが...あるはずなのは、東の遺跡跡だったな。 ...それは確かにある。 ここから、徒歩で4日くらいは歩いたところだ。 道中はそれほど危険なこともないし、準備を整えたら、さっさと向かうぞ。
...ありがとう。
僕は2人にそう返して、荷造りの準備を進める。
民家を出て、里の門まで歩いていくと、そこに1人のミ族の戦士が立っている。 ...確か、フレイアがミリナと呼んでいた、この里の戦士たちのリーダーらしい人だ。僕とアルルゥは、彼女に世話になった礼を述べて、門から出る。 フレイアも、その後に続く。そこで、ミリナが、彼女を呼び止めた。
ーフレイア。 待て。
ー...どうした。
ー......遺跡に、向かうのか。
彼女はミリナに、黙って静かに頷いた。
ー...そうか。
ーミリナ。
ー......私はまだ、許されてはないんだな。
ー...そうだな。
フレイアはもう一度、ミリナに軽く頭を下げて、帽子を目元にかかるまで深く被り直した。
ー4日ほどかかる。 ...旅の無事を、祈っている。
過ぎ去るフレイアの背中に、ミリナは静かに声をかけた。
僕には、そのやりとりが何を意味するのか、あまりよく分からなかった。
************************
3日目の夜、僕たちは相変わらずの綺麗な夜空を見ながら、街道の脇で野営する。 フレイアとアルルゥが手際よくテントを張って、そういう作業に慣れてない僕は、結局料理係ということで落ち着いていた。
ーまあ、テントも張れないアホにも、役割ができて良かったな。
フレイアはそう言って、僕をからかう。
...お前のだけ、特別美味しく作っといてやるよ、ネズミ。
ー...辛くするなよ。
ーアルルゥは辛くてもいいのです! 喉が焼けるくらい辛いのが好きなのです!!
ネズミ、まあ僕もそれでいいんだけど、お前は?
ー......辛いのは、苦手なんだ。
それは、いいことを聞いた。
ー...もう一度言うが、辛くするなよ。
そんな話をしながら、僕たちは結局出来上がったカレーを食べる。 ...まあ、本当にたまたまだけど、あまり辛くならないようにしておいた。別にネズミのためじゃなくて、僕がたまたまそういうのが食べたい気分だっただけだ。
......明日には、着くのかな。
ー...ああ。 ...まだ、塔のかけらも見えんがな。遺跡には着くだろう。
ーちなみに、なんの遺跡なのです? アルルゥは気になるのです。
ー遥か昔の時代には、祭祀場だったと聞いている。 ...今じゃ、わざわざ誰も立ち入らない、崩れた岩の残骸が野ざらしにされてるだけだ。
......なあ。ネズミ。 ...昔、森のあたりにあった、王国の話って、聞いたことあるか?
ー...私たちの間では、有名な話だからな。 ...だが、ケイリュオンが実在するという話は聞いたこともないし、...もしあるとすれば、族長の言った通り、本当に一部の間だけで秘匿され続けた話なんだろう。
...その国の王様も、やっぱり、復讐したかったのかな。
ーはっ?
僕は、森で青白い人たちが語った話を、2人に聞かせた。 ...それは、今思い出しても、救いのない話のように思えた。
......ケイリュオンを手に入れて、帝国を滅ぼしたら...もし、それで、フィアが救われるとしても......その後で、僕は、どうなるんだろうな。
ー.....さあな。 ...やったことがないから、どんな気持ちなのかも、わからんな。
ー...でも、アルルゥは...アルルゥは、レイには、そんなことをして欲しくないのです。
...どうして?
ー...アルルゥは、親の顔を知らないのです。 ずっと、フレイアと生きて来たのです。 ...レイが、帝国を滅ぼしたら......アルルゥみたいな子供が、いっぱい、生まれるのです。
それは......
ー帝国は悪いかもしれないのです。 ...でも、そこで生きてる人もいるのです。
ー...復讐するってことはな。 ...それもひっくるめて、全部背負い続けるってことだ。
僕は、2人の言ったことについて...何も、言えなかった。
...多分、僕のせいで死んだミ族の少女の母親は、彼女のことを、ずっと悼み続けるのだろう。 ...僕が彼女が一生生きていけるお金を渡しても、僕が死んでも、何をしても...彼女は、いなくなった娘のことを、ずっと、ずっと考え続けるのだ。
......里に帰ったら、正直に言うよ。
ー...何をだ。
僕が、オラリアで...やったことを。
ー......お前がそれで自己満足できるなら、そうすればいいさ。 ...その結果、あの母親は、お前をずっと恨み続けて生きる。 ...お前が自殺しようが、何しようが、恨み続ける。
でも....!!
