※実在の地名、人物とは一切関係しません。
あくまで創作の中での話です。
※未成年の飲酒・喫煙は、法律で固く禁じられています。
(第9話)
ー......レイ......
.......
ー........レイ.........
........フィア......?
ー....目を、覚まして。 ....早く、来て。 ......早く......早く......帝国を......滅ぼして..........
僕は痛む目を擦って、天井を見上げる。 少し低めで、木で組まれている、簡素な天井だった。 あまりにも気分が悪くて、吐き気がする。
僕は寝かされていたベッドの上から上半身だけ起こして、そのすぐあとで、激しい吐き気に襲われた。誰かが、木の平たい水盤みたいなものを僕の膝の上にそっと差し出してくれて、僕はその中に吐いた。 長い、とても長く続く吐き気だったけど、奇妙な色をした液体しか、僕の喉を遡って出てくるものはなかった。
ー...起きた? レイ。
やがて木の水盤が下げられて、ようやく僕の吐き気は収まる。それは、司令官殿の声だった。彼女は不安げに僕を見つめていて、それから、コップに入った水を差し出してくれる。本当に喉が乾いていて、僕は貪るように水を飲む。 ...20杯くらい飲んだ後で、ようやく乾きは少しおさまった。
ー......手、動く? 動きそうなら、少しでも何か食べて。 ...本当に、死んじゃいそうだったのよ、貴方。
司令官殿は傍の机に置いていた小さな鍋の中から、野菜を煮た薄いスープを木のお椀に注いで、僕の手に持たせてくれる。 彼女の手には、包帯が巻かれていた。 ...よく見ると、包帯は身体中に巻かれているみたいで、少し歩きにくそうにしている。僕はゆっくりと、時間をかけてスープを飲み干す。 飲み干した後で、僕が寝ていた部屋の扉が開いて、フレイアとアルルゥが入ってきた。
...アルルゥ...
僕は思わず、彼女の姿を見て駆け寄ろうとするけど、司令官殿に静止される。 ふさふさだった白い毛の所々がひどく焼け爛れていて、フレイアの手につかまりながら、よろめくように歩いている。
ー...よかったのです、レイ...。 目を覚ましてくれて......
彼女はそう言って僕に微笑んでくれるが、隣に立っているフレイアは、厳しい顔で、一切の笑顔を見せずに僕を見つめていた。...その目を見て、僕は、あの時何があったかを、ようやく少しだけ思い出すことができた。 ...フィアが、何かに襲われて、倒れていた。 彼らはフィアを襲おうとしていた。それは、僕の見た夢だったのかもしれない。...けど、多分、僕のやったことは現実みたいだ。 ...みんなの怪我を見て、僕はそれを理解した。
...ここは...
ーミ族の里の中よ。 ...ミ族の魔導師たちが、森の火を消そうとしていて、私たちは彼らに見つけられて、たまたま助かった。
......森は、どうなったの......
ー...半分以上、燃えて無くなったわ。 この里は、魔導師たちが頑張ってくれたおかげで、なんとか無事だった。 ...レイ、何が起こったか、覚えてるの。
僕は司令官殿の言葉に、躊躇いながらも、頷いて返した。
ー......そう。......いい、この里のみんなは、貴方が魔法で森を燃やしたことは知らないわ。 ...少なくとも今は、黙っていなきゃいけない。 言ったら......
ー私たちは、確実に殺されるな。 ...森は、ミ族にとって神聖な場所だ。
司令官殿の言葉を引き継いで、フレイアが小さく返して、扉を閉めた。
部屋の中には、僕たち4人だけになる。
ー...お前が、私を助けようとしたことはわかる。 ...「私を」なのかは、分からんがな。 まずは、それについて礼を言う。 ...お前がいなかったら、私はあのまま奴らに殺されるところだった。
......それは、どうも。
ー......その上で、だ。
彼女は、僕のベッドの側まで歩いてきて、ベッドに腰掛けてた僕を見下ろす。 その手がさっと振りかぶられて、僕は頬に熱い衝撃を感じて、その痛みで顔を押さえて蹲った。
ーフレイア!!
ー...サーシャ。 こいつを庇おうとするな。 ...いいか、お前の勝手な行動のせいで、私たち全員が死ぬところだった。 アルルゥの火傷を見ただろう。 ...私たち4人の命でなんとかなるなら、まだいい。この里に火が回ってたら、どうなっていたか、わかるか?
.........
ー...それでなくても、森の半分以上を失った、ミ族たちのことを考えてみろ。 ...あの森には生き物はいないが、それでも、流れる水や木は、彼らが生きていく上で欠かせない財産だ。 ...それが、一夜にして奪われた。 いいか、顔を背けてないで、私をちゃんと見ろ。
僕はフレイアに両肩を強く掴まれて、視線を彼女の顔に向ける。
ー......ベドウィンで、お前と...お前の友達に、何があったのかは知らん。 執政官に何を吹き込まれたのかも、私は知らん。 ...お前が、あの森の中で何を見ていたのかも、知らん。 ...それでも、お前がこれ以上勝手に行動して、あらゆるところで危険を撒き散らすなら...その前に、私はお前を、殺さざるを得なくなる。 ......本気だ。
僕を掴むフレイアの手に、痛いほど力が入る。 ...そうされなくても、僕には、彼女が本気であることはすぐに理解できた。 その目が、その声が、彼女の言った言葉に僅かな冗談も脅しも含まれていないことを、物語っていた。
ーフレイア!! やめて...レイには、もうそんなことはさせない。 目を離した私が悪かったの、全部、責任は私にあるから......
ー...サーシャ。 もう一度言うぞ。 庇おうとするな。 ...責任は私たちみんなに平等にあるし、誰かが誰かを庇える立場じゃないんだ。
そう言って、フレイアはようやく僕の肩から手を離して、サーシャと向かい合う。
ーや...やめてなのです...2人とも...誰も死ななかったし、みんな無事なら、アルルゥはそれでいいのです...。
アルルゥの泣きそうな声は、睨み合う2人の耳には届かない。 僕は、僕のために2人が諍う光景を、見ていられなくて顔を逸らした。自分がとても情けなくて...何もできないことが、辛かった。
そんな僕の耳元で、誰かがそっと囁いたような気がする。
「守るために、あえて、遠ざけるんだ。 意味がわかるよな?
...心を、許しすぎるなってことだよ。」
...それは、本当にもっともなことだった。
みんなはきっと...僕が杖を手に入れようとすることを、良しとしないだろう。 ...それは、世界の為でも、誰かのためでもなくって...ただ、みんな、僕を人殺しの、復讐者にはしたくないと、そう思ってくれているから。
...泣きそうになるくらいに、それは嬉しくて...辛いことだった。
耳元で囁く彼の声は、こうも言っている。正気を失えと。 ...正気でないことを成し遂げるには、正気であってはいけないと、彼はそう教えてくれた。 僕はまたお酒を飲もうとしたけど、それはもう僕の手元には無かった。
ー...酒と薬は、全部捨てておいたぞ。 ...そんなものに甘えているから、自分がどんどん自分じゃなくなっていくんだ。 ...それに、身体も壊すぞ。
ーレイ。 ...兄に何を言われたのか、私も知らない。 ...でも、絶対に、お酒と薬なんかに身を任せてちゃいけない。貴方が、どんどん貴方じゃなくなっていく。
2人の声は、厳しくて、...でも、僕を気遣っているのがわかった。
...僕は、だからこそ、みんなを遠ざけることしか、できなかった。
......うるさいな。 ....放っておいてくれよ。
ー...レイ?
