※実在の地名、人物とは一切関係しません。
あくまで創作の中での話です。
※未成年の飲酒・喫煙は、法律で固く禁じられています。
(第14話)
フィアが差し出したケイリュオンの杖は、微かに、光っている。
それは、鼓動だった。 杖は...生きて、僕を求めている。
僕がケイリュオンを手にするのを、杖自身が、求めてるのだ。
僕は、さっきまで焼け爛れて全く動かなかったもう片方の手が、微かに、痙攣するように、動くのを感じる。 ...試しに、3本しか残ってない指を動かしてみたけど、一応、ほんの少しは動かせるみたいだ。
...ケイリュオンを...
ーそう。 貴方が、杖を握って、ユーリィを斃すの。 ...世界を、白い雪と氷で覆い尽くす、狂った王を滅ぼしなさい。 ...みんな、それを望んでるわ。
それは、僕の見た幻だったのかもしれない。
でも僕は、確かにこの目で見た。
...フィアの後ろに、3人の優しく微笑む姿が、立っているのを。
みん....な......
ーレイ。 ...杖を、受け取って。 ...兄さんは、狂ってしまった。 ...アルルゥも、フレイアも、私も...世界のみんな全てが、このままだと、兄さんに殺される。 レイ。 ...止められるのは、生きてる貴方しかいないの。
サーシャ.......ごめんね.......何も、できなくて.....
ーレイ、頑張るのです!! アルルゥは、レイを応援してるのです...!! ...ユーリィに刺されて、死んじゃった時、アルルゥは、とても、とても悲しかったのです...あいつが、憎いのです...
アルルゥ.........痛い思いをさせて、ごめんな......
ーおい。 ...何、メソメソしてるんだ。 ...やるべき事があるだろ、まだ...。
フレイア.....
ー....お前ならできるさ。 ....私には分かるよ。
.........ありがとう。
みんな、僕の方を見て、優しく微笑んでいる。
僕を励ますように...暖かく、包み込むように。
だから、僕も....僕の知ってるみんなに、ちゃんと応えようと思った。
......そうだよな。
ー...レイ。 ...そう、みんなの言う通りよ。 ...さあ。 ケイリュオンを.......
フィアは、僕の目の前に、白い杖を差し出した。 あの、塔の時と同じように。
僕は、もう一度、フィアと、その後ろに立っている、3人の姿を見た。
それから僕は、ゆっくりと、みんなに言った。
......僕の知ってる、大好きな....君たちは........そんな事、言わないもんな。
みんなは、僕の言葉を聞いて....何も、言わなかった。
.....サーシャ。 君と、約束しただろ。 ......力には、飲み込まれないって。
.....アルルゥ。 ...君は....誰かを、憎んだままでいることなんて、できないよ。
.....フレイア。 お前は...もし僕が杖を手にしたら、多分、殴るだろ。
.......君たちは、優しいからな。
僕に....自分たちのために、復讐しろだなんて、絶対に言わない。
僕は、僕に...大切なことを教えてくれた仲間たちの影に、はっきりと告げた。
...みんな、もう、いないんだ。 ...もう、アルルゥは歌わない。 フレイアは、嫌味も言わない。 サーシャが、優しく僕を抱きしめてくれることもない。
.....僕は、みんなと旅する中で、それが、分かったんだ。
.....死んだ人は、もう、いないんだ。
......だから、みんな.....生きている他人に、優しくなれるんだ。
自分のことみたいに、心配して....怒って、悲しんでくれる。
....いい加減に、お前も.....目を背け続けるのは、やめたらどうだ。
僕の目の前にいたはずの4人は、もう、どこにもいなかった。
僕の前には、あの、ユーリィの体を借りた、醜い灰色の天使が、宙に浮いていた。
彼の目は、燃えるように紅く輝いて、僕を...眼光だけで射殺しそうなくらいに、激しく睨み続けている。
ー....この........臆病者が........!!!!
...いつまでも臆病なのは、お前だけだ。 ...自分のお仲間が、そんなに欲しかったか?
空に浮かぶユーリィの...いや、王の顔が醜く歪み、その周囲に、氷の欠片が渦巻き始める。
ーならば、お前の望み通り、死んでゆけ! ...死んで、この戦場の塵となるがいい! 死んだ先で、誰も...誰もが死んでいく地獄を、指を咥えながら見ていろ!!!