ーそういう覚悟があるなら、告白することだな。 ...お前だけじゃなくて、それがあの母親の今後を、お前への恨みだけで生き永らえさせるかもしれないという可能性を受け入れるなら、そうしろ。 ...止めてるわけじゃないぞ。 いじめてるわけでもない。
......わかってるよ。
...それは、嘘だった。 僕は多分、わかってないのだ。 ...どういう結果を生むのか、あの子の母親が、今どんな思いで過ごしているのか...僕は、知ることができない。
ケイリュオンを手に入れて、帝国を滅ぼすことは...そういうことなんだって、僕は思った。
ちょうど翌日の昼前に、僕たちは族長の言っていた遺跡まで辿り着く。
それは確かに遺跡ではあるんだろうけど、どっちかと言うと白い瓦礫の山が堆積した採石場のような印象を受ける。いくつかの丸い円形の柱も、根元やその途中からぽっきり折れているし、建物としての機構はほとんど残ってなかった。
...で、塔とか言うのはどこにあるんだよ?
ー...一度でもここに来る間に見えたか、そんなもん...。
やれやれ。まあ確かにその通りだ。 僕たちはしばらく遺跡を散策するけど、誰がどう見ても目に映るのは白い瓦礫ばかりだ。
10分くらいで僕は飽きて、大人しくお茶を沸かす準備をする。
ー...レイ、流石にもうちょっと真面目に探すのです...。
そう言われても...ないもんは、どこにもないからなあ。
ー...ねえ。 レイ。
うん? 何?
ー......私を見つけて。 ...早く、私に会いに来て。
その声は、アルルゥのものでも、フレイアのものでもなかった。 ...なんだか、久しぶりに聞いた気がする。
フィア...?
僕は立ち上がって、辺りを見渡す。 もちろん、2人と僕以外に、ここにいる人は誰もいない。でも、彼女の声は、確かに聞こえて、僕を何処かへ...何処かへ、誘おうとするのだ。
声の聞こえたほ(はずの)方角を頼りに、僕は歩いてみる。
ー...来て。 こっちへ。 ...早く、私を見つけて。
フィア......どこにいるんだよ.....
ーここにいるわ。
ここって...
ー...貴方のいる世界ではない、どこかによ。 「理力の塔」は、貴方にしか開かれないもの。そこには貴方のために用意された全てがあるの。 ...まだ手に入れてないものも、失ったものも。貴方はそこで、全てを手に入れて、取り戻すことができるの。
僕の足元の影が消える。
太陽が消えたと言う意味ではなく、文字通り、僕が大きな影の中に飲み込まれたという意味で。
僕が空を見上げた時に、「塔」は既に、そこに聳え立っていた。 ...どれだけ目をこらしても、先が見えないくらいに、空を、雲を、星を突き抜けて、それよりも高く...その白い塔は立っていた。 地面には綺麗に舗装された白い石畳が敷かれて、「塔」の入り口の扉へと続いている。
...フレイア? ...アルルゥ?
ふと心配になって、僕は振り返って2人の名前を呼ぶ。 そこにはもう、僕以外に誰もいなかった。白い石畳の歩道から外れた先は、砂漠が広がっている。 その砂も、全てが真っ白に染まって、ときどきそれが緩やかな風に吹かれて、緩慢に移動を繰り返している。...僕を取り囲むものは、砂と塔、それに、美しく晴れた青い空以外に、何もなかった。
ー......レイ。 来て。 ...早く、来て。 貴方のためだけに、塔は開かれるの。
フィアの微かな声が、砂と風に舞って僕の耳に届いた気がする。
フレイア!! アルルゥ!! ...サーシャ!!