...そもそもなんで、僕を探しに来たんだよ。 ...どうして、危険を冒してまで、夜にあの森を歩いてたんだ。 ...ネズミが死にそうだったからか? ...君たちは、君たちの目的を、粛々と果たせばいいだろ。 僕に、構うなよ。
ーレイ!! ...やめなさい、フレイアは、貴方を心から心配して...!!
だから、それが鬱陶しいって言ってるだろ!!
自分でも、びっくりするくらい大きな怒鳴り声だった。 サーシャがびくっと震えて、黙り込む。 黙って、僕を見つめる。
あの森でお前らが死のうが死ぬまいが、僕にはどっちでもいいんだ!! ...何があったかも知らないくせに、僕の後をノコノコつけて来て...それともなんだ、司令官殿、僕が君の犬だからか? ...犬の躾がなってないよな、司令官殿も。 あの森が仮に全部燃えてて、里まで広がってたら、困るのは君だろ? 自分の目的も果たせないばかりか、その責任は全部君に降りかかってくるんだからな。 ...司令官殿が、いみじくも自分で指摘したみたいにな。
僕の言葉に、誰も何も言わなかった。 ...みんな、黙って、僕の方を見つめている。怒っているのか、哀れんでいるのか、...心配しているのか、分からない。 ...できれば、怒っていてほしいと思う。
...僕には僕の、やらなきゃいけないことがある。 ...そのために、僕はここにいる。...わかったら、ネズミ、酒返せよ。 ...お前にはもったいないくらい、いいやつなんだ。辛気臭い顔のお説教聞いてるよりも、よっぽど落ち着く......
僕は言いながら、もう一度、今度はもっと強くフレイアに殴られるのを期待していた。...失望して欲しかった。 ...もう一緒にいたくないと、2人には、そう思っていて欲しかった。
だけど、僕の希望に反して、彼女は僕を殴らなかった。その代わりに、小さな白い塊が僕の胸に真っ直ぐ飛び込んできて、それから、僕をベッドの上に押し倒して、激しく揺さぶった。
ー...レイ!! ...それ以上言う事は、アルルゥが許さないのです!! アルルゥは、レイのことを悪いとは思ってないのです、きっと、あの街で何かがあって、それが...それが、胸の張り裂けるくらいに辛い事だったことしか、アルルゥには分からないのです。 ...でも、これ以上サーシャとフレイアのことを悪く言うのは、許さないのです!!!
彼女は大きな目に涙をいっぱいに溜めて、それが、零れ落ちて僕の頬を濡らす。
ー...お願いなのです...レイのことを、嫌いになりたくないのです......
部屋の中には、アルルゥのすすり泣く声をのぞいて、何も聞こえなかった。
...誰も、口を開かなかった。
少し経って、フレイアがアルルゥの小さな体を優しく抱きかかえて、そっと椅子に座らせる。
ー...レイ。
司令官殿が、静かに口を開く。
...何だよ。
ー......貴方が私のことを嫌いになろうが、憎もうが...今は、貴方は私の部下よ。 私が許可しないと、貴方は魔法は使えないし、これからは、目を離さない。 ...貴方1人で、勝手な行動はさせない。 分かったわね。
......なるほどね、次は、僕に何を燃やさせようって言うんだ?
ー...里の族長に会いにいくわ。 助けて頂いたお礼と...それに、ミ族の里の状況も知らなくてはならない。 アロハルト公爵が、なぜ私たちをここに嗾けたのか、それを探らなくては。 ...貴方も一緒に来るのよ。 レイ。
そう言って、彼女は僕に、着替えるように促した。 フレイアは何も言わずに、まだ泣き顔のアルルゥを連れて、部屋を出ていく。 部屋の中には、僕と、サーシャだけが取り残された。
...とりあえず、族長に会いに行かなきゃ話が進まないと思って、僕は大人しく着替えることにする。 僕が来ていた服は綺麗に洗われていて、その下に、彼女から貰った黒いローブも置かれている。 ...僕はそれに、袖を通さなかった。彼女も、それを見咎めなかった。
ー...レイ。
......だから、さっきから何だよ。
ー......ベドウィンで何があったか、教えてくれるかしら。
...お前には、関係ない。 ...帝国の人間だ。
ー...兄さんも、そうよ。
あの人は......
あの人は...何なんだろう。 僕は言葉を続けようとしたけど、何も思い浮かばない。 ...彼は、僕のせいじゃないと言ってくれた。 ...全ては、何もかもを狂わせた、帝国のせいだと。 それに復讐するための力のことも、僕に教えてくれた。
...少なくとも、お前たちよりも...僕のことを分かってくれてる。
僕は、そうとだけ返すのが、やっとだった。
************************
アルルゥは、私に連れられて部屋を出てから、もっと激しく泣き出した。 私は白くて、所々に火傷の痕が残るその小さな震える体を、優しく抱きしめてやる。
...アルルゥ。
ー...レイは...レイは...酷いのです......
彼女はそうとだけ呟いて、さらに激しく泣き出して、私の胸に顔を埋める。
......あのバカ。 嘘が、下手だからな。 ...何か隠してることが丸わかりだ。 アルルゥ。 ...お前まで、あいつのことを嫌いにならないでやってくれ。
彼女は、私の言葉を聞いて、それでも長い時間、泣き止まなかった。
レイが着替えてきて、サーシャと一緒に民家の外に出てくるのを、私とアルルゥは待った。 レイは私とアルルゥの方を見て、気まずそうに目を逸らす。 何かを言いたそうだったが、それをすんでのところで飲み込んでいた。
(......本当に、嘘が下手な奴だ)
そう思ったが、それを口に出すような空気でもなかったので、私は黙っておく。
里の案内役は、私が買って出る。 ...ここに来るのは、本当に久しぶりだった。 以前より少しだけ寂れたかもしれなかったが、素朴な背の低い木製の家も、柵の中で植っている野菜や花も、特に変わらなかった。
...ミ族の、里か。
私は呟いて、ふと、少しだけ高くなってる丘の上に目を止めて、立ち止まって見上げる。 木を組み合わせて作った、素朴な幾つもの墓標が、その丘の上に並んでいた。
ーフレイア。 きたことあるの?
サーシャがそう聞いてきて、私は頷く。
...何年も昔のことだ。 ミ族とファ族は...長い間、親しい関係だった。 ねずみとうさぎというのも、奇妙な組み合わせだがな。
私はそう返して、墓から目を背けて歩き出す。 ...その中には、私の知り合いも、友人も...将来を誓い合った彼も、いるはずだった。...それを見ていると、私は自分の過ちを、嫌でも思い出す。 ...ただ、これまで目を背けていただけで、その事実は、ずっと変わらずにここにあるのだ。
ー...ネズミ。 ...じゃ、お前の故郷も、近くにあるのか?