彼の周りの氷の粒が、頭上でひとつに集まって、巨大な、僕よりもはるかに大きい、ひとつの氷の刃を形取る。
(みんな....ごめん。 ....カッコつけたけど....何も、できなかった。)
僕は、目を閉じて、その氷の刃が、僕に振り下ろされるのを待った。
(......さよなら。 姉さん。)
幼い僕を、優しく抱きしめてくれる姉さんの姿が...最後に、僕の頭をよぎった。
でも、氷の刃は、いつまで立っても、僕を貫かなかった。
代わりに、僕が目蓋の裏で感じたのは、激しい光だった。 目を閉じていても感じられる、眩くて輝く、光の奔流。
僕は、目を開けて、目の前の光景を見た。
ユーリィは、もはや僕の方を見てはいなかった。 彼の頭上で形成されていたはずの氷の刃は、溶けて消えかけている。
ーティア....!!
ー....レイ。 ....辛かったね。
僕は、やさしい声のする方を、振り向く。
....ねえ.....さん.....
姉さんは、眩い光の渦にその体を包みながら、真っ直ぐに、ユーリィを見据えていた。
ーこの....もうすぐで、お前の望みも叶うんだぞ。 ...帝国を、すべてを、滅ぼす時が来る。
ー...その世界には、貴方以外の、誰も立ってない。 ...レイ。 ありがとう。 ...あなたのおかげで、ようやく、目が覚めた。
姉さんは、ユーリィの放つ氷の礫にも動じずに、ゆっくりと、彼の方へと進んだ。
ユーリィの顔が醜く歪んで、彼は姉さんの光の渦から距離を取ろうと、宙へと羽ばたこうとする。 でも、それは、姉さんの光の檻に囲われて、叶わずに終わった。
ーやめろ...やめろ、ティア....!!
彼は、光の中で、激しくもがく。 その翼が焼かれて、氷が溶けて...彼は、痛みで苦しんでいた。
姉さんは、もがく天使のすぐ側にまで、近寄っていた。
それから、姉さんは、僕の方を振り向いて、言った。
ー...レイ。
......姉さん......
ー...ごめんね。 貴方に、いっぱい辛い思いをさせて。
そんなこと、ないよ...。 僕は......僕には、みんながいてくれたから。
姉さんは、それを聞いて、少しだけ笑った。
ー...私の背中の後ろに、隠れて泣いていた貴方は、もう、いないのね。
...立派になったわ。 ...それに、私よりも、強くなった。
ーだから....きっと、貴方は、これからも、前を向いて、生きていける。
姉さんは、そう言って、ユーリィの体に手を触れた。
そこから、眩い光が漏れて...ユーリィを、姉さんを、船のすべてを...包み込んだ。
僕が目を開けた時、そこにはもう、姉さんも、天使の姿も、無かった。
翼の無くなった、ユーリィの体だけが、雪の積もった甲板の上に、倒れていた。
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天使の姿が消えても、空は灰色に濁って、冷たい雪が降り注いでいる。
......みんな。
僕は、空を見上げながら、みんなのことを思う。
お節介焼きのサーシャ。 底抜けに明るいアルルゥ。 皮肉屋で、優しいフレイア。
......みんな、いなくなってしまった。
姉さんも、もう、どこにもいなかった。
...雪の降りしきる世界の中で、僕は、独りぼっちになった。
涙は、まだ出てこなかった。 ...多分、まだ、独りになったって実感が、湧いてないからだと思う。 ...荒んでる時にも、何をしたらいいかわからない時にも、いつも、誰かが、僕のそばにいてくれた。
...支えられて、生きてきたのだ。
...前を、向く、か........
