※実在の地名、人物とは一切関係しません。
あくまで創作の中での話です。
※未成年の飲酒・喫煙は、法律で固く禁じられています。
(第12話)
太陽が上に登って、テントの布を超えて日光が差し込む。 それが眩しくて、僕はようやく目を開けて、体を起こしてゆっくりと大きく伸びをする。サーシャはもう起きていて、先に休んでいた2人に混じってお茶を飲みながらくつろいでいる。
ーおはよう。ずいぶん、早起きだな。
フレイアの言葉に、僕はもうずいぶん上に昇った太陽を目元を隠しながら仰ぎ見て、やれやれと肩を竦めた。
...魔法を使うと、疲れるんだよ。
僕はサーシャの隣に座って、彼女が手渡してくれた爽やかな匂いのするお茶を飲む。
ーレイも起きたし...みんな、あらためて、ありがとう。
ー久々に4人で揃えて、アルルゥは嬉しいのです。 しっくりくるのです。
で、あの豚、どうすんだよ。 なんだかんだで連れて来ちゃったけど...
僕は少し離れたところで、安らかとは言えなさそうな眠りについたままの豚を遠目に見ながら尋ねる。
ー人質にするのです!! アルルゥの案なのです!
ー...物騒なことだけど、彼は人質には使えないわ。 兄さんからは、ほとんど相手にされてなかったし...。
ーまあ、使い道はなくはないさ。
フレイアはそう呟いて、僕たちについてくるように言って、豚の寝ぐらまで歩いていく。
ー...おい。 起きろ、豚。
彼女は乱雑に、硬いブーツの底で彼の腹を蹴り上げて、無理やり眠りから起こす。 それはもう乱雑な扱い方だった。 彼は起きて、顔を顰めながら順に僕たちを見回して、それからまた青白い顔になって後ずさる。極めて無情なことに、フレイアはすでに剣を抜いていた。彼女は銀の刀身を豚さんの首の根本にそっと押し付けて、囁くような低い声で言う。
ーいいか、今からいうことをよく聞いて、了解したら首を縦に振れ。 拒否するなら横だ。縦ならそのまま見逃してやるし、横に振ったら、お前の首が落ちることになる。
(...じゃあ、最初から拒否権無いだろ。)
僕は内心そう思ったけど、とりあえず言わないでおいた。
ー私たちは、今からユーリィに喧嘩を売りにいく。 あいつの引き起こそうとしてる戦争を、未然に防ぐためにだ。あいつはオルタマイアとの戦争をズルズル長引かせて、その間に占領下にある各国での反乱を引き起こし、帝国を狙わせる。わかるか? あいつが潰そうとしてるのは、オルタマイアじゃなくて、お前が住んでる国だ。...お前は今から、一目散に帝国に帰って、その事実を漏らさず軍部と内閣に伝えてこい。豚の言うことを直ぐに信じるとは思わんが、ユーリィにとって何らかの懸念材料くらいにはなるかもしれん。
豚は、フレイアの話を聞いて、それからほとんど泣きながら首を縦に振った。
ー...よし。 さっさと行け。 山沿いに東に進むと、モスカの街がある。 そこから飛空挺に乗れ。 わかったら、その臭い体臭を撒き散らさないうちに、早く消えろ。
彼が縛られたまま一目散に走ってゆくのを見て、僕は、なるほど、豚も命の危険を感じたらそれなりに早く走れるんだと、妙なところで感心した。
ーさて...と。 サーシャ、お前の兄貴は、どの辺に軍を展開しようとしてる?
ー多分、オランの港町付近だと思う。 あそこなら、名目上オラリアを占領するまで、船も使って物資を補給できるから。
飛空艇でパーッとやっちゃわないのか?
ー搭載量に限界があるのよ。大量に効率良く食料や武器を移動させるには、船の方が効率が良いの。あのあたりの海路は、帝国が抑えているから。
ーそれくらい分かれよ、ガキ。
...悪かったな。
ーユーリィも、オランにいるのです?
ー...多分。 兄は飛空艇母艦...[ノア]に搭乗しているはずよ。 私たちが乗って来た帝国の飛空艇なら、母艦にも潜入できると思う。
ーじゃあ、やることは決まったな。
フレイアが頷いて、僕たちもそれぞれに頷き返す。
テントを畳んで、それぞれが出発の準備を整える中で、僕はサーシャに尋ねてみる。
...なあ。サーシャ。
ーどうしたの?
......僕たちが仮に、ユーリィに逢えたとして...それで、戦争は止まるのかな?
サーシャは、それについてしばらく考えて、何も答えなかった。
テントをすっかり畳み終わって、僕が自分の荷物を整理していると、サーシャはやがて重い口を開いた。
ー...説得には応じないかもしれない。 ...もしそうなったら....
彼女は、自分の剣の柄を、そっと握り締めた。
...あんまり、思い詰めるなよ。 何とかなるさ。
ー.....そうだと思いたいわ。
出発の前に、僕はみんなに呼びかけて、最後にもういっぱいだけお茶を淹れる。
ーどういう風の吹き回しだ?