レイがそう聞いてきて、私は歩きながら彼女に返す。
......あったよ。 ...帝国に焼き払われて、今はもうないがな。
私はそれを言ってから、しまったと思った。 サーシャは帝国の人間なのだ。 ...私も、帝国が好きではないが、彼女のことは嫌いじゃない。
ー...ごめんなさい、フレイア。
...別に、お前のせいじゃない。 ...帝国の支配は、それほど強力なものじゃなかった。 ...この辺は、あの森に守られてるし、飛空艇ではあの森の魔力の上は飛べない。 ...奴らに戦いを吹っかけたのは、私たちの方だ。
ー昔、貴方達の一族と帝国の間で、激しい争いがあったのは知ってるけど...
...その時に、解放軍...と、私たちは呼んでたんだ...の、指揮を執っていたのが、私だ。 遠く離れたバナ族とも手を組んだし、アロハルトから、良質なミスリルの武器を仕入れてな。
私は少しだけ、腰に差していたサーベルの柄を撫でた。
......結局、私たちは追い込まれて、散り散りになって負けた。 アロハルトは頑として、私たちとの関わりを否定した。 ...アルルゥとは、その時からの付き合いだ。
ー...そのころは、アルルゥはまだ赤ん坊だったのです。だから、アルルゥは、この里には来た事がないのです。
レイが私たちの会話を聞いて、何か言いたそうに、ちょっと私の方を見て、それからすぐに目を逸らした。 ...徹底して、1人になるために嫌われるつもりらしい。
...そういうやり方しかできないから、こいつはアホで、不器用で...純粋すぎるのだ。
...もうすぐそこだ。 あの家が、族長の家だ。 ...私が覚えてる範囲ではな。
私は、あの夜にも、族長の家に来た事を思い出す。 ...彼は、族長の1人息子だった。
あの日の晩、私たちは、勝利の誓いと...全てが終わった後で、2人で一緒に暮らしていく事を約束して、それぞれの戦いに身を投じたのだ。
族長の家の前に、ミ族の兵士たちが何人か並んでいる。 ...戦士と言っても可愛らしいもので、歳こそアルルゥよりずっと上だろうが、顔立ちはそれほど変わらない。 歳を食うほど険しく、不機嫌そうにシワが寄っていく私たちファ族と違って、彼らはそれほど外見が変わる事がない。 ...その中の1人は、私の見知った顔だった。
ー...フレイアか。
......ミリナ。
彼女は相変わらず、他のミ族たちよりも、頭ひとつ飛び抜けて背が高かった。 ...白い体毛を覆い隠す鎖帷子も、ちょっと不釣り合いな、でも動きやすそうなブーツも、昔の通りだった。...ただ、その顔立ちは、ほんの少しだけ影が濃くなったように、私には思えた。
ー...お前たちが、燃えた森の中から、駆け出してきたのは聞いていたがな。 ...何の用だ。
...族長に、助けてもらった礼を言いたくて、な。
ー......それだけなら、別に構わん。 ...お前のことを、よく思ってない奴も多い。 あまり、迂闊に出歩かんことだな。 ......母様がどう思ってるかは、わからんがな。
...すまん。
私は帽子を脱いで、彼女に礼を返して、先頭に立って族長の家の中に入る。
...本当は、私を一番殺したいのは、彼女のはずだということも、よく分かっていた。
族長の家は、本当に、私が最後に訪れた、あの晩のままだった。 彼女は木を編んで作った柔らかそうな椅子に腰掛けて、眠る様に、静かに目を閉じていた。 ...もう、結構な年のはずだ。 私は彼女に、静かに挨拶をする。
...族長。 ...お久しぶりです。
彼女は、数秒経ってから目を開いて、ゆっくりと私たちの方を振り向いた。その目は、最初は私に注がれて、次にアルルゥ、サーシャと続いて...最後に、レイを見つめた。彼女は随分長い間、レイの中の何かを見定めようとするかの様に、小さな眼鏡の奥の少し白く濁った目で、何も言わずにレイを見つめていた。それが終わって、彼女はようやく口を開く。
ー...フレイア。 本当に、本当に久しぶりですね。 ...変わった人たちを、連れて来ましたね。貴方の、仲間ですか。
...はい。
ー...おかけなさい。4人とも。 今、お茶を用意させます。 ...貴方は、お酒の方がいい?
彼女は、レイに向かってそう呟いた。
ーえ、あ、....その、.....お茶が、いいです.....
よかった。 酒を要求してたら、さすがに殴り飛ばすところだったから。
私たちは、ひとつの丸い木のテーブルを囲んで、族長の使いが淹れてくれたお茶を飲む。 ミ族の里では昔からよく飲まれる、薬草を煎じて作られたお茶だった。苦くて、少し渋いけど、私はその香を嗅いでいると、心が落ち着いていくのが分かった。 ...他の3人は、苦すぎて顔をしかめそうになるのを必死に我慢していて、私はそれがおかしくて、少しだけ笑いそうになった。
ーお茶が苦かったら、どうぞお菓子をつまみなさい。
族長は私たちに、森で取れる小さな赤い木の実を砂糖漬けにしたお菓子を勧めてくれる。私は頂かなかったが、3人は手を伸ばしてつまむ。
...族長。 ...ありがとうございます。 私たちを、保護して頂いて。
私は彼女に礼を述べる。 彼女は黙って頷いて、それから自分でもお菓子をひとつつまんだ。
ーフレイア。 ...疲れ、傷ついている古い友人を助けることに、私たちには躊躇いはありません。 ...貴方が里の者にどう思われていようが...私の心は、貴方とキーファが誓い合った、あの夜から変わりません。 ...貴方は今でも、私の家族です。
......
私は思わず、涙を溢しそうになった。...それを悟られるのが嫌で、私は黙って頭を下げた。
ー私からも、お礼を言わせて下さい。
ーアルルゥからもなのです。ありがとうなのです!
ー......その、僕も.....ありがとうございました。
アホにしてはまあまあ上出来だったので、私は少し安心する。 族長はまた、交互に私たちの顔を見て、それから1人ずつと会話を始めた。
ー......ミ族の少女。 ...貴方が、アルルゥですね。
ーは、はいなのです。
アルルゥにしては珍しく、族長を前に、少し緊張してるみたいだった。
ー...貴方には、かわいそうなことをしましたね。 ...自分と関係のない戦火のせいで、貴方は住む家を失い、そして...親を失った。 フレイアが、燃え落ちる家の中から貴方を拾い上げて、共に旅立ったということは、ミリアからの話で聞いています。 ...アルルゥ。
ーどうしたのです...?
ー...優しい子に、育ちましたね。 貴方を見ているだけで、それがわかります。
アルルゥはそう言われて、どうしていいのかわからずに、少し照れた様にお茶を飲んで、それから苦くてまた咽せていた。
それから次に、彼女はサーシャに話しかける。
ー...銀の髪のお方。 ...お名前は、何と言うのですか。
ーは、はい...サーシャです。 ......サーシャ・マクラウド。 ...帝国の軍司令官です。
彼女は正直にそう名乗る。 ...愚かさとも取れるが、彼女は自らそれを分かった上で、そうしたのだ。 ...隠し通すことは、寧ろ失礼さに繋がると、そう判断したのだ。
ー......帝国。 マクラウド家の、人間ですか。 ...よく、正直に名乗ってくれましたね。 それを嬉しく思います。 ...帝国と私たちの間には、深くて暗い、横たわる断崖があります。 ...ですが、それを乗り越えて、貴方とフレイアが共にいることを、私は嬉しく思います。 ...それに。
ー...どうしたのですか?
