※実在の地名、人物とは一切関係しません。
あくまで創作の中での話です。
※未成年の飲酒・喫煙は、法律で固く禁じられています。
(第7話)
ベドウィンまで戻る道中は、ネズミの言った通り、確かに山より遥かに安全で、それに、景色も悪く無いルートだった。 馬車を乗り継いでオランの港町まで向かう途中は、久々にゆっくりと体を休められて、それに、まあ、こいつらと旅するのもそんなに嫌じゃ無いかもしれないと、僕はそう思い始めていた。
僕は持ってきた本を読んだり、それにも飽きたら本を司令官殿やネズミに貸して、後は窓から差し込む日の光に当たりながら、穏やかな気持ちでうとうとしたりしていた。
ー...レイ、あなた、意外とロマンチックな本読むのね。
...うるさいな。悪いかよ。
ー似合ってなさすぎて驚いたと、私ならそうハッキリ言い切るがな。
...ネズミ、お前その本返せ。
ーアルルゥも読んでみたいのです!
あー......アルルゥにはまだちょっと早いからな.......
ーところどころエロいからな。 お前、こういう妄想してるのか? いい趣味だな。
ーレイ、あなた.....まあ、人の趣味には口を挟まないけど.....
...お前ら、僕を揶揄って遊んでないか?
ー全然。
ー全然。
ーアルルゥも読んでみたいです! ちょっとでいいのです!
ー...アルルゥ、あなたはまだやめといた方がいいわ....。
....そんな、頭の痛くなる、くだらないやりとりが繰り返されるくらいには、穏やかな旅路だったのだ。誰かに襲われることもなかったし、基本的にアルルゥが楽しそうに騒いでいるうちは、少しくらいは気を抜いていても問題ないということが、なんとなく僕にも理解できつつあった。
オランの港町は、海を隔てて帝国と唯一交流のある地だけあって、活気もあったし、オラリアで見たような、吐き気のするような光景も見られなかった。...それでも、亜人の奴隷はやっぱりいるようだったけど、フレイアもアルルゥも、露骨に悪い扱いを受けたりすることなく、僕たちは潮の匂いのする港町を楽しんだ。オラリアと違って、家々は白い石を基調としながらも、そこに赤や緑、青のタイルが取り入れられて、カラフルな色彩を見せている。静かな海の波あいに、その光景はとても映えていた。 市場を少し歩いてみたけど、とても賑わっていて、オルタマイアで取れた品々と、帝国領から輸入されてきた品が、みるみるうちに行き交って取引されていた。
出港までの1日の間、僕たちは海に面した宿に泊まって、夕焼けが落ちる海を見ながら食事を取る。鮪を薄く切って、塩と胡椒と香草で味をつけた冷たい皿、サフランとシーフードを入れて炊き上げた米を大皿に盛って、それに、新鮮なサラダと果物。どれもシンプルな味付けだったけど、材料は新鮮で、それだけ十分美味しかった。
...なあ、最初から、こっちのルート通って来ればよかったんじゃ無いのか?
僕は当然の疑問を、司令官殿に尋ねてみる。 人に知られちゃいけないからあんな山を越える苦労を犯したはずなのに、帰りはこっち使うんだったら、別に行きもそれでよかったんじゃ無いかって気がする。
ーそうできればいいんだけどね。 ...この港町の入り口で、検問があったでしょ。
ーオルタマイア側から入ることは出来ても、出ていくことは出来ない。 本格的に戦争が始まる前に、避難したい帝国籍の住民が多いからな。 ...それくらい知ってろよ、魔道士殿。
...悪かったな、不勉強で。
ーアルルゥたちは、一応帝国籍を持ってるのです。 ...でも、帝国側からオルタマイアに入るためには、あの山を経由するしか無いのです。
...なるほど。僕がアホってわけですね、わかりましたよ。
ーもう、拗ねないでよ、レイ。 ほら...ご飯粒、顔についてるわよ。
司令官殿が僕のほっぺたを軽く触って、ついてたらしい米粒をとってくれる。
ー...基本的にガキだな、お前。 どうせ、酒も無理して飲んでるんだろ。 ちょっと背伸びしたいお年頃なんだよな、魔道士殿?
...なんとなく、オラリアでの一件依頼、ネズミが僕をからかう頻度が増えた気がする。...まあ、それにいちいち言い返す僕も、悪いといえば悪いんだけど。
...じゃあ試してみるか、ネズミ?