どれだけ僕がみんなの名前を呼んでも、誰も、僕の声には答えてくれなかった。
ーレイ。 ここには、貴方と私しかいないの。 ...誰も、貴方を惑わせることはない。 さあ。
「塔」の扉が開いた。 僕は、目を凝らしてその中を見ようとする。 ...でも、何も見えない。ただ、星の見えない夜空のような暗い闇が、広がっていた。
......行ってくるよ。
僕は、声の届かないみんなにそっと挨拶をして、塔の扉へと続く石畳を歩く。
************************
上へ、上へと続く白い階段を、僕は延々と登り続ける。 手すりとか、そういうものは何もなくて、ひたすら階段。少しでも階段を外れると、深い真っ黒な闇が広がっている。けど、その闇は、決して不安になったり、心地の悪いものじゃない。...夜眠る時に、まぶたの裏側からそっと安らかな暗闇が広がっていくように、それは優しく僕を包み込んで、いろいろなものを思い起こさせる。
...父さんと母さんが、死んだという知らせを聞いた日のこと。 2人とも、とても優秀な魔導師だった。 ...国に仕えて、国のために必死に働いて...その後に残ったのは、指先の欠片が何本かと、それに、母の足が一本だけ。 2人の死体がそれしか戻らなかったことを、僕は随分後になってから、姉さんから聞いた。 2人が死んだその日も、姉さんはまだ幼かった僕のためにご飯の準備をして、それから、学校へと向かった。 ...僕は、姉さんが泣いている姿を、その夜、寝る前にドアの隙間から眺めていた。
......姉さんが、戦争に初めて出兵した日のこと。 僕は、笑顔で頑張って来てね、そう言って姉さんを見送った。 ...本当は、姉さんがいなくなるんじゃないかって不安で、心配で、今にも泣き出しそうだったことを覚えてる。姉さんは、僕を何も言わずに、優しく抱きしめてくれてから、戦争へと旅立った。 ......最後に姉さんと会ったのは、確か、学校の卒業式の前の週だったと思う。 姉さんは、僕の卒業祝いに、遠い異国の地で買って来た翡翠の鳥の飾りを、僕に渡してくれた。 ......その後で、僕は姉さんが帝国の軍人になったことを聞いて、その鳥を地面に叩きつけて、粉々に割った。
......フィアが、酔っ払って死にそうな僕を看病してくれた日のこと。姉さんがいなくなってから、みんなが僕を遠ざけて、影で蔑んで...時には、集団で囲まれたりもした。 僕はその度に魔法を使って、姉さんを悪く言った奴らを1人残らず酷い目に遭わせた。 王都に蔓延るようになった帝国兵にも、魔法を使うなり、脅したりして、金を盗んで、ひたすら酒と薬に換えた。 ...だんだんと、現実と夢の境目が曖昧になる中で、フィアの手を握っている時だけは、僕は自分がこの世界にいるって、そう思えた。
どこまで登っても、先は見えてこない。
無限に続く白い階段の先に、何が広がってるのかもわからない。
だんだんと、僕は不安になってくる。...振り向いても、もう塔の入り口の扉は見えない。戻っても、元いた場所に帰れるのか...それさえわからない。でも、フィアの微かな声は、僕に囁き続けるのだ、足を止めないでと。
僕の心の中の不安を移し込むように、闇の中に見える景色も、だんだんと変わってくる。
それは、はっきりと定まらない、ぐにゃぐにゃした不定形の生物みたいにも見える。 ...お酒の瓶みたいにも見える。...たくさんのねずみが、下水道の暗い水の中で蠢いているようにも見える。 ねずみたちは何かの臭いを嗅ぎつけて、蠢いて、やがてひとつの巨大な群体として集まり、肥大化する、それが何かの肉を突いている。 ...そんな風にも見えるし、あるいはそれは、頭を割られた小さなうさぎの少女の顔にも見える。 ...何かが、その割れ目から零れ落ちる。臭いと、質感をともなって、それはあたりの闇の中を、漂うように流れ落ちる。
それでも僕は、足を止めずに歩き続けた。
やがて、始まった時と同じくらい唐突に、階段は途切れた。
僕は、青い空の下に、ぽつんと1人ぼっちで立っていた。
支える床は無い。 足元にも、ただ真っ青な空が広がっている。 落ちるんじゃ無いかと思って僕は慌てて、何かの魔法を唱えようとしたけど、それは僕の口から唱えられることはなかった。
(......魔法が...何も......)
僕の体の中から、もう魔力の鼓動が聞こえることはなかった。 ...何も、思い出せない。自分が誰であったかも...どうして、青い空の中にいるのかも......
ーレイ。 ...やっと、来てくれた。
......君は?
ーフィアよ。 ...貴方の、大切な友達。
ねえ...ここは? ...地面に落ちちゃうよ。
ー落ちないわ。 ...空の中を、魂はただ永遠に、漂うだけ。
フィアは、僕の少し前に立って...浮いて...? 小さな、満たされたような笑みを浮かべながら、僕を見つめていた。 そのやさしい微笑みを見てるだけで、何かが僕の中で、ゆっくりと解けていって、満たされていくような気がする。
ー...レイ。 ......やっと、ここまで来てくれた。 私の魂のかけらを拾い集めながら...。 ずっと、暗くて、怖かったもの。
......フィアは、これまでどこにいたの?
ーとても暗くて、苦しくて...痛いところよ。 何かが私の体を吸い上げるの。肉と血が吸い上げられて、齧られて、飲み込まれて...骨が見えても、それはずっと私の魂を吸い上げていたの。 ...でも、それももう、おしまい。 さあ。 レイ...「杖」を、手に取って。
彼女は、1mくらいの長さの、白い一本の杖を、僕に差し出す。杖の枝は、真っ白な石とも、木ともわからないものでできているけど、その先端は、いくつかの木の枝のようなものが幾何学的に絡み合って、ひとつの世界を作り出していた。
...それは?