...別に。 ただ、飲みたくなっただけさ。
僕は順々に、温かいお茶をカップに注いで、みんなに手渡す。...これが最後になるかもしれないからとは、思ってはいたけど、口には出さなかった。 ...口に出してしまったら、それが本当になりそうな気がしたから。
僕はふと思い出して、サーシャに尋ねる。
サーシャ。 ...あの首輪、まだ持ってる?
ー別に、まだあるけど...もういらないでしょ?
...持っておきたいんだ。 僕にくれないかな?
どうしてそんなことを言ったのか、自分でもよくわからなかった。 手渡された無機質な首輪の感触を、僕はお茶で暖まった掌の上で感じる。
...あれから、本当に、いろんなことがあった気がする。
良いことも、そうでないことも。
...僕は、そのなかで少しは、変われたんだろうか?
首輪をローブの内ポケットにしまう僕を、サーシャ達が変な目で見ていた。
ー...何だお前、その、そういう縛られたい系の願望があるのか?
...そういうわけじゃない。 ただ、繋がりを感じていたいだけ。
ーああ...まあ、そういう奴も世の中にはいるよな。
話聞けよ、お前...。
ーレイ...やっぱり、あなたそういう系の...まあ、貴方が貸してくれた本も、確かに結構過激というか...
その話はもう良いだろ!!
ーアルルゥもやっぱり読みたいのです!!
ーだめだ。 ところどころエロいからな。
はぁ...。
僕はみんなの好き勝手な話を止めるのは諦めて、お茶を飲んだ。
それから、みんなの顔を見て言った。
サーシャ。 フレイア。 アルルゥ。 ....ありがとう。
ーん?
ーえ?
ーいきなりなのです?
まあ、一応...その....みんながいてくれなかったら、僕は多分、ここまで来れなかったから。 ...みんながいてくれたから、僕はここにいる。
みんな一瞬ぽかんとした顔で僕を見つめて、それから、フレイアが肩を竦めて言った。
ーはぁ...いきなり何を言い出すかと思ったら。 まあ、飲んだくれの、非行に走って色々拗らせてたお子様の介護は、だいぶ大変だった。
...それは、ごめん。
ー.....けど、まあ、こういうのも、たまには悪くない。
ーフレイアは照れ屋なのです!!
ー...それはもういい、アルルゥ。
次に、アルルゥが口を開いて、僕に話しかけてくれる。
ーアルルゥは、最初、レイのことを、くらーーくて、無愛想で、なんかとっつきにくくて、ちょっと中二病的な気がある子だと思ってたのです。
...結構、イメージ悪かったんだな、僕。
ーでも、一緒にいるうちに、アルルゥは気づいたのです。 レイは本当は、素直で、とーっても優しいのです。 だから、これからもよろしくなのです!
そうだね。 ...僕も、頼りにしてる。
ーレイ。
ん?
ー...私、貴方と最初に会った時はね、けっこう怖かったの。 ...ずっと睨んでたし、生活も堕落し切ってたし...そう言えば、煙草とお酒、もうやめたの?
ああ、まあ...最近は飲んでないし、吸ってない。
ーよかった。 これからの健康を考えて、そうしておきなさい。
なんか...保護者みたいだな、君は。
僕が少し微笑んでそう返すと、サーシャも笑った。 それを見て、フレイアと、アルルゥも優しく微笑んでいた。
ー手のかかるガキだよ。 お前は。
ーアルルゥよりも、精神的には子供なのです!!
ー...貴方って、時々ものすごくはっきり言うわね、アルルゥ...
僕はちょっと言い出しにくかったけど、この際だから、躊躇いながらも言ってみた。
その...これからも、一緒にいて構わないかな?
3人は顔を見合わせて、また、おかしそうに笑った。
それから、サーシャが僕の問いに答える。
ー...みんな、ここまで一緒に来たの。最初は、こんなに長くなるとは思わなかったけど。 だから、これからも、一緒に行くのよ。
サーシャの言葉に、僕も、みんなも頷いた。
眩しくてふと空を見上げると、そこには、雲ひとつない、澄み切った青空が広がっていた。
************************
僕はアロハルト爺さんとの簡単な会話を終えて、[ノア]のフロート・デッキに登って、コーヒーを飲みながら、青い空と、その下に広がる美しい森林の風景を見渡す。雲ひとつない、目に染み込むくらいに青い空だったけど、僕の目には、どうしてもその空は、どこまでも濁った灰色にしか見えなかった。 理解はできるのだ。空は青くて、澄んでいると。けど、僕の心が、そう感じていないのだ。
...つまらない人間になったよな。僕も。
僕は、後ろについているはずの王様に向かって言う。 ...彼が何故、ここまで僕について来ているのかはよくわからなかったし、彼の過去に何があったのかも、最早、それほど興味のない話だった。
ー君がつまらないのか。 ...あるいは、この世界自体が、そういうものなのかもしれない。
君も、ケイリュオンで人を殺しまくってた時は、空が灰色に見えた?
ー......さあな。 もう、ほとんど忘れたよ。 ずいぶんと、昔のことだからな。 そのころも、形と言語は違えど、今とほとんど、人のやってることは変わらない。
どういうことなのかな?