...姉さんは、最後にとても、難しいことを言ったと思う。
寒いって感覚がようやく戻ってくると同時に、僕は船の中腹あたりから響く、いくつかの鈍い破裂音を聞いた。
船が、高度を下げている。
...破損したのかな。 それとも、大事な機関が凍ったとか...。
僕はそう思ったけど、どっちでもよかった。
...このまま終わったら、何も、考えずに済むから。
しばらく、僕は高度を大きく下げていく船の上で、このままゆっくりと、フレイアの側で休もうかと考える。 ...寒いし、とても疲れてる。 このまま少し寝ちゃってもいいかもしれない。
...でも、それじゃ、ダメなんだよな。 ...きっと。
...多分、休んだら、怒られると思う。 みんなに。
僕は、手すりの上から身を乗り出して、次々と飛び立っていく小さな飛空挺を見る。 多分、避難用のものがたくさん混じってる。
行きは楽だったけど...帰りは、辛いな。
僕はふと、旅の終わりについて考える。
この船から生きて帰って、やっと、僕のひとつの旅は終わるのだ。
...みんなと出会って、そして...最後には、独りで、帰らなくちゃいけない。
僕は、甲板から船の中へと続く扉の前まで、足を引き摺りながら歩いていく。
扉の手すりに、片方だけ残った手をかけて、ふと気になって、雪の積もった甲板を振り返る。 そこには、もう雪に埋もれてほとんど見えなくなったフレイアと...ユーリィが、倒れていた。 僕はもう一度戻って、フレイアの頭を、最後にもう一度だけ撫でる。
それから、雪に包まれていこうとする、ユーリィの体を見つめた。
彼はまだ、微かに息をしていた。
...もう、長くはないだろう。
...当然の、報いだ。 ユーリィ。
僕は、死にゆく彼の顔に目を落として.......彼を、見つめた。
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船の中は、やっぱり、酷い有様だった。
冷気は船の中全てを包んでいて、凍えるように寒い。 白い床にもびっしりと霜が覆っているし、多分、この船の動力源も、そういう有様なんだろう。
...[ノア]か。
サーシャの国を、救った王女。 ...自由の象徴たる名前を冠した、美しい船。
それがいま、ゆっくりと、沈みゆこうとしている。
...戦争に使われて、人殺しの道具になるよりは、幸せだよな。 君も。
僕は、体を支えてくれている白い壁に向かって、そっと話しかけた。 もちろん、船は返事をしてくれなかった。
...片足を引きずって、片手を無くして歩くというのは、僕の思っていたよりずっと辛いことだった。 バランスが取りにくいし、時折大きく軋んで傾く船の中では、自分を支えるので精一杯だった。
...やっぱり、余計なことしたかな。
僕は独りで呟いて、背中の重い荷物を、ちらっとだけ見る。
それは、僕の背中に重くのしかかって、ぴくりとも動かなかった。
とても重いのだ。 ...まあ、さすがに体重も僕よりは重いんだろうけど、物理的な重量の問題じゃ無かった。 ...背中の「それ」を支えて歩いているという行為自体が、僕の心に、重く、のしかかっていた。
僕は、「それ」を背負ったまま、通路の先の、礼拝堂への入り口を見つめる。
凍りついたその扉の先に、アルルゥの小さな体が、眠っているはずだ。
...ごめんな。 アルルゥ。 ...フレイアを、連れて帰ってやらなくて。
僕は、甲板の上で、雪に包まれて静かに眠っている、フレイアの体のことを思い返した。
...最後なのに...あれだけ、僕を支えていてくれたのに....
...僕は、2人を、最後に逢わせてあげることさえ、出来なかった。
その事実を突きつけられるだけでも、僕は、いま自分がやっていることが、ひどく愚かしくて...みんなに対する裏切りのようにさえ、思えてくる。
でも、僕は、背中のお荷物を捨てることはしなかった。
...重いよな。 本当に。
僕は、重い...とても、重いものを背負ったまま、前を向いて、歩き続けた。
兵士たちは、もうほとんど脱出したみたいで、下まで降りる途中に、誰とも出会わなかった。 まあ、出逢ったとしても、今更僕たちを気にしてる余裕なんて、彼らにはないかもしれない。 ...でも、出くわして撃ち殺されたら、このしんどすぎる苦行から解放されるんじゃないかと思って、それをほんの少しだけ期待していた僕は、結局、人生そんなにうまくいかないものだと思った。 ...前を向いて歩き続けることは、とても、苦しいことなのだ。
結局、脱出用の飛空挺なんて全然残ってなくて、僕は、サーシャが運転してきてくれた、元々は帝国の基地から強奪した飛空艇の前まで辿り着く。
...お前にも、よくお世話になるよな。 ほんとに。
僕は、片方だけの掌で、その冷たい金属の胴体に触れた。 ...考えてみれば、片腕で、挙げ句の果てに指2本無くしてるんだから、食事とかも、けっこう不自由するかもしれない。
......サーシャに、ご飯、作ってあげなかったな。 ...フレイアと、約束したのに。
苦労して飛空艇の扉を開けて、アルルゥの体毛がまだかすかにくっついてる、彼女の特等席に僕は腰掛ける。 ...座席に深く腰掛けると、本当に眠くて、疲れてて、意識してないとすぐに沈み込んでしまいそうだった。
僕は何度か首を振って、眠気を覚ました。
そこで、やっと僕は、運転席に下ろした荷物が、もう目を覚ましていることに気づいた。
彼は、静かに、僕に尋ねる。
ー...レイ・オーデル。
......なんだよ。
ー......なぜ、僕を助けた。
運転席に座ったユーリィは、僕を見ることもなく、ただ前を見つめていた。
...運転、できないからな。 僕は。
ー......理由になってないな。 あのまま、あそこで死ぬことを、なぜ選ばなかった。 ...なぜ、僕を生かした。 半分になったネズミが、あそこでまだ眠ってるぞ。 ウサギさんに、逢わせてやらなかったのか? ...冷たいことだねえ。
...また、お得意の言葉責めか。 ...さっさと発進しろ。 せっかく助かったんだ。
ー......黙れ。
黙らないさ。 はやく、発進しろって言ったんだ。
ー理由を言え。 ...僕を生かした、その理由を。
...サーシャは、お前ともう一度和解したいって、そう思ってた。
ーでも、サーシャも死んだ。 ...これでようやく、僕も独りか。 ...いいねえ。 本当の孤独になった2人が、こうしてひとつの狭っ苦しい飛空艇の中で隣り合わせになりながら、お互いにお互いを憎み合ってるんだからな。 人生は面白い皮肉で溢れてる。そう思わないか?