ーケイリュオンと呼ばれる杖よ。 ...生も、死も、貴方の思うままに、全てを支配する杖。 生けとし生きるものを屍の山へと還すことも...その屍の山に、貴方だけが望むような生を、与えることも。 ...かつてこの星を統治した1人の王が、その手に掲げた杖。
それを受け取って...僕は、何をすればいいんだろう。
ー......私を、助けて。
...君を...
ー......暗い不幸を齎す存在を、貴方が祓うの。 みんなが...私も、それで救われる。
.........君が.........
ー...復讐を果たして、また...一緒に歩きましょう。 レイ。 ...私の、大切な人。
彼女は、手を伸ばせばすぐに届くくらいに近くに、白い杖を差し出した。
************************
ーフレイア...大変なのです...レイが、目を覚まさないのです...!!
アルルゥが、急に倒れたレイのそばに駆け寄って、色々と看病してくれる。...彼女の顔は、安らかに眠っているようにも、何か悍しい悪夢に追われて苦しんでいるようにも見える。体を揺すったり、冷たいタオルを頭に当てたりしても、レイは懇々と眠りについていた。
...本当に、よく寝過ぎなんだ。こいつは。
私は心配ないよと伝えたくて、アルルゥの肩を何度か叩く。けど、内心私はかなり心配だった。...これは、気絶でもないし、自発的な眠りでもない。何か、強力な魔法による、自分では覚めない眠りだ。ただ、どれだけ注意深く見渡しても、あたりに魔導師の姿や気配は見られない。
(レイ...)
心配を押し殺して、私たちはレイを岩陰に運んで、毛布を広げてその上に寝かせる。アルルゥが簡単な枕を作って、彼女の頭の下に潜り込ませている間に、私は静かに弓を背中から下ろして、矢を構える。
...出てこい。 ミリナ。
周囲に聞こえるように、私はそう呟いてから、引き絞った矢を前方に放った。矢は鋭く風をきって、崩れ落ちた円柱に当たって先端から砕け折れる。
ー......フレイア。
太い円柱の影から、彼女はそっと歩いて、私たちの前に姿を現した。
アルルゥは目を丸くして、ミリナの姿を見つめている。
ーな...アルルゥの耳でも、全然聞こえなかったのです...
ー...ミ族の娘が連れにいることは、知ってたからな。
.....お前ほどの戦士なら、同族の耳でも欺けるのか。 ...相変わらず、よく鍛えてるな。
ー酒浸りだったお前と違って、な。
ミリナは私の目の前まで...お互い手を伸ばして、届くか届かないかの距離まで近づいてきて、それから、腰に刺した細身のサーベルを抜く。空になった鞘を、彼女は私の足元に投げ捨てた。
...ミリナ。
ーフレイア。 ...わかってくれるよな。
...そうだな。
私も呟いて、自分のサーベルを抜いて、鞘を彼女の足元に投げ捨てた。...里を出る時に、彼女にあった時から...いや、多分、本当はそれよりずっと前から...私には、わかっていた。
ー手を抜くなよ。 ...どちらかが死ぬまで、終わることはないんだから。
難しい注文だな。
ー...私が勝って、お前が死ねば...後ろの2人が、どうなるかわかるよな。
私はちらっと、後ろでレイの身体を労ってるアルルゥに目をやる。
......殺す気か。
ーだったら、本気になるだろ?
......変わったな。ミリナ。
ーお互いにな。歳を取った。そういうことだ。
私は振り返らずに、アルルゥたちに向かって呼びかける。
アルルゥ。...レイ。
ーな...なんなのです、フレイア...どうして、2人とも、戦おうとしてるのですか......
...私が負けそうになったら、レイを連れて、できるだけ遠くに逃げろ。 ...いいな。
ーフレイア...やめるのです...やめてなのです....
今にも泣きそうな、震える小さな声を聞きながら、私は2人から距離をとった広い場所へと、ミリナを伴って歩き出す。
ー...愛おしい子だな。
......そうだな。
ー失いたくないだろう? ...少し、話をしないか。最期だからな。
...ああ。
ー...お前と、兄様と、みんながいた頃は、楽しかったよ。お互いバカやって、帝国の奴らを見つけたら誰彼構わず喧嘩を吹っかけてな。 私とお前が酒を飲み過ぎて、その時に帝国の奴らに絡まれて、大変な目にあった時もあったな。
そうだな...。 結局、デラに助けてもらったっけ。
ーああ。 ...結局、みんないなくなったな。 最後まで、お人好しすぎる兄だったよ。
...あいつは、優しい奴だったからな。
ー今は、もういない。
......