ー憎しみと差別、そして、恐怖だけが、人間の本質だったということさ。
彼の言った言葉について、僕は考えてみる。...考えれば考えるほど、それは、ある一面の真理を、的確に表しているように思えた。 この美しい森と山、谷に囲われた風光明媚な街の中で、人間はお互いを愛し、子供を愛し、そして、亜人を奴隷として扱うのだ。僕は別に、亜人のことが好きでも嫌いでもなかったけど、それは少なくとも不公平なように思えた。
僕は、少し話題を変えてみる。
ねえ、君はさ。 今では幽霊みたいなもんだって言ってたよな。 ...ケイリュオンを使うと、誰でもそうなるのか?
ー...そうだ。 杖の力の代償だ。 永遠に、留まり続けるんだよ。
なるほどねえ。 ...レイ君は、図らずともそれを回避したわけだ。
ーただ、彼女は、まだ幼い。 幼すぎるが故に、まだわからない。 力無きものには、この世界で起こりうる大きな流れを、変えることなど出来はしないと。
...そうだな。 これから、いっぱい死ぬからな。
僕は、[ノア]のフロートデッキを降りて、それからティア司令官と簡単に会話を交わす。
ー先ほど、帝国は正式に、オルタマイアと交戦状態に入りました。 オラリアの地上部隊と魔導師団が、周囲に展開され始めています。
可哀想な奴らだよな。 出来レースだってのに。
ー...では、アロハルト公爵は?
爺さんから入電があった。 ある程度戦局が不利になる頃を見計らって、オラリアは降伏する予定だ。 狡猾で、打算的で、...愚かな爺さんだな。
ー...帝国が追い込まれることは、彼にとっては予想だにしていないことでしょうね。全て、順調に進んでいます。 内々ですが、既に、帝国本土と国境を面するいくつかの国では、反乱戦のための軍備が整っています。
僕は、そうか、君が頑張ってくれたからな、そう返す。
その後で、2人並んで司令室に向かう途中に、僕はティア君にまた話しかけた。
君が僕を殺す準備も、もうすぐ整うというわけだ。
ティア君は、それを聞いても、特に何も言わなかった。 お互い、そのことは承知の上で、こうして手を組んでいたのだ。 面と向かって、口に出したことはなかったけど。
ー...貴方とは、まだ今のところは、目的を共にしています。
今のところは、ね。
ー......正直に言うと、貴方のことが、今でも怖く思えます。 ...貴方は、もう、帝国への復讐など望んでいない。 ...ただ、できるだけ多くの人の死と、憎しみ合う光景を、その目で見たいだけの、破綻者です。
正直だな。 でも、合ってると思う。 国を棄てて、妹と離れて、それでも復讐だけを胸に抱き続ける君の方が、まともな人間だと思うよ。 ...話は変わるけどさ、この母艦が、どうして[ノア]って名前なのか知ってるか?
ー...いえ。
ずーっと昔にな、僕の故郷の国を救った、偉大な？王女の名前なんだよ。まだこの母艦が建造中にな、名前を決める段になって、僕が無理やりねじ込んだんだ。もちろん、由来は言わずにな。 ...いつか、この船が、帝国を滅ぼすための最大の兵器になると、そう願って、名前をつけたんだ。 今は、どうだろうな。 夢が叶ったのかどうか、よくわからないな。
ー...叶いますよ。 今、これから。
そうだといいな。 叶った後で、どうなるんだろうな。 僕は君に内臓ぶちまけられて殺されるとして、君はどうなるんだろうな。 ねえ、ティア・オーデル司令官。 ...君の愛しい妹は、復讐を選んだ君を、もう一度受け入れてくれるのかな。 それとも...ねえ?
僕は試しにそう言ってみたけど、ティア君は、僕を無視して何も返さなかった。
ただ、その拳が硬く握られて、少し震えていることに、僕は気付く。
(...まだまだ、まともだねえ。 君も。 そんなことだから、君は最初から、杖に選ばれなかったのさ。)
そう思ったけど、なんとなく空気が悪くなりすぎそうだったので、僕は口には出さなかった。
************************
サーシャが若干おっかなびっくり気味に運転する飛空艇に乗って、僕たちは青い空を抜けて、港へと向かう。アルルゥは何故かまた助手席にしっかり座っていて、何語かよくわからないけど陽気な歌を歌ってる。
アルルゥ、ちなみに、それ何の歌なの?
ーとても、とーーーっても古い歌なのです。 フレイアが昔、よく子守唄に聞かせてくれたのです!! 今は、サーシャの緊張を和らげるために歌っているのです!!
...そうなのか? フレイア。...いい話だけど、子守唄にはどうなんだろうな?
それはどちらかと言うと、子守唄にしてはずいぶんテンポが早くて、ノリのいい歌のように僕には思えた。
ー......まあ、これくらいしか知らなかったんだ。 古代の歌だよ。
ちなみに、サーシャ。緊張は解ける?
ー...ありがたいんだけど、今は落ちないように運転するのでいっぱいいっぱいで、よくわからないわ。 ...無事帰れたら、耳をすましてよく聴いてみる。
ーそれがいいのです、自分で言うのも何なのですが、アルルゥは美声なのです!
...まあ、応援歌にはちょうどいいと思うよ。
ーアルルゥは、応援する係なのです!!
ーもう...心配だから、これ持っときなさい。 アルルゥ。
サーシャはそう言って、片手で、腰に下げていた自分の短剣を、アルルゥに渡した。それは、銀の鞘に収められた、小さなナイフだった。柄に、蛇と蔦の紋章が彫られている。
ーありがとうなのです!! ...でも、アルルゥは、剣が使えないのです...
