※実在の地名、人物とは一切関係しません。
あくまで創作の中での話です。
※未成年の飲酒・喫煙は、法律で固く禁じられています。
(エピローグ)
あの戦争から、もう1ヶ月が経った。
結局、帝国とオラリアの間で、まず簡易的な休戦協定が結ばれ、一応は、世界中を巻き込んだ大きな戦争が起こることは、とりあえず避けられた。 でも、それはあくまでほんの一時的なもので、これからオルタマイア本国との正式な停戦に向けた交渉が始まる。 それは長く、重い交渉になるはずで、私は今から既にその準備に追われていた。
交渉の準備には、主にティアさんが当たっていた。 彼女は今もオラリア近くの港町に留まって、そこでいろんなお偉いさんを相手にする日々らしい。 私はというと、結局、本国への送還と裁判は、今の所はこの混乱の中で、話は持ち上がっていなかった。オクタヴィア司令官は、フレイアに脅された通りに、兄さんの企みを本国に余すところなく伝えていた。
...けど、その当の兄さんは、あの戦争での「唯一の」戦死者となって、もう、ここにはいなかった。
...私は今でも、持って帰った白い杖を見つめながら、兄さんのことを考える。 ...兄さんが、最後に何をしたのか、...なぜ、そうしたのか、考えても、わからなかった。
でも、ひとつだけ、わかることがある。
....兄さんは、人生の最後の最後に、ようやく、失ったものを取り戻せたのだ。
兄さんが最後に見た空も、澄み渡る美しい青い空だったと、...私はそう思っている。
私は結局、兄さんの代わりの臨時司令官として、ベドウィンに戻った。
アルルゥとフレイアは、これ以上私についてくる理由はないはずだった。 けど、2人は、特に何も言うことなく、私についてきてくれた。
べドゥインへと帰る飛空艇の中で、私は聞いてみる。
フレイア。 これから、あなた達はどうするの?
ー...さあな。 正直、まだ考えられてないな。 これから先、世界も大きく変わるだろう。 ...私みたいな、剣と弓だけが取り柄の亜人が、これからも同じように金を稼いで生きていけるかどうかも、よくわからん。
ーこれを機に、アルルゥ達も真面目に就職を考えるのも、いいかもしれないのです!!
ちなみに、どこに?
ーなるべく楽して遊べる職場がいいのです!! 1日2時間労働くらいがちょうどいいのです!
...まだ、アルルゥには世間の厳しさを教育する必要があるわね、フレイア。
ー...そうだな。 私の教育ミスだ。
でも、実際のところ、フレイアの言う通りだった。
...これから先、世界がどう進んでいくのかは、よくわからない。 それが平和なものであるように願いたいし、力を尽くしたいけど、帝国の中では、未だに主戦論が根強いのもまた事実だった。 オルタマイアの方も、大人しく停戦協定に応じるかどうかは、まだわからない。...兄さんの撒いた反乱の火種も、まだ各地で燻り続けているはずだった。
たぶん、まだ当分は、フレイアの稼ぎ場が無くなることは、ないんだろうと思う。
私は今日も、若干蒸し暑い執務室の窓を開け放って風を取り入れながら、報告書や書類の山に逐一目を通していく。 こういうことをまる1ヶ月やってると、なんだか、みんなと過ごした旅のことが、ずっと遠い昔のように思えてくる。
真っ赤な夕暮れが訪れるまで、私は食事も摂らずに仕事に取り組んだ。
やがて、夜が訪れて、私は家路へと急ぐ。 まあ、家といっても、帝国兵用の宿舎の一角なんだけど、準備してもらえてるだけありがたかった。 ...この国では、ダウンタウンに追いやられていた国民達の生活が劣悪で、犯罪率が激増している。その対策も、今の私の取り組むべき大事な仕事だった。
私は、家に帰る前に、いつもそうするように、病院の1室へと寄った。
アルルゥはもう既にその部屋の中にいて、椅子に座りながら、本を読んでいた。
珍しいわね。アルルゥが読書?
ーレイの本を読んでたのです!!
...ああ......そうなの......どう?
ーレイは意外と大人だってことが分かったのです!