...いい加減、喋るな。 お互い、ただでさえ死にそうなんだ。
ーそれが嫌なら、理由を言えと、さっきから言ってるだろ。 サーシャが生前に願っていたことが、僕を助ける理由になるか? お前から全てを奪った、この僕を? 全て、全てだぞ、全部お前から奪ってやったんだ! ...もう何も、残ってない中で、なぜお前は、僕を助けた。 生かして、苦しめるためか? 生憎だけど、それはないねえ。 もし生きて帰れたら、僕は何度でも、同じことをやってやるよ。 ...もう誰も、止める奴もいないからな。
僕は、そう早口で喋るユーリィの顔を横目で見た。
彼は、焦って、苛立っていた。
僕は、口を開いて、小さな声で言った。
.........理由が無かったら、助けちゃいけないのかよ。
自分でも、どうしてあの時、ユーリィの体を背負ったのか、わからなかった。
...こいつのことは、許せなかった。 憎い。 本当に...本当に、心の底から、憎い。
僕はきっと、一生、こいつを許せないままに、生きていくんだと思う。
.......大嫌いだ。 こいつのことも....自分のことも。
.........でも、こいつはは、生きてる。 僕も、生きてる。
..........サーシャのためじゃない。 僕が生き残るためじゃない。
ただ.......
ユーリィは、何も言わなかった。
僕は、やがて疲れと寒さに負けて、サーシャから貰った黒いローブを体に引き寄せて、ゆっくりと目を閉じる。
...暗くて、底の見えない....
.....でも、安らかな闇が、すぐに僕の意識を覆った。
************************
...レイの答えは、理由になってなかった。
彼女は、理由なんて無いと言ったのだ。
.....理解できない。 全く、理解できない。
僕は少し笑いながら、飛空挺を発射させる。 久々に運転したにしては、まあまあ上手に飛ばせてる気がする。
飛び立ちながら、僕は堕ちていくノアに目を向ける。
その美しい、自由への象徴の船は、ゆっくりと、下へ、下へと堕ちていく。
...でも、それは不思議と、哀しい光景のようには思えなかった。
まるで、船自身が...そうすることを望んでいるように、重力に従って、堕ちていくのだ。
...悪夢と、義務から解き放たれることを、最後に喜ぶかのように。
...助けるのに、理由はいらない...か。
僕は、助手席で死んだように気を失ったレイ君の顔を横目で見ながら、小さく呟く。
...愚かで、幼い。
きっと、あのネズミなら、容赦なく僕を殺しただろう。 ...いや、あいつだけじゃ無い。 僕が殺したウサギとか、サーシャでさえ...迷いながらも、泣きながらも、僕を殺しただろう。
...同じことを繰り返さないと、反省すると、思っているのか。 僕が。
レイは、人の本性について、何も知らない。 僕は多分、生きて帰っても、また同じことを繰り返すだろう。 次はどうやって帝国を、世界中を、追い込もうか。 ...あるいは、この雪と霰で、すでに酷いことになってるかもしれない。僕が時間をかけて、あちこちで撒いた反乱の種も、まだ燃え尽きてはいなかった。 ...むしろ、この一件で貴重な戦力を失った帝国に対して、これを好機と見て攻勢を強めるかもしれない。
楽しいねえ。 ...考えているだけで.................楽しい.................