ー......貴方が帝国の人間であり、ですが、実の故郷はそこにあらざることも、分かりますよ。 ...貴方は、あの人によく似ています。 ...昔、ここを訪れた、ユーリィという男に...とてもよく似ています。
ー兄上が...この里に?
ー......貴方から聞きたいことも、あるでしょう。 ...ですが、今はまず、貴方の隣の...魔導師の少女の話を、聞くことにしましょう。 ...彼女が求めているものが、貴方がここに来た理由を理解する助けになると、私はそう考えています。
サーシャは、全てを理解して、見通す様な族長の言葉に、喉から出かけた質問を飲み込んだ。...この人は、昔からそうだった。 不思議と、色々なものを理解している。 ...あるいは、私たちには見えない何かが、見えているのかもしれないと、私は昔からそう思っていた。
最後の質問は、レイに対して為された。
ー...貴方は、魔導師ですね。 ...強く、秘められた魔力の渦を、貴方の中に感じます。
族長は、一呼吸おいて、お茶を一口だけ口に含んだ。
ー森を燃やしたのは、貴方の魔法ですね。
私たちは息を飲んで、レイの方を見る。 ...まさか、そこまで見抜かれるとは、完全に予想外だった。 私は内心、相当まずいことになったと焦っていた。
ー......そう、です.......。
ー......そうしようと思って、したわけではない。 それは分かります、...ですが、あの森は私たちにとって、とても、とても大事なものです。 ...分かりますか。
私はレイが何か言う前に、族長に向かって深く頭を下げる。
...申し訳ありません。 ......私が、森の中で亡霊に襲われ、殺されかけていたところを、彼女は助けてくれたのです。 ...森を燃やした責任は、私にあります。 ...どうか、レイを、許してやって下さい。 必要であれば、償いは、私の......
ーフレイア。 ......誰かの命をもって償える問題ではないのです。 それに、そうすることで、起こってしまった事が変わるわけでもないのです。
...すみません。
ー......レイという名前なのですね。 ...レイ。 ...あの森に住む、喪われたものたちは、貴方が求めようとするものを知っています。 ...それを知っていて、止めようとしたのです。 私が貴方から感じるものと、同じものを彼らも感じたのです。 ......ケイリュオンの杖を手に入れて、貴方は何を望みますか。レイ。
私たちは、誰も何も口を挟まずに、レイの言葉を待つ。
...ケイリュオン? ...神話の御伽噺の中の杖?
...そんなものを、こいつは探してるのか?
やがて、彼女は静かに、口を開いた。
ー.........その杖の力が本物なのだとすれば......僕は、それをもって、帝国を滅ぼします。 ...そうしなければ、友達の...もういなくなってしまった、大切な友達の最後の望みが、叶えられない。
ー..........レイ..........
サーシャが、小さく消え入りそうな声で、そう呟いて、顔を伏せた。
ー......復讐を、望むのですか。 .........正直に話してくれて、ありがとう、レイ。 ......私はそれを、肯定もしませんが、否定もしません。 ......どうするかを決めるのは、貴方だけなのですから。 ケイリュオンの力は、実在します。 ...族長にだけ、語り継がれてきたことです。 レイ、貴方が本当に、望みを遂げる力を望むなら、この里からさらに東の、歴史に埋もれた遺跡に向かうのです。 ...そこに眠る、理力の塔を目指しなさい。
ー......理力の、塔?
ー......私は、親切から貴方に伝えているのではありません。 ...アロハルト公爵や、帝国の手の者が、いずれは塔を目指すでしょう。 ...森は、焼けました。 古い、喪われた王国の者たちの魔力で守られていたその地も、今となっては、妨げる力はありません。...貴方がケイリュオンを手に入れるのが、正しいのかどうかは分かりませんが。 ...確実に起こりうる戦火よりも、微かな望みを、私は抱いています。
ー...望み...望みって...なんですか...?
ー......貴方が、杖を断つものであることをです。 ...レイ。 ケイリュオンの力は強大で、本当のものです。 杖は、死と、生を、支配します。 ...手にすれば、貴方は、望みを果たすことが、できるでしょう。 ...ですが、それは貴方を、真に孤独へと誘うことになります。 ...そのことを、よく覚えていなさい。
ー...は....い.......。
...それで、私たちと族長の長い会話は終わった。
ーお茶を、もういっぱい、いかがですか? フレイア。
...私はぜひ頂きたいのですが。 ...子供たちには、少し苦すぎますね。
ー...おい、ネズミ。 ...僕はそんなに子供じゃないぞ。
......お前が、一番ガキなんだよ。
私とレイのやりとりを聞いて、族長はくすりと笑った。
ーそれでは、もう少し甘い紅茶を用意させましょうか。 ...フレイア。 ...少しだけ、奥で話があります。 お茶を淹れる間に、ついてきてくれませんか。
そう言われて、私は族長の肩に手を貸して支えて、家の裏手の庭へと向かった。
...話とは?
私は、よく整えられた裏手の庭と、奥に見える小高い山を見つめながら尋ねる。
ー...2つあります。 ...ひとつ。 あの子を、レイを......見守り、正しく導きなさい。 フレイア。 ...あの子のことを、憎からず想っていることは、貴方を見ていると分かります。
......あいつは、純粋すぎるのです。
ーそうですね。 ......貴方の様に。
.......私は.......
ー...ミリナは、今でも貴方を憎んでいます。 ...私は親として、あの子の憎しみを、解くことができなかった。 ...自分を恥ずかしく、愚かしく思います。 ...フレイア。 貴方にも分かるはずです。 人は、孤独のうちには生きていけないと。 ...誰かが側に寄り添って、初めて気づくこともあるのです。 ...貴方とアルルゥが、そうであるように。
...私には、怖くて、重いのです。 ...レイが復讐を心から望んでいるのだとすれば......その気持ちは、私にも、よく分かりますから。
ー昔の貴方にはね。 ...今の貴方は、どうでしょうか。 ......本当は、それは貴方でなくて、サーシャでも良いのかもしれない。 ...ですが、おそらく、それは出来なくなるでしょう。 私の耳が老いて、間違いであることを祈るのですが。
そう呟いて、彼女はふと空の方を見つめた。
青い、ひとつの曇りもない、青い空が広がっている。
...もう一つは、なんでしょうか。
ー......フレイア。 今でも、自分を責めていますか。
そう聞かれて、私は頷く。
......ええ。 ...今でも、過去に遡れたら、自分を殺したいと、そう思います。
ー......私は、貴方のことを責めていません。 ...息子は、デライラは、貴方と共に歩めて、幸せだったと......そのことを後悔することはないと、そう信じています。 ......ミリナを、どうか、救ってあげて下さい。 ......それが、私から貴方への、最後の頼みです。
..........
彼女は、そう言って家の中へと戻っていった。
私はしばらく、山と、その上にかかる青い空を見つめる。
......厳しく、重い役割を、託されたものだと思った。
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族長の家を出て、僕たちは元きた道を歩く。 ...族長に言われたことを、僕はずっと考えている。 彼女は言った、...僕が杖を断つことを、望んでいると。
......復讐を、帝国への復讐を、諦めろということなのか?