ー後悔するなよ。 ...なあ、そこの君、一番強いワイン持ってきてくれ。 ...違う、グラスでじゃなくて、瓶ごとだ。 私とこいつでひと瓶ずつ。
ー...フレイア。悪乗りしないで。 レイは未成年なのよ...。
ー私もだが?
...えっ?
僕は思わず、フレイアを見て聞き返す。未成年? ...ファ族の容姿と年齢の関係はよくわからなかったけど、まあ、そう言われてみれば、フレイアはだいぶ若く見える...かもしれない。
ー......レイ。 ......純粋なのはいいことだけど、人を信じすぎるのもよくないことよ。
ー......アルルゥも、さすがに冗談だって分かるのです。
...う、うるさいな。誰も反応しなかったらネズミが可哀想だから、ちょっと乗ってやっただけだろ。 ...さすがに分かるよ、さすがに......。
フレイアはうろたえる僕を見て、堪えきれないように小さく笑う。そこでようやく酒が運ばれてきたので、僕は救われたような気持ちになる。
ーなあ、サーシャ。 ...未成年に酒を飲ませるのは悪いってことは分かるが、まあ久しぶりなんだ。 ちょっと目をつぶっていてくれないか?
ー...フレイア。 ......まあ、今日だけ見なかったことにするわ。 レイ。飲みすぎないでね。...念のためだけど、魔法は封じさせてもらうわ。
信用ないよな、僕も。
まあ、自分で言っていてなんだけど、......当然のことだとは思う。
...ネズミ。...お前のお誘いに乗れないのは悪いんだけどさ。やっぱり僕は遠慮しとく。
ーん? ...まあお前の自由だが、お前、山で散々飲んでたよな?
......あれは間違いだったと思う。 ......それに、友達に怒られそうだからな。
なるほどな、ネズミは小さく呟いて、それ以上勧めようとはしなかった。
ーじゃあ、アルルゥが代わりにいただくのです!!
...君にはまだ早い、アルルゥ。
ーどうしてなのです? ミ族のしきたりでは、14歳から成人なのです。 サーシャ、確か、サーシャの故国のシュラーフでも、そうだったと思うのです。
ー私は、成人する前にマクラウド家に引き取られたからね...。 ...というか、アルルゥ、何歳なの?
ーアルルゥは12歳になったのです!
...じゃあ、ダメじゃないか...。
僕はふと、テラスの外の海を見る。 ...どうしてだろう。 司令官殿は、帝国の要人で...ネズミは、ただの嫌な奴だ。 アルルゥは...会った時はうるさい奴としか思わなかった。
......でも、今、どうして僕は、この場所が居心地がいいと...この時間が、ずっと続けばいいのにと、そう思うのだろう。
僕はまた、フィアのことを思い出す。
海を隔てた先で、フィアはまだ、僕のことを心配してくれているのだろうか。 ...どうして僕は、彼女の幻を見るのだろう。 ...幻は夢みたいで、その中のフィアは、僕に囁くように語りかける。憎しみを忘れるなと。 ...本物のフィアが、僕が帝国の奴と仲良くしてるって知ったら、彼女はどう思うだろう。
......僕の希望も混じってるけど、多分フィアは、それを受け入れて、喜んでくれるかもしれない。
僕が自分の居場所を見つけたことを、フィアはきっと、祝福してくれると思う。
************************
港から帝国領に渡って、そこからさらに飛空挺を乗り継いでベドウィンへと向かう。馬車やら船やらに比べると、飛空艇ってやっぱり早いんだなって当たり前のことを僕は実感した。
結局、オラリアを出発してからだいたい2週間くらい経って、僕はもう一度、故郷の地を踏むことになった。...登山してた時間を合わせても、1ヶ月くらいしか経ってないはずなのに、ずいぶんと久しぶりな気がする。そんなに長い間、この王都を離れたことがなかったから、僕はちょっとした感慨のようなものを感じた。
飛空挺を降りた先の入出国フロアで、僕たちは滞在中の簡単な打ち合わせをする。
だいたい、何日くらいここにいるつもりなんだ?