ミリナは立ち止まって、そこで私と向き直った。
ー...もういないんだ。 わかってるさ。 兄さんはもう戻ってこないし、何をやっても、何を祈っても、兄さんの顔が変わることも無いんだ。 ...ずっと、死ぬ直前の、少し寂しくて、申し訳なさそうな、あの血塗れの顔のまま...私を見つめるんだ。
.....ミリナ。
ー...当然、お前に復讐しても、何も変わらない。 ...喜ぶことも、悲しむことも。 だから、これはな、兄さんのためじゃ無いんだ。...私のために、私が前に進むために、必要なことなんだよ。 ...お前には、申し訳ないと思ってる。
...すまないのは、私の方だ。
ー気にするな。 ...お前だけじゃなくて、あの頃は、みんなそうだった。 ...何かを誰かに、ぶつけたかっただけなんだよ。 ...ただ、それが行き過ぎて、止まらなかった。それだけさ。
お前は...反対してたな。
ー怖かったからな。 ...失うことが。 ただ、あの時が、ずっとそのまま続けばいいと、ガキみたいに祈りながら、毎晩震えてたよ。
彼女は、少し寂しそうに微笑みながら、剣を構えた。
ーそろそろ、始めるか。
...ああ。 .....そうだな、ミリナ。
私も、自分の剣を低めに構える。
最初に、私の方から仕掛けた。
土を低く蹴って、彼女の懐に走って飛び込み、横薙ぎに僅かに剣先を走らせる。ミリナは絶妙な見切りで、ほんの半歩だけ後ろに下がって、毛先すれすれで私の剣から身を躱す。彼女はそのまま勢いをつけて、屈んだ姿勢の私の腕めがけてサーベルの刀身を振った。私は刀身の根本...鍔の方で彼女の刀を受け止めて、それと同時にミリナの頭めがけて右足で蹴り抜く。 彼女はすぐさま後ろに飛び退いて、私の足を躱した。私の足では、すぐさま追えないくらいには距離のある跳躍だった。
ー...距離が空いてたら、私の方が有利だな。
ミリナはそう呟いて、左右へ、前へ後ろへ、軽快に跳ねるようなステップを刻んで、私の目を翻弄する。じわじわ距離を詰められてるのか、それすら悟らせないほどに、彼女の動きには無駄がなかった。ただ飛んだり跳ねたりしてるわけじゃなくて、私がどこから打ち込んでも隙を与えずに、逆にこちらの腕が落とされそうだ。
(...確かにな。)
攻防の有利が彼女に渡ったことを認めて、私は若干の舌打ちをする。剣の腕そのものはほとんど互角かもしれないが、力では私に、速さと跳躍ではミリナに分があった。私と彼女は暫く睨み合う。私としても、そうそう簡単に隙を見せてやるつもりもなかった。
やがて、日がもう少し高く昇って、一瞬だけ...ほんの一瞬だけ、背を背後にして立つミリナの姿が、その光の中に溶け込んだ。
(まず....ッ!!)
そのほんの一瞬の間は、ミリナの体が私の真横に飛び込んで、私が振った剣を交わして、私の脇腹にサーベルの刀身を食い込ませるには...十分すぎる時間だった。私は刃先が肉に食い込む感覚を察知sて、咄嗟に剣を握っていない方の手で、その刀身を掴む。
ッっ....!!
掌と、腹に食い込む焼けた鉄のような痛みに、私は僅かに顔を顰めてミリナを睨みつける。...けど、私の視線の先に、もう彼女の姿は無かった。下から足を払われる感触を感じて、私の体が宙に浮く。受け身も取れずに、そのまま背中から地面に叩きつけられた私の体に、馬乗りになる形でミリナの体が覆いかぶさった。
ー......さよなら。我が友よ。
彼女は、小さく呟いて、腰に刺していた小さな短刀を淀みない動作で抜いて、それを頭上に掲げた。
私はほんの一瞬だけ、アルルゥとレイが隠れているはずの、岩陰に目をやる。
アルルゥは、ちゃんと私の言う事を聞いて、レイを連れて逃げてくれただろうか。
ふと、私の脳裏に、まだ小さな...まあ、今でも小さいけど...アルルゥを連れて、西へ、西へと逃げ続けていた頃の自分が思い浮かぶ。
...あのころは、ずいぶん必死だったっけ。
逃げるために。食っていくために。 ...罪を、忘れ去るために。
(...結局、こういう形で、返ってくるんだな。)
デラの死体を、ミリナと一緒に族長の家まで運んだ。 ...一夜が過ぎて、埋葬を済ませても、私の心は乱れて、あちこちに千切れ飛んで...空っぽの、ままだったっけ。 ミリナは、私を見つめて、恨み言を投げつけることも、殴り飛ばすことも、しなかった。
......ただ、優しく、私の肩を抱いてくれた。
...ごめんな。 辛い思いをさせて。
私は小さく呟いて、目を閉じて、彼女の刃が振り下ろされるのを待った。
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フィアが、手を差し伸べて、僕の目の前にケイリュオンを差し出す。
ーレイ。 ...ケイリュオンを受け取って。 貴方には、その資格がある。 ...すべてを失って、それでも、無力を嘆くことなく...ただ、ひたすらに憎しみを抱く貴方は、この杖に求められているの。
杖に、求められる...?