僕は1人で首を振って、前を見る。 ...フィアの後ろ姿は、僕に囁き続ける。
ー....来て。 ...レイ。 ......杖を手にして、私を、ここから助けて....。
かすれるような、何かに縋り付くようなその声を聞いているだけで、僕は変な思いを抱いていた自分が愚かしく思える。 ...僕のやるべきことはひとつだ。 ...それは、絶対に変わらない。 ...サーシャは、あれから何一つ喋らない。僕は、彼女に聞いてみようか迷う。
......僕が杖を手にして、帝国を滅ぼそうとすれば.....君は、どうするのかと。
彼女の故郷は、帝国ではないはずだった。 ...寧ろ、それを奪ったはずの帝国に、彼女は与している。だけど、彼女の兄であるはずの、ユーリィ執政官は言った。
...帝国を、決して許すなと。
僕たちは、黙ったまま元きた道を帰って、フレイアが見つめていた、墓地の丘まで戻ってくる。そのお墓の一つで、ミ族の女の人が、跪いて微かにすすり泣きながら何かを呟いているのを、僕は見つめた。
......あの人も、誰かを喪ったのかな。
誰に話すでもなく、僕はそう呟く。
ー......喪ってなければ、墓地には行かないわよ。 レイ。
サーシャがそう答えて、僕は彼女の方を振り向く。
......なあ。 ...君は、故郷を滅ぼされて、...復讐したくないのか?
僕はそう尋ねる。 ...それは、さっきから...いや、本当に、ずっと前から、彼女に尋ねたかったことだった。
ー..........帝国は、憎いわ。 ........けど、そこで生きてる人たちもいる。 .......戦火が一つでもこの世界から無くなれば........私は、その方が、いいことだと思う。
......理想論だな。
ー.......そうね。 ....ケイリュオンの杖よりも、もっと、御伽噺めいた話...。 ......でも、私は、そうやって歩いて行きたいの。 ......愚かだと、思うかしら。
...........別に...........。
僕たちは、立ち止まったまま話していた。
ふと、さっきまでお墓の前で祈っていたミ族の女の人が、お墓を離れて、僕たちの方へ近づいてくるのに気づく。 彼女は、僕たちに気付いて小さく頭を下げて、それから立ち去ろうとする。 ...どうしてだか、僕は、彼女の姿から、目が離せなかった。 ...彼女と僕は、会った事もない。 それは確かだ。 ...でも、彼女の顔は、僕が見た誰かに...誰かに、似ているような気がして、それがふと気になったのだ。
......あの......
彼女は立ち止まって、僕の方を振り返る。
......その、どこかで、お会いしましたっけ。
ー......いえ。 旅のお方ですか。 ...私は、貴方を知りませんし、おそらく、出会うはずもないでしょう。 ......その、私は、遠く離れた街で、奴隷だったのですから。
...奴隷?
ー......オラリアという街で。 ......話すようなことでもありませんが、何かのご縁だと思います。 ...オラリアは、亜人に対する差別の激しい、西の街です。 ...私はそこで、娘と共に、奴隷として別々の家で働いておりました。
僕の心臓が、早鐘を打つように、激しく鼓動する。
......オラリア......?
ー......娘は、そこで死にました。 ...何も、悪いことは、しなかったのに。 ......通りすがりの魔導師が、娘を救おうと魔法を使ったようなのですが......その魔導師は捕縛されて......娘の主人たちは、娘に、すべての憎しみを向けたのです。 ...私は、私の主人から聞かされて、そのことを知りました。 ...彼はある程度寛大なお方で、私を、娘の亡骸と共に、ここに帰る許可を与えてくれました.......。
そう言って、彼女はふと、お墓の方を見遣る。
..................し.....................ん.............だ................?
僕の息は、やがて荒くなっていく。 胸が苦しい。痛む。僕の心がという意味では無く、本当に、....何かに締めあげられるように、激しく、痛む。
ー......娘は......働き者の、いい子でした.........
..............ちがう..............
ー.....えっ?
誰かが、僕の肩を強く掴む。
ー...レイ!!! ...やめろ、それ以上聞くな!!!
.............ちがう...........だって............ちがう...........そんな.............そんな、こと..................
ー違いません、娘は、娘は....!!!!!
やめて......ちがう........僕は......僕は.......ただ.........
ー... どうして、貴方に違うと言えるのですか!? ...娘は...何も悪くないのに......魔導師さえ余計なことをしなければ、今でも.......今でも!!!!
お酒も薬も飲んでないのに...僕の視界は、歪んで...ねじれて....そんな世界の中で、彼女は嘆き続ける。
ーおお.....どうして.....なぜ、娘が.......私では無くて...........
...............ちが...........う..................
.....それで、僕の世界は、暗闇の中に包み込まれた。
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......どうしてだろう。 ...最近、何かあるたびに気絶してる気がする。 ...僕の身体が弱っているのか、それとも、心が...心のせいなのか、どちらかよくわからない。 ...あるいは、その両方かもしれない。
僕は、白い部屋の中の椅子に座っている。 椅子は座り心地が良くて、目の前の小さな硝子張りの机の上に、いい匂いのするお酒の入ったグラスと、小さなお菓子...チョコレートみたいなもの...を載せたお皿が乗っている。 でも、僕が今欲しいものは、お酒じゃ無くて水だった。喉が乾く。喉が首に張り付いて、罅割れる。 誰かに水を持ってきてもらおうと思ったけど、そこには誰もいなくて、代わりに僕の耳元で誰かが囁く。
ー...レイ。 「君は悪くない」。
僕はその声に、特に何も返事をしなかった。彼はそれでも囁き続ける。僕は悪くないと。
グラスに注がれたお酒を眺めていると、白かった部屋はやがて琥珀色に染まっていく。 何もかもが琥珀の中に閉じ込められた部屋の中で、フィアの背中が見える。彼女は、ずっと同じように僕に話し続ける。 憎しみを忘れるなと。 ...フィアを殺した...帝国を、滅ぼせと、そう僕に囁き続ける。
...フィア...水...あるかな...
嗄れた声で、やっとのことで僕はそう絞り出す。 でも、彼女はずっと、僕に背中を向けて立ったままで、何も答えてくれない。 僕はそれで理解する。 ...僕だけに、楽になるなと、彼女はそう背中で伝えているのだ。
僕の後ろで、誰かが泣いているのが聞こえる。 それは、小さな女の子の声だ。 彼女は、悲しくて泣いているのだ。 もう1人、別の誰かが、小さな女の子に言い聞かせている。
...お姉ちゃん。 ...どうして...どうして...私は悪くないのに.....
ー...レイ。 「貴方は悪くないわ」。
......じゃあ、どうして.....あの子は死んじゃったの.....?
ー.......貴方のせいじゃない。 ...仕方のないことなの。
それは、幼い頃の僕と、姉さんの声だった。 僕は振り向いてその姿を見ようとする。 でも、振り向いた先に2人の姿は無かった。 その代わりに、床には小さな体が転がっている。死体だった。その体は薄く汚れて、靴も履いていない。...ミ族の、亜人だった。奇妙にひしゃげたその小さな頭から零れ落ちる、少し黒っぽくて、所々にトロッとした茶色いものが混じった液体が、部屋の床を浸す。 ...やがてそれは、僕の足元から、踝までを覆い尽くす。早く、早くこの部屋から出なきゃいけない。 ...出なきゃいけないのに、僕の足は、椅子に座ったまま動かない。 ...それに、小さな死体から、僕は目を離せない。僕はふと、その小さな死体の顔が、自分の見覚えのある人であることに気づく。
.........アルルゥ............?