ー...レイ、貴方には悪いんだけど、あんまり長居するつもりもないわ。明後日の朝早くには出発する。その間に、 私は一度軍司令部に寄って、司令代行と近況について話さなきゃいけない。
ーアルルゥとフレイアは、次の旅の仕入れと準備を整えるのです。
ーつまり、ド暇なのはお前だけだ。 よかったな。
... 別に、何かあったら僕も手伝うよ。
ー......まあ、暇な時間を利用して、体を休めるなり、友達に会いにいくなりしたらいい。
ーフレイアは、レイのことを気遣ってくれているのです。 素直じゃないだけなのです。
そうなのか?
ー...たまたまだ。
僕たちは結局、明日の晩に、南門付近の宿で待ち合わせることにする。 ...まあ、たまたま暇なのか、気を使ってもらったのかはよくわからないけど、僕は僕でやりたいことをやろうと思う。
みんなとの別れ際に、司令官殿に声をかけられる。
ー...レイ。...念のためだけど、普段は顔はなるべく隠しておくのよ。 ...あまり言いたくないけど、住民の中には...
...僕をよく思ってない人も、多いだろうしな。...魔法も、封じといてくれていい。使う機会も無いだろうし。
ー......わかったわ。 気をつけてね。
やれやれ。基本的に司令官殿は、僕に対して割と心配性だ。 ...まあ、それが正しいと思う。
僕たちはそんなことを話して、それぞれのやるべきことをやるために別れた。
本当に、1人きりになるのは、随分久しぶりな気がする。
僕は念のために、フードをかぶって顔を隠しながら、ダウンタウンまで向かう。 フィアはこの昼過ぎの時間は、だいたいいつもの雑貨店で働いてるはずだった。...僕のせいで、首になったりしてないといいんだけど。
ダウンタウンを降りた先に、立ち入り禁止になってる区画が見える。...僕が、魔法で燃やした結果だった。 それを見て、僕は素直に、とても申し訳ない気持ちになる。 ...きっと、僕のせいで、ささやかな暮らしの中の幸せを奪われた人だって、いっぱいいるんだ。
...帝国と、どっちが悪いんだか、わかったもんじゃない。
僕は必ず、いつ終わるかわからないこの旅が終わったら、何らかの形でそれを償うべきだと思った。刑に服するのか、それ以外の形でなのか...よくわからない。それに、それはたった2日の滞在での中で、どうこうできるような軽い話とも思えなかった。
だからとりあえず僕は、フィアに会って安心させてやる方を優先することにする。
...何だか、ちょっとしか離れてないはずなのに、会うのが随分久しぶりで、ちょっと気まずい気がする。一言目にどう言ったものか、よくわからないのだ。 久しぶり、とか、元気にしてた?、とかでいいのだろうか。...泣かれそうな気もしたし、怒られそうな気もした。それについて、僕はダウンタウンの少し湿った人混みの空気の中を歩きながら考える。
...たぶん、最初は、謝るべきな気がした。 迷惑をいっぱいかけたことと、心配もさせたことを。それについて謝って、それからお礼を言うべきな気がする。
迷路のように入り組んだ道を何度か曲がり、僕はフィアの働いているはずの雑貨屋の前までやってくる。...幸い、燃えないで無事残っていた、いつも通りごみごみした店の中に入って、僕はしばらくキョロキョロと中を見渡してみる。フィアは品物の整理をしてるわけでもなかったし、カウンターに立っているわけでもなかった。
...フィア?
僕は小さく呼びかけてみるけど、カウンターの奥からフィアが出てくる気配も無い。...もしかして、僕と仲が良かったことを見咎められて、クビになったんじゃ無いかって不安が僕の胸を過ぎる。 僕は店を出て、フィアの家の方へと歩いていく。
そして、彼女の家の前まで辿り着いて、僕はその空虚な光景を見つめる。
...フィアの家は、扉が破られていて、家の中の光景が外から見てすぐにわかった。 綺麗に整えられていた家具も、ベッドも、廊下に面した洗面台も、すべてがぐちゃぐちゃに荒らされて、あるものは破壊されて、あるものは倒されていた。
...フィ...ア.....?
僕は家の中に入るわけでもなく、ただ呆然と、暗くて、荒んだ家の中を、立ち竦んで見つめていた。 ...泥棒か? ...だとしたら、フィアは今どこにいる? 他に移り住んだか? ...そんなお金があるのか? ......フィアは今、どこにいる?
ー...あんた。 フィアの知り合いかい?
後ろから声をかけられて、僕は慌てて振り向く。 知らないおばあさんだった。 トマトの入った買い物カゴを下げてる。
え、ええ。 ...友達です。 その、久しぶりに帰ってきたから、顔見せようかと思って...