ー...貴方が、ケイリュオンを求めるだけじゃ、杖は貴方のものにはならない。 ...ケイリュオンが、貴方のことを求めているの。...さあ。レイ。 ケイリュオンを手に取って、振るいなさい。貴方から全てを奪い取ったものたちへ...彼らがもう2度と、誰も傷つけないように。
......ケイリュオンを受け取って、復讐を果たしたらさ.....
ーレイ?
......フィア。 君も、楽になれるのかい?
彼女は、優しく僕に微笑んで、それからはっきりと頷いた。
僕の心は、それで決まった。
...誰かが、僕の心の中で、呼びかけていた気がしたから。
僕は、手を伸ばして....杖を掴もうとして......
......それから、その手を、ゆっくりと降ろした。
ー......レイ?
ごめん...。 ......やっぱり、僕には、その杖は要らない。
ー......どうして? ......私を、助けてくれないの?
助けたいよ...本当に、君を、助けてあげたい。
ー...それじゃ、どうして、貴方は杖を拒むの? それとも...レイが拒んでいるのは、杖じゃなくて、私なの? ...どうして? ....どうして、貴方は...私がこんなにも、貴方を大切に思って...
フィア。
僕は、彼女の言葉を遮って、首を振った。
......君は、もう、いないんだ。
彼女は、僕の言葉を聞いて、何も言わなかった。
僕のせいで...君を、死なせてしまった。 ......でも、もう、力に逃げるのは、やめる。
そんなことをしても......もう、君は、帰ってこないんだ。
だから.......
......ごめんね。
フィアは、少し悲しそうな目で、僕を見つめた。
その後で...彼女は、差し出した杖を降ろした。
ー......レイ。
........
ー...........愚かな子。 ....何もかもを喪って、なお、全てを得られる機会を、捨てるの。ケイリュオンの杖に求められているのに...貴方は、自分から杖を拒むのね。 ...失望したわ。 貴方には。 ....彷徨いなさい。 一生を、闇の中で、何も見えない、暗い闇の中で彷徨いなさい。必ず起こりうる、底の見えない暗闇で、自分の決断を悔いながら...その中で...私が味わった痛みを、苦しみを...感じ続けなさい。
フィア.......違う.......お前は...........
ー...期待していたのに。 貴方には。 ...あの男ですら...ユーリィ・マクラウドですら手に入れられなかった我が力を、受け継げるものだと。 ...あの男は、確かに面白い人間だ。 だが、彼の心は、ここに辿り着いた時に、既に彼自身のものではなかった。 ...あの男は、最早、復讐を追い求めるものでは無い。 ...まあ、それを、見届けるのも、面白いことではあるがな。
.....僕に、趣味の悪い夢と幻を見せ続けてたのも、お前か。
フィアは...いや、「王」は静かに微笑んで、頷いて、僕に告げた。
ー...さようなら。 ...愚かで、かわいそうな人の子よ。 ...現世で、何もできない無力を嘆きながら、我々が進む道を見届けるがいい。
彼女は...いや、「王」は、そう呟いて、その杖の先端を、僕へと向けた。
ケイリュオンの先端が、淡く光る。 ...それは、青い空へと溶け込むような、美しい、青色の光だった。
それを見つめているうちに、僕の体は...青い空から下へと、下へと、落ちていった。
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痛みは、感じなかった。
...死んだ経験は、当然無いのだけど。 ...こんなふうに、何も感じずに死ねるなら、思ってたより悪く無い、かも知れない。 ただ、天国に行くのか、地獄に行くのか、それは気がかりだった。
(...まあ、天国行きの道理は無いんだけどな。 ...ずいぶん、殺し過ぎたから。)
...少し時間が経ったような気がして、私は閉じていた目をゆっくりと開く。
私は、死んではいなかった。
ミリナの刃も...振り下ろされていなかった。
それは、半ばまで下されて、そこで、止まっていた。
小さな白い毛玉のような体が、ミリナの腕にしがみ付いて、それを必死に静止している。
...アルルゥ?