ーお守りよ。 私の家に古くから伝わる、旅の安全を、お祈りするお守り。
ー...まあ、応援も無いと、困るからな。 ...おい、サーシャ。 港の上空には艦隊はいないぞ。
ー...思いの外、早くオラリア付近まで展開してるのかも。 急ぐわよ!
...丁寧に運転してくれよ。 頼むから。 着くまでに死にたく無い。
ー着いてから、帰ってくるまで、だ。 バカ。
フレイアが、そう言って軽く僕の頭を撫でた。
しばらく飛んだ時に、サーシャが前方を見据えて、僕たちに告げる。
ー帝国の艦隊よ。 ...[ノア]を中心に、大量に展開してる。
僕も、フロントの窓を身を乗り出して覗き込んで、小さな黒い粒みたいなその大群を見る。空の上を飛んでるアリの大群みたいで、けっこう奇妙だ。
...あんなのの中に、今から突っ込むのか? 撃ち落とされないよな?
ー味方機に移るはずだから、即座に撃墜されることはないはずだけど...。
ー怖気付いたか?
誰が。 ...見えたぞ、あれが[ノア]か?
僕は、だんだんとはっきり輪郭が見えてくる、そのバカでかい空中母艦の姿を見つめる。それは、灰色の鯨の頭のようにも見える、少し出っ張った半円形の巨大な母艦だった。 その辺に浮かんでる飛空艇が、本当に鯨に対する小魚に見えるほど、それは巨大だった。その歪な鯨の頭の後ろから、無数の不揃いな翼のようなものが展開されている。
ーちなみに、レイの魔法で、こっからパーっと何とかなんないのですか?
...さすがにムリ。 どんだけデカいんだよ。
ー常に、魔法障壁で覆われてるわ。 悪天候にも魔法の嵐にもビクともしない。 空中発着用のデッキがあるはずだから、そこから中に入るわよ。
ー...中に入ったら、うじゃうじゃ帝国兵がいるわけだ。 そこに4人で突っ込もうってんだから、まあ正気の沙汰じゃないな。
ー侵入したら、レイの魔法でスパーっとやっちゃうのです!!
ー頼りにしてるわよ。 レイ。
...できるだけ、頑張るよ。 ...多分、姉さんも乗ってるけどな。
僕は、多分ノアの中にいるはずであろう、姉さんのことを思う。 ...姉さんは、帝国を滅ぼすという目的のもとに、ユーリィと行動を共にしているのだろうか。 ...国を棄てて、望まぬ服従を選んでまで、それでもなお、姉さんは...復讐しようとしてるんだろうか。
...バカ。
僕は、誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
[ノア]の発着用デッキへの着陸は、サーシャにしては相当慎重だった。 何人かの帝国兵が、既にデッキに待機している。多分、僕たちの所属や、着艦の目的を聞きたいんだろう。
...ごめん。 相手してる暇無いんだ。
僕はハッチが開いたと同時に、彼らに対して紫の雷を放つ。 それは鎧に遮られて、彼らの動きを痺れで少し鈍らせる程度にしか効果がなかったけど、それでもフレイアが走り近づいて、彼らの首筋に手刀を振り下ろすには十分すぎる時間だった。
ー...よし。 行くぞ。 ユーリィはどこにいる?
ー司令室だと思う。 ...悪いんだけど、あまりノアの中の構造までは、覚えきれてないの。 ここはだいぶ下だから、右上の方だと思うけど...
ーアルルゥに任せるのです! 中に入ったら、声で大体分かるのです!!
...ほんとすごいよな、アルルゥは。
ー褒めても何も出ないのです!! でも嬉しいのです!!
そんな会話をしている途中で、ノアの周りの空を飛んでいた無数の飛空艇が、ある指向性をとって、半分以上下降し始める。 何か、アリの大群が標的を見つけたみたいに。
ー...始まるな。 そろそろ。 私たちも急ぐぞ。
僕たちは、扉を開けて、ノアの中に入る。
鯨の頭みたいな無機質な外見からは想像できないくらいに、中は綺麗だった。
白いタイルがはめ込まれた壁で覆われた廊下が、幾つも枝分かれして、長く続いている。 ...こんな時だけど、その均整で汚れのない通路を走り抜けるうちに、僕はそれをとても綺麗だと思った。
サーシャがキョロキョロしてる僕を見て、少しおかしそうに言う。
ー...この船は、内装にも結構こだわってるの。いかにも機械むき出しの無機質さだと、兵士の士気にも影響するでしょ。 休憩所も、ちょっとしたレストランとか、バーみたいなのもある。
いいね。 機会があったら住んでみたいよ。
ー...[ノア]という名前は、シュラーフの人にとっては特別なものなの。 ずっと昔に、国を救って、再度の独立まで導いた偉大な？王女の名前。 自由の象徴なの。
自由...か。
...それは、僕が手にしようと思っても、いつも、掌をすり抜けて零れ落ちる水みたいに、すぐになくなってしまう概念だった。 ...帝国に支配されたベドウィンで、僕はずっと、それを手に入れたかった。 けど、不思議なことに、あれほど求め続けて、逆らい続けて、憎み続けても手に入らなかった自由を、今僕は、手にしていることに気付いた。
(...どうしてなのかな。)
考えても、それは何故なのか分からなかった。
ー...兄さんは、この船を、自由の象徴にしたかったのかもしれない。 ...いずれは帝国から解き放たれて、故国を想う、自由の船に。
ーロマンチックな話なのです。
ー...私たちがユーリィを止めないと、この船も、人殺しの道具だな。
...させないさ。
僕たちは、白く美しい世界の中を、上へ、上へと進み続ける。
さらに上へと向かう、白と青が混じった石で作られた大きな階段の脇で、アルルゥがそっと手で合図して、僕たちに階段の脇に隠れるように伝える。
ー...侵入がバレたのです。 上の方でも、下の方でも、慌ただしい足音が聞こえるのです。
ーレイ。 ...魔法の準備をしておけ。 ユーリィや、お前の姉と出くわすまでに、余計な体力を使ってる暇は無い。
わかったよ。 まあ、何とかしてみる。 アルルゥ、ユーリィの場所は分かるか?