.....背伸びしたい年なのよ。きっと。
私は、アルルゥとそんな他愛のない会話を交わしながら、白いベッドの上で眠りについてい
る少女の髪の毛を、そっと優しく櫛で梳かして綺麗に整える。
レイは、あれからずっと、目覚めることはなかった。
彼女は、ただ静かに眠っていた。 医者に見てもらったけど、体は(内臓はアルコールのせいで結構弱ってたみたいだけど)まずまず健康な状態に向かってるといってもよく、少なくとも、今こうして昏睡状態に陥っている理由は、はっきりとはわからない。
医者は、こうも言っていた。
ー...身体の問題でなく、そのなかの心の方の問題かもしれませんね。
心?
ー強い、あまりにも強烈な、心的なショックを受けると、稀にこうなる患者さんもいるのです。 ...それが何だったのかまでは、私には分かりませんが。
それから私たちは、交代でレイの病室に通いながら、彼女の身の回りの世話をしている。
レイは、特にいつもと変わらないように見えた。 ...でも、髪の毛も少し伸びたし、それに、少し、痩せたように見えた。
彼女の身なりを整えて、私はいつも通り、ベッドのそばの椅子に腰掛けて、持ってきていた本に目を通した。 アルルゥが温かいお茶を淹れてくれて、それをゆっくりと2人で飲む。
そんな時間が少し続いて、やがて、太陽は完全に沈んだ。
フレイアは、もうずいぶん夜も更けた頃にやってきた。
ー...悪い、遅くなった。
フレイア。 またお仕事? ...忙しいの?
ー...まあ、な。 昼は真面目に厨房で働いて、夜は...まあ色々あるんだ。 ダウンタウンのあたりは、まだ治安も悪いからな。 これが役に立つことも、たまにはあるさ。
フレイアは、そう言って、剣の柄を軽く小突いた。
ー...で、こいつは、まだ寝てるのか。 ...見たまんまだけどな。
.....でも、もう1ヶ月よ。
ー...どれだけ寝たら気が済むんだ、こいつは。
ー...レイは、ちょっとだけお寝坊さんなのです...。
ーガキだからな。 まだまだ。 ...ちょっと、長すぎるけどな。
フレイアは、レイの寝ているベッドの側に立って、彼女の頬を、少しだけ撫でた。
ー...そういえば、サーシャ。 オルタマイアとの交渉が始まるのは、来週か?
ええ。 私も行かなくちゃいけない。
ー...そうか。 ...もう、来週か。
私は、その道中の護衛を、フレイアに頼んでいた。 交渉は国境近くで行われる予定だったが、まだまだ、何があるかわからないのだ。 ...次にいつ帰ってこれるのかも、はっきりしない。
ー.....サーシャ。
どうしたの? フレイア。
ー...お前を守りたいのは山々なんだがな。 ...やっぱり、護衛は別の奴に任せられないか?
.....フレイア。
ー...このアホが起きた時に、独りじゃ、いろいろ困るだろ。
....そうね。 ...起きた時に独りだったら、寂しいもんね。
ー...済まない。 こいつが起きたら、すぐに行くよ。
待ってるわよ。 ...必ず。
そんな話をして、夜は更けていく。
よく晴れ渡った空の上に、星と月がまたたいて、街を照らしていた。
************************
そこは、白い砂の上だった。
砂漠というほどには起伏もないし、どこまでいっても平らだ。 ただ、白い砂だけが、延々と僕の目の前に続いていた。
空を見上げても、そこに青い色は無かった。
どこまでも、灰色なのだ。 雲があるわけじゃないし、夜なわけでもない。 適度な光があるんだけど、太陽がのぞいているわけでもない。
僕は、そんな世界の中を、ただ歩き続けていた。
脚もほとんど動かないほど疲れていても、僕はまだ歩き続ける。
...そうしなきゃ、いけないような気がした。
でも、僕が向いているのが、前なのか、それもよくわからない。
ただ、何処かへと、歩き続けるだけだ。
......いなくなったみんなのためにも、僕は、前を向いて、歩き続けなきゃいけないから。
でも、とうとう、それもできなくなった。
喉がカラカラに乾いて、唇が罅割れてる。 脚も、片方だけになった腕も...何も、動かせない。 どこか、暗い日陰に横になって、休みたかった。 ...どこを見渡しても、そんなものは、どこにも見当たらなかったけど。
僕はとうとう諦めそうになって、白い砂の上に座り込んで、ただ、空を眺めた。
それは、相変わらずの灰色で、雲も、月も、星も、太陽も、何も見えなかった。
...でも、もういいかな。
僕は、1人で呟いて、そう考える。
......ここで休んでも......誰も、怒ってくれないしな。
...誰が、僕を怒ってくれるんだっけ。 ...心配してくれる人すら、もう、誰もいないのに。
そう思い出した途端に、こうして歩いていること自体が、何の意味もない徒労なのだと、そう思えてきた。
ーそうね。
...ん?