いつも通り、口に出してそう呟いてみる。
そうしないと、もう僕は、それを本心から楽しむことは、できなかった。
...いや、口に出しても、それは....空しい、子供の泣き声のように、幼く響いた。
僕は、その理由について考えてみる。
...考えても、うまく思い浮かばなかった。
ふと、ネズミが礼拝堂で、僕に言ったことを思い出す。
...羨んでいる、か。 ......僕が、こいつらの生き方を。
僕は、それを理解できないと言った。
...それは、たぶん、嘘だった。
理解した上で...その上で、目を背けたのだ。
僕が、できなかった...目を逸らした、こいつらの生き方から。
僕はもう一度、レイの横顔を見る。
...こいつは、これからどう成長して、大きくなっていくのだろう。
...家族も、姉も、友達も、仲間も...何もかもを喪って、これからどんな世界を見るのだろう。 喪失感と罪悪感に苛まれて、僕のように、ただひたすら復讐を願って生きるのだろうか。 ...それを、自分の弱さを見ない言い訳に使いながら。
でも、たぶん、そうはならないだろう。
......これからも、レイは、前を向いて、生きていくのだろう。 そんな気がする。
.....羨ましいよ。 お前が。
僕は、見えてきた地上に、うまく着陸できるか不安で神経を使いながら、そう呟いた。
************************
若干ぐらついたけど、飛空挺はなんとかうまく地上に着陸する。
レイはほっといて、僕は久々に船から地上に降りて、雪の積もったあたりを見渡す。 ...飛空艇の残骸から立ち昇る、火と油と、人の肉と髪の焦げる臭い。 血の跡。 オラリアの魔導師たちと、帝国兵の死骸。
派手にやったねえ。 ...なんの意味もなかったのに、ずいぶんと。
僕は、分厚く降り積もった、ところどころで血の赤黒い染みができた雪の上を歩く。
ずいぶんと、懐かしい臭いだった。
最近では、前線に出ることも、ほとんど無くなったから。
僕は、死んでいった戦友のことを思い出す。
虐殺から目を背けた友人は、錯乱して僕に銃を向けて言った。
...お前らは、ただの悪魔だと。
僕は彼を殺して、それを弱さ故だと決めて、嗤った。
自分が人殺しの悪魔に成り下がったと罵られて...それを肯定した。 けど、それは、本当は、肯定じゃなかった。 受け入れてもいなかった。
...その事実を、本当は受け入れたくなかったから、それを嗤って、認めるふりをして、悟られたくなくて、狂人を演じ続けた。 ...そうしている間に、本当に、狂ったのかもしれない。
僕の目の前に現れた、胸を撃ち抜かれた彼は、僕にそれを教えた。
僕は首を振って、やれやれと呟いて肩を竦める。 ...いよいよ、僕にも本気で、幻が見えるようになったか。 酔っぱらったレイ君のことを、馬鹿にできなくなる。
彼は、白い杖を僕の目の前に差し出しながら、言った。
ー...悪魔め。 受けとれよ。
...いいねえ。 まさか、君が持ってきてくれるとはね。
ー悪いか?
......いや。 ....久々に逢えて、嬉しいよ。 ....悪いことをしたな。
ー命令無視は、こっちの方だったからな。
ああ。 ......そうだな。
彼と僕は、しばらく歩いて、まだ焼けてない枯れた木の根本に腰掛けた。
ー.....この杖を受け取って、まだ、復讐を望むか?
そう聞かれて、僕は、彼の手に握られたケイリュオンを見つめる。
僕にも、いよいよそのオカルト杖が見えてるってことは、つまり....
ー...お前も、杖に求められているということだ。
なるほどねえ。 いよいよもって、怖い杖だねえ。...元の持ち主は、もういないのにな。
ーそうだ。 ...だが、杖はまだ生き続けている。
....死と.....『生』を、支配する杖、か。
僕は、杖を受け取る前に、彼に話した。
なあ。 ...僕は、醜い生き方しか、してこなかったんだ。
...弱さから目を背けて、憎しみを隠蓑にして、狂ったことを言い訳にする...