ー...ダメなのです。 声が色々混じってるですけど、ユーリィの声は聞こえないのです。
ー...兄さん......
僕は、少し項垂れて何かを思い詰めているサーシャを安心させるように、彼女の肩に手をやってから、魔法の言葉を唱える。 足音はもう、僕の耳で聞いても分かるくらいに、はっきりと近づいていた。
...みんな、僕の側にできるだけ固まれ!!
僕たちの足元に、微かな風が渦巻いていく。 僕は、その風の奏でる音に耳を澄ましながら、静かに、目を閉じて、魔法の流れだけに意識を集中させる。
ーレイ...!! 来るわよ!!
サーシャの言葉に、僕は目を開いて、風を僕たちの周りに向けて解き放つ。 それは、吹き荒ぶ突風となって、帝国の兵士たちをその鎧ごと包み込んで、弾き飛ばす。
行くぞ!! 風に包まれてる間に、早く!!
フレイアを先頭に、僕たちは階段を駆け出す。 僕たちに向けて放たれる弾丸を、周りで荒れ狂う風の鎧がはじき飛ばして、兵士達ごと巻き上げていく。 フレイアが先頭で、風の流れに抵抗して残っている兵士たちをサーベルで切り伏せながら、僕たちはノアの美しい階段を駆け上がって、その先へと進む。
しばらくそのまま進み続けた時に、アルルゥが鋭く耳を立てて、僕たちに言う。
ー...ユーリィの声が聞こえるのです!! 近いです、斜め上の方の部屋なのです!!
斜め上...司令室がそこにあるのか?
僕は走りながらサーシャに聞いたけど、彼女は少し戸惑ったように首を振った。
ー...司令室はもっと先だわ。 この上にある部屋は...礼拝堂よ。
礼拝堂?
ー...戦死者に祈りを捧げるための部屋。 兄さんが...そこに?
ーサーシャ、今は考えずに、アルルゥを信じろ!! ...見えたぞ、あの階段を上がる!
さっきよりは小さいけど、上へ続く階段と、そこに繋がるちょっとしたホールに出て、フレイアが指差して先頭に立つ。
その階段は、さっきのものとは違って、濃い青色の中に少しだけ白が混じった、宝石のような石で出来ていた。もう、近くに兵士たちはいない。
...美しい、青空のような色。
ー綺麗な階段なのです...。
ー...ここから先は、ノアの中でも、特別な場所なの。 司令官以外は、ここから先に入ることは許されない。 静かで...この船と、戦死者の魂が眠ると、そう言われているところよ。
ー船の中に、随分ご大層なものを作るな...。 余裕なもんだ。
フレイアが皮肉っぽくそう言って、僕たちは青い階段を登っていく。
その時、僕はふと気付いた。
(...風が...止まった...?)
僕が魔法で作り出していた風の流れが、誰かに遮られるように、ピタリと凪いでいる。 僕が自分で解除したんじゃない。 まるで...まるで、もっと強い魔力の流れで、無理やり遮られてるような...そんな、不気味な感覚。
それに気付いて、僕が咄嗟に3人を階段の上に魔法で弾き飛ばすのと、眩い光の束が集まって、さっきまで3人が歩いていた場所を薙ぎ払うのは、ほとんど同時だった。光はすぐに収まって、半分以上を消し飛ばされた階段はすぐに崩れ始め、僕は崩落に巻き込まれないように、もう一度風を起こして自分の体を包み込む。
ーレイ!!
上の方から、サーシャの叫び声が聞こえる。 僕はちらっと上の方を見て、3人の無事を確認してから、光が放たれた方向へと向き直る。
(...姉さん...!!)
ティア姉は、兵士を誰も連れずに、1人でホールの入り口に佇んでいた。 姉さんは静かに言葉を呟き、その掌の先が、もう一度眩い光で覆われていく。
みんな!! 先に行け、ユーリィを止めろ!!
僕はほとんど叫ぶようにそう伝えて、フレイアが僕に叫び返す。
ー...わかった、お前も必ず、後でついてこい!! ...死んだら、私がお前を殺すぞ!!
意味わかんないから、早く行け!! ...後でついてくから!!