ーそうなのです。
彼女は、床に横たわったまま喋る。
........なんで.........どうして...........
ーアルルゥの主人に、殺されたのです。 ...でも、レイのせいではないのです。
.....ぇ.......ちが.........
ー違わないのです。 「レイは悪くないのです」。
ー...レイ。その通りよ。 「貴方は悪くないわ」。
姉さんが、アルルゥに同調して、そう僕に伝える。
........ぼ........ぼく............
ー違うの。レイ。自分を責めるのはよして。「貴方は、悪くないの」。
フィアも、姉さんと声を重ねる。
...違う...違う.....違う.......
僕は、それを否定したい。 ...否定して、消えて、いなくなりたい。 どうして誰も、僕を...
グラスを掴んで、それを床に叩きつける。 琥珀色のお酒が、床に零れ落ちて、それが黒に近い赤と茶色の混じったどろっとした液体の上に広がる。 それは混ざり合うことなく、床の上に広がる。密度が違いすぎるからだ。...僕は、液体の中から、割れたグラスの破片を取り上げる。 液体が付着して少し変色してるけど、それでも、この不確実な部屋の中で、僕にはそれだけが唯一信じられるもののように思えた。
......もう、なんでもよかった。
復讐も。杖も。...友達も。
........早く、この地獄から.......いなくなりたかった。
僕は、指の先で割れたグラスの欠片を、割れ目に沿ってなぞる。顔をしかめたくような鋭い痛みが走って、僕の人差し指の先端から、赤い血が零れ落ちる。その細い血の流れを見つめて、僕はようやく...やっと、理解できた。
......みんな、間違ってるんだ。
声に出して呟いてみると、それは実感を伴った、ひとつの事実として理解できる。
.........悪いのは.........悪いのは...........ぜんぶ.............
...本当に、それに気付くまで...いや、最初から、僕は多分ぜんぶ気付いてたんだと思う。 ...気付いてて、それで...目を逸らしたかった。それだけなのだ。
それを悟ってしまうと、自分のやるべきことが、やっと明確になった。
僕は、握り締めたグラスの破片を、左手の手首に向かって突き立てた。
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だけど、いつまでたっても痛みは訪れなかった。
血も、流れなかった。
僕が振り下ろそうとしたはずの右手と、掌に握ったガラスの破片は、誰か、別の人の腕で掴まれて、止められている。 どれだけ力を込めても、彼女は手を離してくれなかった。
ー...レイ! ...レイ!!!
...僕は、声のあるじを見る。 ...サーシャが、僕の腕を掴みながら、僕に向かって必死に呼びかけている。 部屋の扉が猛烈な勢いで開いて、それから僕は、入ってきた誰かに突き飛ばされて、グラスの破片を取り落とした。
ー...何か大きな音がしたと思えば...何してる、このアホ!!
フレイアが僕を見下ろしながら、険しい顔で僕を怒鳴りつける。
.....みん....な......
そこで僕はようやく、この部屋が、最初に僕が寝かされていた木製の民家の一室であることに気づく。
ーレイ!! ...血が出てるのです! 手当て、手当てするのです...!!
アルルゥが、慌てながら僕に駆け寄ってきて、グラスを握ってた右手を広げて、包帯を巻いてくれる。
ー......急に跳ね起きて、暴れ出したから、びっくりしたわよ...もう...。
サーシャは自分で自分の手を手当てしながら、荒い息を整えながら僕を見つめる。 アルルゥの手際は迅速で、僕の右手の掌は瞬く間に包帯でぐるぐる巻きにされた。
...アルルゥ...
ーはい、できたのです...レイ.......っ......!??
僕は彼女の白い体を、ギュッと強く抱きしめる。
...そのぬくもりを、鼓動を、僕は感じていたかった。 ...感じて、安心したかった。
アルルゥ...アルルゥ...! ...よかった...君が、死んでなくて.......。
ーれ、レイ...く、苦しいのです...アルルゥは生きてるのです、安心するのです...。
彼女がコホコホ咳込むのを見て、僕はようやく彼女を離した。
ごめん....
僕はアルルゥに謝る。 ...目を閉じても鮮明に思い出せるくらいに、僕の見ていた光景は鮮やかで、それに...真に迫るものだった。僕は、フレイアに尋ねる。
......フレイア。
ー...どうした。
.......オラリアの奴隷の女の子が、殺されたこと......お前、知ってたのか?
ー.......すまない。
謝って欲しいんじゃない! 知ってたのかって、聞いてるんだよ!!
僕は立ち上がって、フレイアに思わず掴みかかろうとした。 ...でも、それも、サーシャの手で止められる。
.....だからなんだよさっきから!! なんで、邪魔ばっかりするんだよ、お前!!
ー...レイ。 ...フレイアを責めるのはやめなさい。 ......時間が無いの。 いい、よく聞いて、ひとつだけ私と約束して。
サーシャが僕のそばにしゃがみ込んで、僕の顔を両手で包み込むように掴んで、自分の顔の方に向き合わせてくる。 ...その純粋な、曇りのない目を見て、僕は彼女が、本心から僕のことを心配していることを理解する。
...なんだよ。
ー...これから、もう私と貴方は、逢うことがないかもしれない。 ...だから、これはもう必要ないもの。
彼女は静かにそう言って、僕の魔力を封じていた、首輪をそっと外した。
...えっ? な、何、急に....
ー......約束して。 自分を傷つけないことを。 ...自分の力に飲まれないことを。...いなくなった人たちのためじゃなくて、今、自分が信じるもののために、力は使うものなの。 ...いい?
急にそう言われても、何がなんだかよくわからないままに、僕は頷いて返した。
ーよかった。 ...楽しかったわ。 貴方達と、一緒に旅ができて。 ...機会があれば、その時はまたよろしくね。レイ。
いや、だから、何、急に訳の分かんないことを...
サーシャは、僕から顔を背けて、ドアに向かって歩き出す。 僕は彼女を止めようとして立ち上がるけど、フレイアが僕を片手で制する。
ー...フレイア。 アルルゥ。 ...貴方達を巻き込んで、本当にごめんなさい。 ...レイのこと、お願いね。
ー......私の雇主はお前だからな。 貰った分は働くさ。
おい、待てよ、何お前らだけで話進めてるんだよ、待てよ...待てったら!!
サーシャが開いたドアから、廊下が見える。 そのさきに、帝国の鎧を着た兵士の姿が映って、彼らがサーシャの両手に硬い手枷をかけるのを見て、僕は自分でもわからないくらいに逆上して、魔法でそいつらを全員吹き飛ばしてやろうとする。でも、その言葉を唱える前に、フレイアの手が飛んできて、僕の顔を張り飛ばした。
ーレイ!! ...言われたそばから、お前は...!!
ふざけんなよ!! なんで、...なんで、こんなことになってんだ!! お前、なんで止めないんだ!!
ーお前が落ち着いて話を聞くなら説明してやる!! ...また、我を忘れて魔法を使うなら、私は今度こそお前を殺さざるを得なくなる! ...頼むから、私にそんなことをさせるな!!