そんな、醜い生き方しか。
ー.....そうだな。 醜くて、弱い、人生だな。
.......今更、引き返せるかな。 無理かもな。
ーああ。 無理だな。 ...完全にやり直すことなど、もう、誰にもできないのさ。 ...だが、もう一度、前を向いて歩き出すことは、誰にでもできる。
......厳しいな。 その選択は。
ー.......歳を取ったら、尚更な。
僕は、彼が差し出した白い杖を、受け取った。
それは、僕の冷たい手の中で、生きているように熱く輝きながら、僕の掌の上で、静かに、自分が使用されるのを待っていた。
...死も、生も、思いのまま、か。
ーだが、後者の用途では、使われなかったがな。
.....そうだな。 たぶん、今初めて、使われるんだ。 ...同じようなものさ。目的は。
僕は、立ち上がる力も無くて、木の根本に彼と並んで腰掛けながら、杖を掲げた。
白い杖の先端が、眩く輝いた。
...その先から、鼓動のような青い光が迸って、やがて、雪に包まれた戦場を駆け巡る。
...青空、みたいだな。
ー綺麗じゃないか。 これはこれで。 ......これでお前も、永遠に、この世を彷徨う幽霊になるな。 永遠を生き続ける、哀れな生き物に。
君の、僕に対する、復讐かな?
ー.....ああ。 ....煙草、吸うか?
僕は、もう10年以上吸ってなかった煙草を彼から受け取って、差し出されたマッチを擦って、火をつけて煙を吸い込む。
ー...最後に、ひとつ教えろ。
ん?
ー.....なぜ、この杖で、復讐を選ばなかった。 ...死を齎すことが、お前の望みじゃなかったか?
僕は、少し考えて、それから言った。
...復讐さ。 ...僕の、生き方に対して、な。
ー......そうか。
僕がもう一度、煙を吸って吐き出した時には、彼はもう、そこにはいなかった。
煙草がずいぶん短くなるまで吸った頃に、戦場の中に、いくつかの声と、人の歩く足音が戻ってくる。
彼らは皆、遠くで、口々に何かを言いながら、駆け抜けている。
僕は、それを見て、さっきまで物言わぬ死体だった彼らに、もう、戦う意志が無いことを知った。 ....皆、どうしてかわからないけど、生きてることを、喜んで、謳歌している。
その中に、ぽつりと、銀の髪の女の子が、立ちすくんでいるのが見えた気がした。
......サーシャ。
僕は、妹の名を呼んで、話しかけようとする。
でも、僕の口から、もう、それ以上の声は出なかった。
ふと気になって、腹の傷を見る。 ...やれやれ。
呼びかけるのを諦めて、僕は、煙草をもう一度だけ吸って、煙を吐いた。
(.......悪かったな。)
心の中で、僕は、彼女に向けて、そっと謝った。
僕の指の間から、短くなって、火も消えた煙草が落ちてゆく。
僕はそれを追うのを諦めて、代わりに、空を見上げた。
灰色の雲は消えて、その上にずっとあった、美しい青空が、広がっている。
青空は、消えたわけじゃなくて、ずっとそこにあったのだ。 ...ただ、僕が、それに気づいてなかっただけで。
力が抜けてきて、ゆっくりと、ぼんやり霞んでいくその空を見上げながら、僕は久しぶりに、穏やかな、悪くない気分だと思った。
************************
...私は確かに、飛空艇の上から、落とされたはずだった。
あたりを見回してみる。 オラリアの魔導師も、帝国の兵士も、みんながごちゃごちゃになって駆け回ってるけど、みんな、何が起こったのか、よくわかってない。 ...私にも、よくわからなかった。
...頭が、砕け落ちる感触は、私の中に確かに残っている。
でも、私は今、確かに、ここに、こうして立ってる。
天国か、地獄か....よくわからない。 でも、立ってるのは事実なのだ。
上を見上げても、もう、灰色の分厚い雲は、どこにもなかった。
...ただ、澄み渡った青空だけが、私たちの頭上に、広がっていた。
しばらく、青空を眺めて立ちすくんでいた私は、1人の兵士から声をかけられて、かなりびっくりして思わず姿勢を正す。
ーサーシャ司令官!! 来ておられたのですね....
え、ええ....その、[ノア]は、それに...兄は、ユーリィ執政官は、どこにいるの?
ー...ノアは、墜落しました。 ...何が起こったのか、我々にもわかりません。 オラリアの魔導師の魔法にしては強力すぎますから...。 それに、その....申し上げにくいのですが....
...言って。
ー.....ユーリィ執政官殿は、戦死なさいました。 ...あそこの、木の根本で、倒れているのを発見したのですが....その時には、もう.......
.......兄さん。
ー...ユーリィ執政官の体の脇に、これが....