姉さんの掌から再び光が放たれるのと同時に、僕は自分の魔法でその方向を3人から逸らす。 ...たったそれだけの魔法のはずなのに、その「逸らす」ということ自体、かなり力を込めないと、とてもじゃ無いけど出来ない。
ー...レイ。
...姉さん。
ーどきなさい。 ...今大人しく従えば、貴方も、仲間の3人も、助けてあげるから。
僕は、静かにそう伝える姉さんに向き直って、質問する。
......姉さんも、帝国を滅ぼしたいの? ...戦争を起こして、何も知らない人たちがいっぱい死んでいって...それでも、姉さんは、そうしたいの?
ー......子供には、分からない話よ、レイ。
...分かるさ。
ー.......何が?
姉さんが、間違ってるってことだけは、僕にもはっきりと分かる!!
僕は姉さんに向き直って、魔法を唱え始める。 ...どう考えても、敵うはずのない人に。
ー........聞き分けのない子。 .....昔から、ずっとそうだったわね。 レイ。
姉さんの手に、もう一度光が集まり始めるのが、涙で曇った僕の目に、滲んで見えた。
************************
私たちは、レイと離れて、礼拝堂へと急ぐ。
ーフレイア、サーシャ、なんで行っちゃうのです!! レイを、レイを助けに行くのです!!
私は暴れて叫ぶアルルゥを両手で抱えて、唇を噛み締めて、フレイアの後を走ってついていく。 ...私が捕まえてないと、アルルゥはレイの方に走って行ってしまいそうだった。
アルルゥ...駄目、今、レイとティア司令官の所に戻るわけにはいかない!!
ーダメなのはサーシャなのです!! どうして、どうしてレイを置いてくのですか!!
置いて着たくて、置いて行ってるわけじゃない!!
アルルゥが腕の中で叫んで、私も叫び返す。 ...不安で泣きそうなのは、私も同じだった。
ー...アルルゥ。 聞き分けろ。 レイを助けには戻らん、私たちは、ユーリィをなんとかして止める、それだけに集中するぞ。
ーでも...!!
大丈夫...レイは、負けないわ。
ー...留まったのは、あいつの意思だ。 ...私たちがそれを無駄にするわけにはいかない。
フレイアも、私の言葉を受けて小さく呟く。 ...本当は、私もフレイアもわかっていた。 ティア司令官に、レイが勝てるとはとてもじゃないけど思えなかった。...けど、私たちが留まっても、その結果が動くことはないだろう。
ー...サーシャ。 アルルゥ。
.....どうしたの? フレイア。
ー...万一、万一だぞ。 レイがあいつに負けることがあったら、ユーリィを止めた後で、私があいつを助けに行く。 ...お前たちは、なんとかして逃げろ。
........フレイア。
ー分かるな。 お前たち2人が来ても、役に立たん。 ...あいつを置き去りにはしない。 必ず、連れ戻して帰る。 だから、お前たちは、何があっても生きて帰れ。
ーフレイア...やめてなのです...必ず、4人揃って、帰らなきゃ、アルルゥは嫌なのです...
アルルゥはそう呟いて、私の腕の中で、静かに泣いていた。
...行くわよ。 礼拝堂は、もう近いわ。 ...アルルゥ。 立てる?
彼女は泣きながら、それでも微かに頷いて、私のての中から降りた。
礼拝堂の扉は、私でも初めてみるものだった。 ...その立派な大きな扉の取手に、本当に微かに、蔦と、それに絡まった蛇の紋章が彫られている。
...兄さん。
ーあいつは、この中にいるんだな。
フレイアは、もうすでに弓を構えて、矢をつがえて弦を引き絞っている。
ー...アルルゥも入るのです。 入って、戦争をやめてもらうように、頼んでみるのです。
...話し合いでどうにかなるかは、分からないわね。
私は、取手を掴んで、両手でその扉を開く。
礼拝堂の中は、いくつかの照明で白く照らされてるけど、少し薄暗いものだった。 全てが白い、純白の部屋の中で、奥にある青い祭壇だけが、その部屋の中に微かな色彩と生気を与えている。 ...祭壇にも、銀で象られた蔦と蛇が、寄り添うように巻きついていた。
白い柱がいくつも天井に向かって立ち並ぶ中で、兄さんは、祭壇の前に立っていた。
...私たちがドアを開いて、足音を立てて近づいて行っても、彼は振り向かない。
...ユーリィ兄さん。
私は、兄さんの後ろ姿に声をかける。 ...彼は、それでも振り向かない。
ただ、祭壇の前で、静かな祈りの言葉を、捧げ続けていた。
兄さん。 ...もう、やめて。 こんな、誰も幸せにならないことを、繰り返すのは...。
ー...サーシャ。
兄さんは、ようやく祈りをやめて、私たちの方に向き直った。
ーよく来たね。 こんなとこまで。 ...生憎だけど、お茶の準備が、この部屋じゃ出来ないんだ。見ての通り、祈りを捧げるための部屋だからな。
ー茶よりも先に、自分の身を心配しろ。 ...私からも言う、サーシャの言葉に従って、停戦を持ちかけろ。 お前の狂った独りよがりに、世界を巻き込むな。
ー独りよがり、か。 ...確かに、君の言う通りだな。 えーっと...フレイア? レイ君は、まだねずみのことを嫌いになってなかったかな?