帝国の兵達は、部屋に入ってくることはなかった。 ...サーシャを連れて、そのまま外に出ていく。 僕は彼女の後ろ姿を、ずっと目で追ってた。 .....なんで? ......どうして、こんなことになるんだ? ......ぜんぜん......何も、意味がわからない。
ー...レイ。 私とも約束しろ。 ...お前が丸1日、気を失ってた間に色々なことが起こった。 ...説明はしてやるから、決して、もう2度と、自殺紛いのマネはしないと、そう約束しろ。
.......それは.......
ー...できるか?
.........うん。
ー......椅子に座れ。 説明はちゃんとしてやるから。
僕は、椅子に腰掛けて、アルルゥとフレイアの顔を交互に見る。
ー...昨日の夜にな、帝国の軍が、この里にやってきた。 ...サーシャを反乱容疑で、軍司法局に拘束するためにだ。
フレイアはそう切り出して、昨夜の話を語り始める。
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私達は、気を失ったレイを背負って、族長に貸してもらった民家へと戻る。
...私は、うなされて何かよくわからないことをぶつぶつ呟いているレイをベッドに寝かせて、それから2人の方に向き直った。
...すまない。 ...オラリアの奴隷の件を、レイに黙っていたのは私の責任だ。
ー......でも、アルルゥも、それについては触れなかったのです。
ー...フレイア。 自分をあまり責めないで。 ...レイのことが心配。 立て続けに、ショックの大きいことが起こりすぎてる。
...目を覚ましたら、何をするか分からん。 私とサーシャで、交代で側についてるぞ。
私はそう言って、ため息をつく。 ...あの場で黙っていたことが、今、こういう形でレイを傷つけることになっている。 ...それは私の判断ミスだった。 あの時、私は無理にでも、こいつに真実を伝えておくべきだったのだ。 ...その場で傷つけたくなくて、結局は、最悪のタイミングで降りかかってくるとは、思いもよらなかった。
......早く、立ち直れよ。
私はまだうなされているレイの頭を少しだけ撫でて、それから、サーシャと今後のことを話し合おうとする。
サーシャ。 ...どうする?
ー...アロハルト公爵の目的が、あるいはケイリュオンを手に入れることだと仮定すれば、この地でミ族の反乱が起こるのは、彼を利することになるわね。
ーでも、アルルゥにはよく分からないのです。 ...夜森の魔力があると言っても、ここは帝国領なのです。そんなことが知られれば、アロハルトは帝国に正面からケンカを売ってる事になるのです。
......あるいは、そもそもバレる事前提でやってるか、だな。サーシャ。
ー...ええ。 ...いずれにせよ、彼の要求をそのまま飲むことは論外よ。 ...もう少し、状況を伺わなくては......
その時に、アルルゥの長い耳がピクッと震えた。
アルルゥ?
ー...空から、何か音が聞こえるのです。 ...飛空艇なのです。
ー飛空艇...? ...飛空艇は、夜森の上を通過できないはずじゃ...
......あの燃えた森には、もう侵入を妨げるほどの魔力は残ってないかもしれん。 ...私が外に出て、様子を見る。 サーシャとアルルゥはここにいて、レイを頼む。
私は念の為に、サーベルと弓を背中に背負って、部屋の外に出た。
空に浮かんでいるのは、アルルゥの言った通り、帝国の大型軍用機が1機と、小型機が5~6機ほど。 ...帝国の属領まで、それもこんな辺境まで出てくるにしては、随分と大掛かりな事だった。 私が見ている間に、軍用機は里の入り口の門の前に着陸し始めて、ハッチが開いて鎧と銃で武装した兵士たちが降りてくる。ミリナを先頭とするミ族の兵士たちは既に門の前で待機していて、帝国の兵を迎える準備をとっていた。私は彼女の様子を見て、かなりの不安を覚えて、近寄って忠告する。
ミリナ! ...帝国と構えるな! どうこうできる数じゃ無いぞ!!
ー...フレイア。 .....随分、臆病になったな。
違う、そういうことを言いたいんじゃ.....
ー安心しろ。 ただ迎えるだけだ。 ...もう、昔じゃ無いんだ。 ここは今、帝国の属領だ。
......すまん。
私は彼女の賢明な言葉を聞いて、頭を下げて、少し距離をとって彼らのやりとりを見守る。
やがて、大型の軍用機の中から、1人の銀髪の男と、それに付き従う女が、地面の上に降りた。 ...なるほど。 族長の言ってた通り、あれは確かにサーシャに似ている。
(...となると、あれが、噂の執政官殿か。 ...理由をつけてサーシャに会わなかった割には、随分と尻の軽いことだ。)
彼は、あくまで温和な笑みを浮かべた、私とそれほど歳の違わないであろう男性だった。
...だが、その笑みの影に、私は何か薄ら寒いものを感じる。 何か、違和感があるのだ。
彼は微笑んでいるし、特に争う気も無さそうに、出迎えたミリナと握手を交わす。 それはあくまで、友好的な風景だった。 私は注意深く、門の影に隠れてミリナと執政官の会話を聞く。
ー元気そうで何より。 ミリナ君。 ...ずいぶんかわいい兵隊さんたちだけど、鍛えられてて、怖そうだ。
ー里の精鋭達です。 ...お気をつけて。 揶揄うと、噛まれるだけじゃ済まないかも。
ー怖っ...注意しとく。 で、ねえ。 お茶でも呼ばれたいところだけどさ、そういう時間もあんまりなくってね。 ...妹が、この里にいるはずだ。 悪いけど、出してもらえるかい?
ー......確かに、サーシャ・マクラウド司令官はこの里に滞在なさってますが、どのような用事で?
ー...サーシャ司令官には、軍に対する反乱を企てた嫌疑で、司法局への出頭命令が出ています。 ......庇い立ては、お互いにとって良くない結果を招きます。
ミリナの言葉に返したのは、執政官の後ろに立っていた、白いローブに身を包んだ黒髪の女性だった。 ...多分、強力な魔導師だろう。
(...サーシャに、出頭命令だと。 ...いよいよバレたか?)
ーうん。 まあ、ばれたというか、そろそろ余計なことされたら困るようになってきたんだ。
私は執政官の言葉を聞いて、思わず心臓が止まりそうになった。
(私の心を...読んだのか!?)
ーうん。教えてくれるやつがいてさ。 ...門の影に隠れてないで、出てきなよ。 えーっと...君はフライヤ? ...フレイアだっけ? ごめん、一度聞いただけじゃ覚えられないタチでね。
私は首を振って、諦めて門の影から体を出して、彼の言葉に従う。
...フレイアだ。
ーああ、フライヤ。 ...うん? フレイア? ...なんかごめんな。 レイ君と、僕の健気な妹は元気にしてる?
......お前に話す理由は無い。
ーまあ、確かにそりゃそうか...。 正論だな。 で、サーシャは君と一緒にいるんだろ? ...ああ、あの民家? ずいぶん背が低いけど...まあ、ミ族の身長に合わせてるのか。 頭、ぶつけないようにしなきゃな。 こっちに渡して欲しいんだけどさ、構わない?
......拒んだら、どうなるんだ。
ーうーん...あんまり良くない結果になるんじゃないかな。
...仲間を、売る気は無い。
ーああ、...うーん。 困ったな。 僕の隣のお姉さんは結構怖いからさ。 ...君が死ぬ事になったら、サーシャも責任感じると思うし...それに、もしかすると、森を燃やした誰かさんにも、類が及ぶかもしれないかな。そういえばさ、中でスヤスヤ安らかに寝てるレイ君はさ...どう思うんだろうな? 泣いちゃうかな? けっこう、君のことを大事に思ってるみたいだけどな?