私は思わず、彼女の名を呼ぶ。 ミリナはやがて、何かを諦めたように、目を閉じて首を振った。 ...それから彼女は、自分の腕にしがみつくアルルゥを、優しく地面に下ろして、短刀を腰に仕舞った。
アルルゥ...!! ...邪魔するな。 これは、私とミリナの問題だ。 ...済まない。ミリナ。勝負はついた、私の負けだ。 ...殺せ。
私は、自分では本当にそうしてもらうつもりで、そう言った。
言い終えて、すぐに、頬に熱い衝撃が走るのを感じた。
アルルゥが、私の頬を叩いたのだと判るまでに、少し時間がかかった。
...アルルゥ....
ー...フレイアは、馬鹿なのです....!! フレイアだけじゃないのです、ミリナさん、貴方も、馬鹿なのです!! ....どうして、どうして、2人とも、せっかく生きているのに、殺し合おうとするのですか!!!
...それは....
ー復讐を、果たさせてやるためだと言うのですか!! フレイア!!
......
ー...アルルゥは、聞いていたのです。 2人の会話を。 ...アルルゥには、誰が正しくて、誰が間違ってるのか...よくわからないのです。 でも、アルルゥにははっきりと言えることがあるのです! せっかく2人とも、生きて、今ここにいるのに...誰かが死んで、誰かが生きる道を自分たちで勝手に選ぶのは、自分勝手なのです!! 残された友達と家族が、絶対に悲しむのです!!
私も、ミリアも...何も言わずに、アルルゥが声を絞り出すのを聞いていた。
ーフレイアが...死んだら.......
......アルルゥは、とっても、とっても.....悲しいのです.......
私は、黙って上半身を起こした。
脇腹の傷が、やたらと傷んだ。
それから私は、黙って、彼女の白くて小さな体を、抱きしめた。
...悪かった。
私は呟いて、それからミリアの方を向く。
.....ミリア。 ....済まない。
帽子を取って、私は彼女に頭を下げた。 ...ミリアは、黙って、白い岩に背中を預けて、私たちを見つめていた。
.......勝手なことは分かってる。 ...私に、もう少し、時間をくれ。
ミリアは私の言葉を聞いて、やがて、目を閉じて、静かに頷いた。
ー...ああ。 ...私も、もう気は済んだよ。
彼女はそう言って、私に包帯と、瓶に入った液体を投げて寄越す。
ー...傷を、手当てしろ。
...済まない。
私は、アルルゥの手を借りながら、傷口にミ族の調合した薬を塗って、それからきつく包帯で縛る。かなり痛むが、数時間で血は引くはずだ。
手当てが済むと、アルルゥは、ミリナに向かって、深々と頭を下げた。
ー...ありがとうなのです。 ミリナさん。
ー.....よせ。 フレイア。
...どうした。
ー......歩けるか。 少し、こっちに来い。 私はもう行く、...その前に、話しておきたいことと、渡しておきたいものがある。
彼女はそれから、心配そうに耳をそば立てるアルルゥを見て、優しく言った。
ー心配するな。 ...もう、殺し合いはしないさ。
私は彼女の言葉を聞いて、アルルゥに小さく頷いて、サーベルを杖代わりにして、ミリナの方へと歩いていった。
彼女は、白い岩の影にそっと佇んで、静かに口を開いた。
ー...フレイア。 持っていけ。
私は、彼女が私の掌に乗せてくれた、小さなものを見つめた。 ...それは、指輪だった。淡い銀色の美しい輪に、精巧な薔薇を象った赤い石がはめ込まれている。
ー......デラ兄さんは、手先が器用だったからな。 ...あの日、兄さんのコートの内ポケットに入っていたものを、私が見つけた。
...デラ。
私は、その綺麗にきらきら光る指輪を、手の中に握り締めた。
ー.....お前のためのものだ。...フレイア。あの子は、いい子だな。
彼女は、アルルゥを見つめながら、そう呟いた。
ああ。 ...私には、もったいないくらいにな。
ーそうだな。 ...お互いにな。
あと、2人ほど、手のかかる奴がいてな。
ー...お前と一緒にいた、人間たちのことか。
.....1人は、お人好しが過ぎる理想家で、もう1人は、筋金入りのバカなんだ。
ー...じゃあ、誰かが一緒にいて、見ててやらないとな。
.....そうだな。...ミリナ、話というのは?