私の隣で、フレイアが歯噛みして、弓を引き絞る手に力が入るのが聞こえる。
ーアルルゥからもお願いなのです、もう、こんな戦争はやめるのです!! ...アルルゥも、帝国との戦争で、お父さんも、お母さんもいなくなったのです...。
兄さんは、アルルゥを静かな目で見つめて、それから、ゆっくりと話す。
ー...僕もだよ。 アルルゥ。 でも、やめるつもりはないかな。
兄さん......
ー理由なんて聞かないでくれよ、サーシャ。 ...それを語るには、もう、僕はいっぱい殺しすぎたんだ。 もう、理由なんて、風化した化石みたいなものでね。 風に吹かれているんだ。これから、酷い争いが起こるだろうな。 帝国も、オルタマイアも、何もかもを巻き込んだ、醜くて、悪魔みたいな戦争が。 ...それで、みんなみんな同じになるのさ。 平等に、みんな、理解できるようになる。
....何が.......
ー人間の本質は、憎しみと怒りで出来てるってことをさ。 なあ。
兄さんは、後ろで霞む「靄」に向かって、そう語りかけた。
ー...くだらない戯言を。 従わないつもりなら、今ここでお前を殺す。
ーどうぞ?
フレイアの放った矢が、兄さんに向けて真っ直ぐ飛んでいって...そして、「靄」に包まれて、消えて行った。
ー...フレイアか。 意外と、直情的だな。 そうやって、いろんなものを巻き込んで、喪っていくんだよ。 ...なあ。 君がさっき見捨てた、レイ君みたいにな。
ー何が言いたい!!
フレイアが続け様に矢を放って、それは全て靄の中に吸い込まれて消えてゆく。フレイアは弓を剣に持ち替えて、灰色の靄に包まれる兄さんに斬りかかるけど、その靄は、まるでふわふわした奇妙な柔らかい壁みたいに、フレイアの剣を弾いて、通さない。
ー...ティア君は、レイを生かして返すかな? ...可愛いただ1人の妹だから、情けをかけてくれるかな? 優しいやつだから、多分そうするかもしれない。 でも、もしかしたら、レイ君が激しく抵抗して、何かの弾みに、ちょっと魔力の込め方を間違って、レイ君の体の半分くらいを消しちゃうかもしれないなあ。 ...もしかしたら、君が無理やりにでも残ってたら、助けられたかもしれないぞ。 可哀想なレイ君。 復讐を諦めて、力を棄てて、ようやく自分の足で歩き出した矢先に、慕ってた仲間に見捨てられて、死んじゃうんだから。フレイア。 ...またひとつ、大切なものを、喪う羽目になったな? ...君の、大切なデライラ君が、そうだったみたいにな。
...やめて、兄さん!!
私も腰の剣を抜いて、靄に囲まれるフレイアを救うために、兄さんに走っていってその刃を彼に向ける。 ...でも、届かない。 どれだけ力を込めても、届かないのだ。
ー大事な友達が、僕を守ってくれてるからな。 ...サーシャ。 いつも僕の後ろを隠れながらついてきていた君が、ずいぶん勇敢になったな。 嬉しいよ。
兄さんは、そっと空中を摘むみたいに、私の振り下ろした刃を指先で掴んだ。 そして、興味深そうな目で、私の手の中の銀色の刃を見つめる。 フレイアの方を振り返ると、彼女は靄に囲まれて、床に膝をついている。
ー...この、野郎...!!!
ー...ねずみが死ぬか、妹が死ぬか...どっちも嫌だな。 ねずみの死体なんて、ちょっと見たくないからな。 ということは、僕が取れる選択肢は、必然的にひとつに限定されるわけだ。
刃を握る私の手に、灰色の靄が絡み付く。 その凍えるような冷気に、私は思わず叫んで剣を取り落とした。 兄さんは、特に何事も起こっていないように、いつものように、静かで、温和な笑みを浮かべながら、その剣を手に取って、私たちを無視して、ゆっくりと歩いていく。 ...私は、兄に向かって、制止の言葉を叫んで、掴みかかろうとした。 でも、足が動いてくれない。凍りついたように、白い床に張り付いている。
ーアルルゥ!!!! 逃げろ!!!!!
...フレイアの叫び声が、礼拝堂の中に、反響して響いた。
そして、私たちの足元に、小さな白い体毛に覆われた体が、投げ捨てられて、転がった。
.......ぇ.........ぁ..............
私の口から、自分でもわからない、何かの言葉が漏れた。
フレイアが、何かを叫んでいる。
その叫び声だけが、白い礼拝堂の中に響く。 ...白い床が、やがて、赤い血で染まっていく。
ーさて。 サーシャ。 フレイア。 あらためて、ここまでようこそ。 ...1人減っちゃったけど、せっかく来たんだから、お茶くらい飲んでく? 元シュラーフの国土で採れた、とてもいい茶葉があるんだ。 ...で、飲みながら話そうよ。人の本質について、さ。
そういえば、えーっと......
君たち、なんでここに来たんだっけ?
兄さんは、血で染まった刀身を見つめながら、そっと、死者への祈りの言葉を呟いた。
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眩い閃光が、僕の視界を包み込む。
...っ!!!