ー......残念なことだけど。 ......あの子はもういないよ。 ...優しい子だったんだけどね。
え...いないって、その...引越しとかですか? ...ずいぶん、家が荒れてるみたいですけど。
ー....あの子は、亡くなったんだよ。
......................
.........................
............................えっ?
ー...酷い話だよ。 あの子はなーーんにも悪くなかったんだ。 ...ただ、ねえ、あんた知ってるかどうか知らないけど、少し前に、このダウンタウンに放火した魔導師が1人いてね。...フィアは、そいつの友達だったのさ。 ...本当にひどいもんだよ。 その魔導師は帝国軍に逮捕されたんだけどさ、結局いろんな恨みやら不満やらがフィアに向いてね...。 ...下水道に連れ込まれて、そこで殺されたんだよ。 ...本当に。ここも昔は、そんなひどいことが平気で起こるような場所じゃなかったんだけどねえ.....。
...ねえ。
ーどうしたんだい? ...あんたも友達なら、さぞかし辛い話だろうねぇ...。 あの子は本当にいい子だったんだよ。 朝から晩まで働きづめでさ。 両親も戦争で亡くしたってのに。 店が休みの時は、よく孤児たちの相手をしたり、勉強を教えてやったりしてたもんだよ...。
......ねえ。 ......嘘、つくなよ。
ー...嘘じゃ無いさ、信じられない気持ちはわかるけ......
嘘つくなって、言ってるだろ!!!
僕は意味のわからない嘘ばっかり並べ立てるばあさんを、怒りに任せて激しく問いただす。
趣味の悪い嘘付くなって言ってんだろ、さっきから!! フィアが死んだ? 何、意味のわかんないことばっかり言ってんだよ、お前! フィアが殺される理由なんて、何一つ、どこにもないだろうが! お前も言ってたよな、フィアは何一つ悪くないんだ、そんなことみんな分かるだろ!! 分かったか、分かったらさっさとここから消えろ!!!
...僕が怒鳴るそばから、ばあさんはみるみる真っ青になって、老人とは思えない速さで僕の前から立ち去った。 走っていくばあさんの抱えた籠から、熟したトマトが何個か地面に転がって、少しひしゃげて奇妙な青臭い匂いが周囲に広がった。
................嘘だ.................
僕は小さく呟いて、その場から駆け出す。
ダウンタウン中を走って、走って、...フィアがいそうな場所は全部見て回って。
それでもそこに、彼女はいなかった。
.....フィア....フィア....どこにいるんだよ....心配させるなよ.......
早く会いたい、会って、元気な顔をみたい。 ...意味がわからない。 死ぬわけないだろ。...そんな理由なんて、どこにもないんだ。たった1ヶ月くらいしか経ってないんだぞ。 ...あのばあさんの趣味の悪い嘘のせいで、どうしてこんなにも、不安な気分にならなくちゃいけないんだ......。
僕はもう一度、フィアが働いてた店に行ってみる。 さっきは聞かなかったけど、店主のおじさんに聞けば、何かがわかるかもしれない...。
そう思って店まで走っていく途中で、僕はちょっとした人だかりに囲まれる。よくわからないけど、彼らは僕を睨んでいて、僕の行く手を人垣で阻もうとしている。
ねえ、悪いけど、今急いでるんだ。 どいてくれないか...。
ー......レイ・オーデルか?
だったら何だって言うんだよ、今急いでるって言っただろ!
僕は目の前のおっさんの横を通り抜けようとして、別の若い男に阻まれる。
ー...お前がレイなら、俺たちはお前に用がある。
......悪いけど、今、頼みを聞く気分じゃ.....
ー頼みってのはな。 お前に死んで償って欲しいってことなんだけどな。
僕はそれを聞いて、ハッとして彼らの顔を見渡す。
憎んでる。誰も彼もが、僕に憎悪を向けている。 年寄りも、若い人も、子供も、男も女も、人間も亜人も、みんなのきもちがひとつになって、ただ僕の方を向いている。
ーここにいるのはな。 ...全員、お前に住む場所を焼かれた奴らだ。 ...まだ、病院のベッドから出れない奴もいる。 ...一生、歩けなくなった奴もいる。
.........それは.........
ーこの子の親はな、頼みの綱の店を燃やされた。 戦争が終わって、何とかダウンタウンに再建した居酒屋でな、みんなのささやかな憩いの場だった。 それも綺麗さっぱりだ。 ...店を燃やされたオヤジさんはな、子供だけ残して、自殺したよ。
........あ............