ー...ここで歩き続けていても、何の意味も無いわ。
僕は、囁きかけてくる誰かに向かって、同意した。
...そうだね。 君も、そう思うだろ。
ーええ。 ...そうね。
彼女は、僕にそう返す。
やっぱりそうかなと、僕は思う。
僕に囁きかける誰かは、少し間を置いて、話し続けた。
ー...この世界を歩いていても、意味はないと思うわ。 ...貴方の歩く世界は、別のところにあるから。
...別のところ?
ーええ。 ...貴方が、生きていくべき世界。
.....そんなところ、もう、無いよ。
ーあるのよ。 ...生きている貴方が、戻るべきところが。 レイ。 ...何もかも喪ったと、貴方はそう思っているかもしれない。
.....そうだよ。 .....みんな、いなくなったんだ。
ー...たとえそうだとしても、貴方は戻らなくちゃいけない。 ...いなくなった人たちのためにも、貴方は、貴方の世界で、前を向いて、歩いていくべきなの。
彼女は、僕に手を差し伸べてくれて、優しく抱き起こしてくれた。
......そうなのかな。
ーええ。 ...レイ。 前を向いて、歩き続けるの。 ...貴方はきっと、独りぼっちじゃないから。
僕は、霞みゆく視界の中で、彼女の顔を見つめた。
ーさあ。 もう、起きて。 ...起きて、戻って。 貴方の世界に。
.........
...........フィア........
ー...前を向いて、歩き続けて。 .....私の、大好きな人。
僕は、フィアの顔に、手を差し伸べようとした。
でも、彼女は、もうそこにはいなかった。
...手を伸ばせば、優しく消えていく、夢みたいに.......
彼女は、もう、そこにはいなかった。
************************
僕は、ゆっくりと、重い目蓋を開けた。
伸ばした手は、白い天井に向かって伸びている。
......やっぱり、もうちょっと寝るか。
急に疲れがどっと出てきたような気がして、僕は柔らかいベッドの上に手を下ろして、それからまた、まぶたを閉じようとした。
でも、誰かの甲高い叫び声で耳がきーんとして、僕は諦めて目を開けた。
ーレイ!!! ...レイ!!!
お腹の上に、何かがずっしりとのしかかってくる。 ...白くて、柔らかくて、それに、暖かった。 その物体は、胸のあたりから、僕の顔を覗き込むくらいに上がってきて、その大きな黒い目と、僕の目が合った。
....うさぎ?
ーアルルゥなのです!!! レイ....レイ!!!
僕は、やれやれと思って首を少しだけ振った。
白い砂漠の夢の後は、天国の夢らしい。 ...まあ、地獄じゃなくて天国に行かせてくれるというのなら、神様も、少しは温情みたいなものがあるのかもしれない。
...死後の国かな?
ー現実なのです!! ...アルルゥも、レイも、生きてるのです!! サーシャも、フレイアも...みんな、みんないるのです!!
僕は、泣きじゃくるアルルゥを抱きながら、何が何だかよくわからないままに、上半身をゆっくり起こして、その部屋の中を見渡した。
...サーシャが、泣きそうな顔をしながら、僕を見つめている。
.....やっぱり、天国かな? ...それともみんな地獄行きだった?