僕はなんとかそれを逸らすけど、それが精一杯だった。
...何を、どんな魔法を唱えても、姉さんの光には、掻き消されて、通じない。 炎も、雷も、雹も、風も、流星も、全てが光の渦に飲み込まれて、そして、消えていくのだ。
光は部屋を焦がし、溶かして、時折、弾ききれなかった光の残滓が、僕の体を貫いて、焼いていく。
くっ...はぁ....はぁっ.....
僕はさっきの一撃で、ほとんど感覚が無くなった左腕の先を少しだけ見て、その肉の焦げた臭いに顔を顰めて目を逸らす。 ...ついでに、右足の先も、ほとんど感覚が無い。
...殺す気、なの?
ー貴方が、それを選んだのよ。 レイ。
姉さんは、傷ついて疲れている僕とは対照的に、僕の魔法の嵐を受けても、特に何もなかったように落ち着き払って、光で自分の体の周りを取り囲む。
ー...もう、やめにしましょう。 貴方の魔法じゃ、私に傷ひとつつけることはできない。 ...レイ。 ...姉さんに、これ以上、貴方を傷つけさせないで。 貴方の焼けた体も、私の魔法でなら、治せるわ。
...さっき、それは断った。
姉さんはため息をひとつだけついて、悲しそうに僕を見た。
姉さんを取り囲む光が、いくつかの筋のようになって、姉さんの体から離れていく。 それはやがて、いくつもの光の筋の奔流に変わって、僕の周りを檻のように取り囲んだ。
...何が、こんなもの...!!
僕はもう、魔法を唱える力もほとんど尽き果ててて、それでも手で光の筋を払おうとする。でもそれは、触れると焼け付く、赤く燃える鉄のように激しい温度をもって、逆に僕の指を焼いて、僕が悲鳴を上げる羽目になった。
ー...レイ。 ...聞いて。 私は貴方に嫌われてもいい。 ...それでも、私は、帝国を許せないの。父さんを、母さんを、仲間を...殺した帝国を、私はもう、赦せないの。 ...貴方は、そこでじっとしてなさい。 しばらくしたら、帝国兵が貴方を捕まえに来る。 大人しく捕まって、傷を癒しなさい。 ...何年か投獄されるかもしれないけど、ここで死ぬより、ずっといい。
生憎...もうすでに前科持ちになっちゃってね。 ...これ以上は、やめておくよ。
僕は決心して、まだかろうじて動く左腕だけを使って、その光の檻の格子を掴んで、力を込める。 それは激しい音と臭いと、そして、痛みを伴って、退けようとする僕の体を蝕んでゆく。
ーバカ!! やめなさい、本当に死ぬわよ!!
姉さんの慌てたような声が聞こえる。 でも、それは、どこか遠くで誰かが喋っているような、現実感の無いもののように思えた。 現実が、目の前の光と、体を貫く痛みで一杯になるくらいに、その熱は激しいものだったから。
...やがて、光は、僕の周りから消えて無くなった。
僕は荒い息をついて、指先が無くなった、黒く焦げた左手を見下ろして、それから、魔法を解いて僕の方に駆け出す姉さんの姿を見た。 ...それで、もう、僕は立っていられなくて、膝から白い床に崩れ落ちた。
ーレイ!!
姉さんが、僕の方に走ってくる。
...その顔は、僕のよく知ってる、ティア姉さんの顔だった。 ...優しくて、いつでも僕を心配してくれる、あの、姉さんのものだった。
姉さんが、倒れゆく僕の体を、そっと腕で包み込んでくれる。
僕は、その時を、ずっと待っていた。
素早く、まだ動く右手で、ローブの内ポケットに手を突っ込む。 姉さんが魔法の言葉を唱える間を与えずに、僕は体を起こして、右手で掴んだ首輪を、姉さんの首に嵌めた。
ー...なっ.......レイ....っ.....!!
...ごめん。 姉さん。
僕はなんとか立ち上がって、姉さんの方に向き直る。
.....もう、復讐は、やめようよ。 .....誰も、帰ってこないんだ。
ーレイ!! ...これを外しなさい! 何をするつもりなの、ユーリィのところには行かないで、あいつは、私でないと...!!
姉さん。
僕は、静かに、姉さんの言葉を遮った。
.....もう、1人で辛い思いはさせない。 ...重いものを、姉さんだけに背負わせない。 戦争は、僕と、仲間たちが、必ず止める。 ...だから、今は、休んでて。 姉さん。
僕は、残った魔力で眠りの魔法を唱えて、やがて崩れ落ちる姉さんを、右手で優しく支えて、白い床の上に寝かせた。
僕は、ほとんど動かない右足を引きずって、崩れ落ちた階段の前に立つ。
...まあ、火傷くらいは...治してもらうべきだったかな。
1人で呟いて、どうか今、兵士が来ませんようにと祈りながら、僕は微かな魔力のかけらを掻き集めて、自分の体を浮かせる。 ...なんとか階段の上の通路までは浮いてくれたけど、痛みでコントロールがうまくいかなくって、僕は背中から通路の床に転がった。
みんな...今...行く......
みんなが、ユーリィをうまく止めてくれていることを祈りながら、僕は通路の床に体を預けるようにして、歩き始める。
礼拝堂の扉は、僕の進む先にあった。
(第12話終わり)