兵士はそう言って、一本の杖を、私に差し出した。 白い木で出来た、美しい杖だった。 ...けど、それはあくまでも、ただの木だった。 そこからは、なんの魔力の鼓動も、感じることはなかった。
私は、兵士から杖を受け取って、それを握りしめる。
(.....兄さん。 ......最後に、あなたは........)
それは、私のただの想像でしかなかった。 ...あるいは、願望に近いものかもしれない。
私はその思いを振り払って、兵士に尋ねる。
...ティア司令官は?
ー...まだ、どこにいらっしゃるか...生きておられるのかも、分かりません。 ...サーシャ司令官。 今、この場で指揮が取れるのは、あなただけです。
私は頷いて、彼に伝えた。
...戦争は、もう終わりよ。 オラリアの被害も甚大だし、それに、[ノア]を失った私たちも、これ以上の継戦は望めない。 ...伝令を呼んで、アロハルト公爵に、停戦の申し入れを伝えなさい。
彼は頷いて、走り去っていった。
私は、まだうっすらと雪の残った戦場を歩いて、[ノア]の方に向かう。
かなり遠くからでも分かるほどに、相変わらず、大きい船だった。 その船は、もう役割を終えて、静かに森の中で眠りについていた。
その船は、自由の名前を冠して作られて、空を飛んだ。
...でも、今、この森の大地に包まれて、静かに横たわる彼女の姿は、空を飛んでいる時よりもはるかに、自由に包まれているような気がした。
しばらく立ち止まって、船を静かに眺めていると、草むらで誰かが動いたような気配がして、私は思わず振り向いた。
そこには、静かな深い緑の草むらが、ただ広がっていた。
...誰か、いるの?
私はそっと優しく、そこに呼びかけてみる。
...私の体は、すぐに、草むらから飛び出してきたものによって、地面の上に押し倒された。
小さな、白い.......ふわふわの体毛に包まれた、あたたかい体が、私の胸をしっかりと捕まえている。
そのすがたを認識して、それが、誰であるかがわかって....
私はその小さな体を、ぎゅっと抱きしめた。
ーサーシャ....!! サーシャ...!!!!
私は、泣きじゃくるアルルゥの頭を優しく撫でて、それから、自分の目の涙も拭った。
ーアルルゥは、死んじゃったと思ったのです...
でも、あなたはいま、ここにいる。 .....アルルゥ。 ...よかった。 ....本当に、よかった。 嬉しい。 あなたが...今、ここにいてくれて。
私は、アルルゥを優しく抱き上げて、それから、船の甲板に目を向けた。
誰かが、私たちを、見下ろしてるのが見える。
その背の高い影は、甲板から飛び降りて、ノアの上を華麗に伝って、私のすぐそばに着地した。
ー...どうなってるんだ、これは?
私は、何も答えなかった。
答えずに、ただ....フレイアの体に、抱きついた。
フレイア...フレイア!! ...死んじゃったかと、思った...!! 生きてて、あなたが、生きてて...!!!
....それ以上は、言葉にならなかった。
私は、フレイアの胸の中で、子供みたいに、泣きじゃくった。
ー...サーシャ。 ...よかったよ。 お前と...もう一度、逢えて。
フレイアは、泣き喚く私の頭を優しく撫でてくれた。
ーフレイア...アルルゥには、ないのですか??
ふと、濡れた目で地面を見ると、アルルゥが少しふくれたような顔で、私とフレイアを見つめている。
フレイアは、私を優しく離して、それから、少し冷静に、アルルゥに言った。
ー...アルルゥ。 ...お前、幻じゃないよな?
ー生きてるのです!!! フレイアは、冷たい、の.......
アルルゥの言葉は、彼女を優しく抱き上げて、そっと口づけを交わすフレイアに、遮られた。
ー........私とお前が、今、生きてるのか、死んで地獄にいるのか、わからんよ。 ....でも。
.......大好きだ。 私の、大切な、娘だからな。
それを見て、私はまた、いっぱい泣いてしまった。
************************
いっぱい泣いて、どれくらいの時間が経ったのか、よくわからない。
アルルゥも私も泣き止んで、それで...誰も口には出さなかったけど、今私たちがやるべきことは、たったひとつだけだった。
ー....で、サーシャ。 ......あのアホは、どこだ?
レイは........ここまで来る途中では、遭わなかった。
ー......探しに行くのです!! ....ここまで来て、レイだけが、いないなんてこと......