うーん、でも、もしかすると、ネズミは嫌いになっちゃったかな? ねえ、下水道のネズミの話、聞きたい?
......そうやって、レイを誑かしたか。...クズ野郎。
ただ、状況は確かに...この男の言う通りだった。 ...私1人が争ったとて、どうにかなる状況じゃない。 ...どうしたものか。
ただ、結局、私が思い悩む暇は無くなった。
民家の扉が開く音が聞こえて、私は振り返る。 サーシャが、自分で民家から出てきて、こっちに歩いてきたのだ。 私は彼女に小声で忠告する。
おい!! ...やめろ、行くな!
ー...アルルゥが、会話を教えてくれた。...フレイア。 ...私に構わないで、抵抗しないで。...私が行かなければ、兄様はレイを捕らえるつもりよ。 ...いい、まだ、私と交わした仕事上の契約は、有効のはずね?
......ああ、だが.....
ー...フレイア。 ...レイを守って。 あの子がどんな選択をしようとも...それを見届けて。
彼女はそう言って、私との会話を打ち切って、自ら兄の前に進み出て、小さく頭を下げた。
ー......兄様。 お久しぶりです。
ーおいおい、ずいぶんカタいな。 別に何も、とっ捕まえて死刑にしようってわけじゃないんだ。 そんな事は、僕が許さないからな...。 ...ただ、まあ、アロハルトの狸爺さんと勝手に交渉したのは、ちょっといただけないな。
ー...どうして、それを......?
ーああ...、まあな、サーシャ、君にはほんっとーーーに悪いんだけどさ。 頑張って、危険を冒して、戦争を止めようとしてくれてさ...兄としては、立派に自立してくれて嬉しいやら、ちょっと反抗的になって悲しいやら...なあ、ティア司令官、僕の気持ち、分かってくれるよな? 君にも、かわいーーーい妹がいるもんな。 ...ん? 何の話だっけ? ...ああ、アロハルト爺さんの話だっけ...。あの爺さんな、君と話すよりずーーっと先に、僕と交渉してたんだよ。サーシャ、世界って残酷なんだけどさ、あいつ、非戦派どころか、むしろバリバリ戦争おっぱじめる気満々なんだぜ。 ...自分のためだけどな。 開戦したら、いち早くオラリア領だけ降伏して、帝国に侵略拠点と補給拠点を提供する気なわけだ。 それで、自分の本国の方には、手っ取り早くボロカスに負けてもらうと...。 で、恩だけ売っといて、その見返りにオラリアの自治は認めてもらいます、と。
ー.......では、何故......公爵は、私達をここに......
ーだからあいつは狸なんだって...もう。 フライヤ...あ、ごめん、フレイア。 教えてやれよ、サーシャに。 ...君もさ、昔、ずいぶんと手酷い経験をしてるんだろ?
......癪な奴だ。 どう言う原理か魔法か分からんが、いちいちこっちの考えを読み取る。
...ジジイとしては、私達が万一あいつの話通りに、ミ族の反乱を扇動すれば、それをオルタマイア本国の工作のせいとして押し付けて、手っ取り早く帝国側を開戦に向かわせられる。 ...杖のことを知ってたかどうかは知らんが。 ......お前に情報を流したのも、あのジジイだな。
ーまあ、そうだな。 と言うか、あのジジイ、多分杖のこと知ってるな。 あわよくば、君たちを誘導して、自分が手に入れるつもりだったのかもな。 ...まあ、あいつのことは別にどうでもいいよな。 あいつとしては僕に恩をひとつ売ってるわけだし、僕も爺さんのことをこれ以上追求するつもりも特にないからな。悪いけどさ、サーシャ。 ...一緒に帰ろうよ。
サーシャは黙って、彼の目を見続けて、それから答える。
ー...従います。 ...ですが、一夜の猶予を頂けませんか。
ー......君も、フレイアも、ずいぶんとレイ君に肩入れするよな。 まあいいか。一応、今はまだ君の部下だからな。最後のお別れくらい言うのは、まあ別にいいよ。...ティア、僕はもう飛空艇の中で休むからさ。 君も今日は適当に観光してくれていいぞ。 ...別にいいって? ああ、そう。 まあ、ウサギの匂いって好き好み分かれるからな...あ、ミリナ、ごめん、君の匂いは嫌いじゃないぞ。 それに僕はな、どっちかって言うと...
そう言って、執政官「殿」は、私の顔を見た。
ーネズミの臭いの方が、苦手かもな。
......相容れないな。お互いに。
彼は私の横まで歩いてきて、私だけに聞こえるように、小さく囁く。
ー...そういえばな、レイ君のお友達さ...ベドウィンの下水道に死体になって棄てられて、可愛いネズミちゃんにチューチュー吸われたらしいな。 ...君のこと、嫌いになってないといいけどなぁ。 ...お酒は程々にするように、君から言っといた方がいいかもね。 酔っ払っちゃうと、思い出して想像しちゃうかもしれないからな...大切なお友達の姿を、さ。
........吐き気のする奴だな、お前。 ......2度と、レイに近づくな。
ー内心ちょっと気にしてるのも、可愛いところあるよな、君も。
彼はそう言って、私の側から離れて、飛空艇の中へと戻っていった。
兵士たちは全員引き上げたけど、執政官「殿」に付き従っていた女だけは、戻らずに、私とサーシャの方へ近寄ってくる。
......とすると、あんたが、レイの姉か。
私がそう呟くと、彼女は頷いて、私たちと対峙する。 ...特に敵意は感じられなかったが、私は直感的に脅威を感じる。 ...とてもじゃないが、戦ってどうこうできる相手じゃない。
ー...レイは、妹は、大丈夫ですか。
......あんたの飼い主に、ロクでもないことを吹き込まれたお陰でな。
そう返すと、彼女は黙って、私とサーシャに頭を下げた。
ー......妹は、ケイリュオンを探しに行こうとしているのですか。
...ああ。
ー........レイのことを、お願いします。
......あんたも、あの子に、復讐を果たしてほしいと...思うのか。
私が尋ねると、彼女は黙って、一度だけ、ほんの短い間だけ、青い空を見上げた。
ー......あの子に、そんな重荷を背負わせたくありません。 ...成し遂げるのは、私1人で十分です。 .....私だけが、やればいいんです。
...あんたも、......あの執政官も、目的は同じなのか。
私の言葉に、彼女は黙って頷いた。
ー......兄は......戦火を望み、その中で...帝国の破滅を、願っていると?
ー...その通りです。 ...あの方は、それだけを考えて、それだけを望んで、歩いています。
どういう方法で、そうするつもりだ。
ー......そこまで教える義務は、ありません。 ...レイが杖を手に入れることは、彼にとって、願ってもない好都合なのです。 ...彼は、手段はどうでもいいのです。 ...ただ、帝国の破滅だけを、願っている。
レイの姉は、そこで会話を打ち切った。
明日の昼に、お迎えに上がります。
サーシャにそうとだけ言って、彼女は飛空挺へと戻っていった。
(第9話終わり)