ー......お前と一緒にいた銀髪の人間の女、名前は...サーシャ・マクラウドだったな。ユーリィ・マクラウド執政官の妹か。
ああ。そうらしい。
ー...ユーリィ執政官は、オルタマイアとの開戦に踏み切る気満々だ。...アロハルトと手を組んで、それを推進しているとなれば、もうそれは避けられないだろう。 ......だが、ユーリィの奴は、どうも、戦争で勝つことが狙いじゃないらしい。
......というと?
ー...理由はわからんが、奴は、占領した各地の国で、街で、敢えてじわじわとした圧政を敷いて、そこに棲んでいた民たちを疲弊させている。...疲弊させて、憎まれている。私の里もそうだ。 ...昔の帝国より一見マシになったように見えて、実のところ、男は労働力で駆り出されてほとんど里には残っていないし、おまけに重税だ。 ...ミ族の戦士たちを私が抑えるのにも、限界がある。
.......飛んだ執政官殿だな。 ...ロクでもないやつだ。
ーその、ロクでもない執政官殿が、サーシャ・マクラウドを捕らえて、そして、争いに踏み切ろうとしている。 ...フレイア。 この決闘で、お前が私に借りができたつもりでいるのなら、私の頼みを聞いてくれ。
...ユーリィを、止めるのか。
ー......そうだ。 このままでは、ミ族の里だけじゃない、いろんなところで、同じような反乱が起こるぞ。 ...帝国とオルタマイアの争いだけじゃない、まさしく世界中が、憎しみあって、血が多く流れる。
.....分かった。 できるだけはやってみよう。まあ、....それには、私1人じゃできないんだがな。 ...アルルゥと、それに、あのアホもさっさと起きんことにはな。
ー...任せたぞ。
ミリナはそう呟いて、遺跡から立ち去ろうと、帰りの道を歩き出す。
最後に彼女は、少し立ち止まって、それから振り返らずに言った。
ーフレイア。
....
ー...達者でな。
.......ああ。 お前もな。
そして、彼女は、自分の守るべきものたちのところへと、帰っていった。
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眩しい光を目蓋の上に感じて、僕はゆっくりと目を開ける。
ーレイ!!
ー...おい、お前、ほんとに寝てばっかりだな。
アルルゥの嬉しそうな声と、フレイアの皮肉まじりで...でも、どこか優しい声が、起きたばっかりの僕を出迎えた。
(...あれは...夢....?)
僕は起き上がって、それから、フレイアが右の脇腹に包帯を巻いているのに気がつく。
...何か、あったのか?
ー...まあ、お前がぐっすりすやすや寝てる間に、色々な。 ...それで、杖とやらは、手に入りそうなのか。
.....何があったか、知ってるのか?
ーまさか。 ...ただまあ、安らかなる眠りとは言い難そうだったからな。
僕は、彼女の言葉に、黙って首を振って、それから答えた。
...杖は、もういらない。
ー......
...もう、目を背けて逃げるのは、やめにするって決めたんだ。 ...父さんも、母さんも、奴隷の女の子も、フィアも.....もう、帰ってこないから。
ー......そうか。
だから...僕は、これから、自分にできることをする。 ...酷い未来を、見ないためにも。
フレイアとアルルゥは、僕を見て、それから黙って頷いた。
ー...サーシャを助けて、ユーリィを止める、ですね。
ああ。 ...僕の寝てる間に勝手に話進めてるんだから、酷い話だ。
ー...お前は、寝てただけだろうが。
....ところでさ。
僕はちょっと躊躇いながら、2人に話しかける。
...その....お願いなんだけど.....ついてきてくれないか?
ー払えるのか?
え?
ー金だ。 報酬。
...いや、それは......その、お金、無いから....これから働いて.....
ー.....死ぬまで、たかってやる。
ーアルルゥもなのです。 これで老後は安泰なのです。
僕は諦めて、やれやれと呟いて、肩を竦めて言った。
...ありがとう。アルルゥ。...フレイア。
僕たちは、アルルゥを先頭に、元きた道を歩き出す。フレイアが脇腹を庇っているのには気付いていたので、僕は彼女に肩を貸してやる。
ー...おい。
.....なんだよ。
ー......ネズミは、嫌いになってないか?
僕は少し考えて、それから答えた。
...君のことは、それほど嫌いじゃ無いと思う。
ー...そうか。
サーシャは、どこにいるんだろう?
ーアルルゥは知ってるのです。 帝国の飛空挺が、ベドウィンの方角に飛んでいく音がしたのです。
ー...サーシャが本国に送還されてないことを祈るか。
帝国に戻されてたら、そこまでいくよ。
ー.....やれやれ。随分と、高くつくな。
フレイアはそう言って、少しだけ笑った。
僕も、それを見て、ちょっとだけ微笑み返した。
(第10話終わり)