ー...ああ。 探しに行こう。 ...あのガキ。本当に、手間ばっかりかけさせやがって。
少し怒ったようなフレイアの言葉を聞いて、私たちは、森の中を出る。
でも、いくら歩いても...レイとは、遭わなかった。
...レイ!! レイ!! どこ、返事して....!!!
ーレイ!!!! はやく、隠れてないで出てくるのです....お願いなのです....
ー.....あの、バカが.....万一死んでたら......死んでたら、私が殺すぞ.......
...お互いが、不安だった。
不安で、心が潰されそうで。
私たちは、離れないようにしながら、なるべく早足で駆けて、レイを探し回った。
やがて、日が陰って、夜の暗い闇が訪れて...
....レイとは、逢えなかった。
....どう、しよう......
ーなんで...なんで、レイだけ、いないのです.....
ー....一旦、オラリアに戻るぞ。 ...あのアホ.......もしかしたら、ただ、バカみたいに寝てて、オラリアに負傷者と一緒に担ぎ込まれてるだけかもしれん。
フレイアの提案に乗って、私たちは、オラリアへの道を進む。
...月が出て、3人の後ろを、月が優しく照らしていた。
オラリアへ戻る途中で、私たちは結局、道の脇にあった旅人用の小屋で休む。
なんだかんだで、3人とも相当疲れてたし、...停戦が受け入れられても、まだ、オラリアは敵国なのだ。
フレイアは、すぐに眠りに落ちたアルルゥに優しく毛布をかけて、それから、まだ起きていた私と、少しだけ夜の風に吹かれながら話をする。
ー...ここは、あの時と一緒の小屋だな。
.....レイが、オラリアで捕まっちゃって、あなたとアルルゥで助けてくれた時のこと?
ー...ああ。 ...その夜にな、あの子と、ここで話をしたんだよ。 ...あいつは、言ってたっけな。 理由が無かったら、誰かを、助けちゃいけないのか、って。 ......それを聞いて、私は結局、奴隷の女の子のことを、言い出せなかったんだ。
......レイらしいわね。
ーああ。 ......バカで、間抜けで、無知で、頑固で、アル中で......優しい奴だ。 だから、私は、あの子のことが、好きになれたんだよ。
....きっと、生きてる。
ー......そうだな。 .....そうだよな。
そんなことを話していると、小屋の扉が急に開いて、私たちはびっくりして振り返る。
寝ていたはずのアルルゥが、なぜか、焦ったような顔で、私たちに伝える。
ー...足音が、聞こえたのです...!!
足音...? 帝国か、オラリアの兵士?
ー違うのです...この音、アルルゥは知ってるのです!! ...レイの、お姉さんの.....
私たちは、それを聞いて、小屋の先の道を振り向いた。
月の明かりに照らされながら、1人の女の人が歩いている。
...その背中には、黒いローブを着た、小さな女の子が、眠るように背負われていた。
私はその場から駆け出して、ティア司令官に、ほとんど叫ぶように話しかける。
ティアさん!! ...レイは...レイ..._!!!
ティア司令官の背中に背負われたレイは......死んだように、眠っていた。
微かに、息の音は聞こえる。
けど、片腕が肘の辺りで切れていて、そこに、布が何重にも巻かれてる。
ー...サーシャ司令官。 ...貴方も、生きていたのね。
....ええ。 どうしてかは....分かりませんけど。
ティア司令官は、レイを背中から下ろして、それで...その身体を、私に預けた。
ー...何が起こったのかは、私にも分かりません。 ...私は、あの時に、確かに死んだはずだから。 ...でも、今、こうしてここにいる。 レイは、小さな飛空艇の中で...ずっと、気を失ってました。 ...まだ、起きる気配はありません。
でも...でも...レイ、腕が.....
ー...身体の傷は酷い状態でしたが、とりあえず、私の魔法で命は繋ぎ止めました。 ..でも、ずっと、眠ったままです。 ...サーシャさん。 私は、オラリアへ向かいます。 アロハルト公爵と、停戦の条件について話し合う必要があります。 ...あなたは、レイを....
そう言って、ティア司令官は、私に...
いや、私たちに、頭を深々と下げた。
ー....妹を、お願いします。
...ええ。 まかせてください。
私もそう返して、お辞儀をする。
ティア司令官は、少しだけ微笑んで...それから、レイの頭を軽く撫でて、オラリアへの道を歩いて行った。
私の腕の中で、レイは、静かに、眠り続けていた。
(第14話終わり)