サーシャは、ゆっくりと、僕の側に歩いてきた。
ー....ばか。 ....ばか。
彼女は、それ以上、何も喋らなかった。
ただ、僕の肩を抱いて、静かに泣いていた。
それから何分か経って、サーシャが急に真っ赤な目で僕を睨み付けて、早口で捲し立てて、僕はちょっと、というかかなりびっくりして焦った。
ー....もう起きないかと思って、心配したのよ!!! レイ!! ...何、呑気に寝てたのよ!! ...バカ!!! ...ばか......レイのばか.............よかった............
僕は、サーシャとアルルゥに抱きしめられたまま、どうしていいのかわからずに、ただ、オロオロして焦るばかりだった。
...みんな、生きてるのか?
アルルゥが、僕の胸に顔を埋めたまま、ぶんぶんと首を縦に振った。
.....みんな......
ーおい。 ...ねぼすけ。 ずいぶん長いおねんねだったな。
僕は、扉の方から聞こえた声のほうを振り向く。
...相変わらず、少し皮肉屋なフレイアが、僕を見つめていた。
悪かったな...。
...だって...みんな.....みんな.....いなくなっちゃったと....おもって.....
自分で言いながら、僕の目から、涙が溢れるのが、自分でも分かった。
みんな......いなくなったって........おもった、から.......
ー私たちは、生きてる。 勝手に人を死んだことにするな、アホ。
フレイアは、そう言いながら、僕の方に歩いてきた。 彼女はサーシャとアルルゥを僕の体から優しくどけて、それから、僕に冷静に告げる。
ー...まだ動けそうなら、さっさと準備するぞ。
準備って...?
ー明後日から、サーシャの護衛で、オルタマイアの国境近くまで向かわなきゃいけない。 向こうでは、いろいろ何が起こるかわからん。 ...まあ、お前がまだ寝てたいなら、ゆーっくり、お休みになられててもいいんだがな。 魔術師殿?
僕は、相変わらずの毒舌なフレイアに若干むっとして、思わず言い返す。
...なんだよ。 置いてくつもりか? ...行くよ。 行くってば。さっさと準備するから、僕の荷物、どこに...
僕はベッドの上から立ち上がろうとして、そのまま、よろけた。
体と足に、まだうまく力が入らない。
...でも、倒れることはなかった。 フレイアが、僕を受け止めてくれて、それから、ぎゅっと強く、強く...抱きしめてくれた。
フレイア....
ー.....悪かったな。 独りで、辛い思いをさせて。 ......レイ。
フレイアの手が、優しく、僕の頭を撫でてくれる。
僕は、フレイアの胸の中で、声を上げて、いっぱい泣いた。
ーさて...と。
ずいぶん長く、泣いてた気がする。
フレイアは、少しだけ泣き止んだ僕を背中に背負って、サーシャとアルルゥが隣に着いてくれて、病室を出た。
ーレイ、お腹空いてない?
サーシャにそう聞かれて、急に僕は空腹と、それから酷い喉の渇きを感じる。 ...そういえば、ずいぶんと長い間、何も食べてないし、飲んでなかった気がする。
うん...。 砂漠じゃ、そういうの無かったんだ。
ー砂漠?
...いろいろあったんだよ。僕は僕で。
ーじゃあ、まずレイが起きたお祝いをするのです!!! フレイアが働いてる店に行くのです!
フレイア、お前...真面目に働いてるのか?
ー...どういう意味だ。
いや、客に喧嘩売ったりしてないかなと.....
ーお前じゃないんだから、そんなに誰にでも噛みつくか。 ガキ。
ーまあ、フレイアのウェイトレス姿も見てみたいしね。
サーシャがからかうようにそう言って、フレイアは、若干困ったように首を振った。
ー...もう若くないんだ、こっちは...。
未成年じゃないのか?
ーフレイアは、何を着てもまあまあ上手に着こなすのです!!
ー.....「まあまあ」......
そんな話をしながら、僕たちは、4人で笑い合った。
病院を出て、それから、フレイアの働いてる店まで向かう。
日差しが強くて、僕は若干くらくらしたけど、空を見上げた。
雲ひとつない、晴れ渡った青空が、僕の上に広がっていた。
(終わり)