ー...それだけじゃない。 ....お前の友達もな、お前を庇ったばっかりにな、暴徒に襲われて死んだんだよ。 そいつらは、もう捕まったけどな。 ...可哀想な死に方だった。死体が、臭い下水道の水の中に、何個かに分かれて浮かんでて...結局、半分くらいしか見つからなかった。
...........ぇ............ちがう.................うそだ..........................
ー嘘じゃないんだよ。 ...何の理由があって、お前は俺たちの住む場所を奪って、人を傷つけた。いや、理由には特に興味は無いんだけどな。 ...お前が今ここにいるなら、俺たちの総意は、ひとつしかないんだよ。
............フィアは.................ちがう..................
ー何が違うって言うんだ、言ってみろ、魔女が!!!
誰かが僕の首を後ろから掴んで、僕は強い力で引っ張られて地面に倒される。誰かの、いっぱいの人の、足が、手が、僕を...僕だけを目指して、振り下ろされようとする。
ー何をしてる、お前ら、下がれ!! 下がらんと撃つぞ!!
乾いた音が何度か聞こえて、僕はまた誰かに両手を掴まれて、立たされる。 ...誰だかなんて、どうでもいいし、何が起こったのかも、どうでもいい。
...嘘だ。
...こいつらは、嘘をついてる......
ー...ダウンタウンから出るぞ。 ...こいつが、レイ・オーデルだ。 ...サーシャ司令官殿の部下。 執政官殿に早く報告しろ。
誰かが僕を、2人がかりで押さえつけたまま、僕は地下のダウンタウンを出て、地上まで運ばれた。
眩い日差しを感じて、僕はそっと顔を上げる。
綺麗な、青い空だった。
広い青空に浮かぶ、帝国の灰色の飛空挺が見えて、僕は顔を背けて、視線を前に向ける。
帝国の兵士たちが何人か、僕を囲んでいる。 ...その輪を抜けて、誰か...知らない男と、それから........
......姉さん。
ー...レイ。
僕の目の前に立った2人のうち、1人は僕のとても...とてもよく、知ってる人だった。
.......姉さん。 ......帰って、きてたんだ。
ー...南方面の進駐軍の、司令官としてね。
憎くて憎くて、どうしようもないくらい憎んだ。 ...そのはずなのに、僕は今、姉さんに会えて、とてもホッとしていた。 ...姉さんがこの街にいて、...フィアが殺されるのを黙って見てるなんて、絶対にあり得ない。 あいつらの言ってたことは、全部...ぜんぶ、嘘なんだ。
それが分かって、僕は安心した。
.......姉さん。 言いたいことはいろいろあるんだけど.....フィアが死んだって、嘘を言う奴がいっぱいいるんだ。 ...意味分からない。 ねえ、姉さん...ティア姉....嘘、だよね?
ー..............
姉さんは、何も言わずに黙って、顔を伏せた。
嘘だよね? ....うそだよね?
ー..............
うそだって、言ってよ。
ー..............
.....言えよ!!
ーいや、ほんとだよ。それ。
僕の問いに答えたのは、姉さんじゃなかった。 ...姉さんの、横に立っていた男。 ...知らない男だ。 銀色の短い髪の毛をオールバックにして、黒色の軽そうなジャケットを着てる。何となく、司令官殿に顔立ちが似てる気もする。 でも...知らない奴だし、それに、嘘つきだ。
...誰だよ。 お前も、くだらない嘘つきかよ。
ーいや、ティアが答えにくそうだなと思って。 君がレイ・オーデルだろ。 で、フィア君...ダウンタウンに住んでた子だっけ...は、確かに殺された。 ...痛ましい事件だった。
......................
ーあ、ごめん。 自己紹介してなかったな。 ユーリィだ。 ユーリィ・マクラウド。 ...君も知ってる、サーシャの兄で、今はこのベドウィンの執政官をやらせてもらってる。 いい街だよな、ここは。 暖かくて暮らしやすいし、食事も酒も、お茶も安いし。
.........................
ーなあ、レイ君。 ここじゃ何だから、ちょっと僕の家で...まあホテルの部屋なんだけど...離さないか。 サーシャのこととか、いろいろ聞きたいし。 最近あいつ反抗期気味なんだよ、個人的にはちょっと残念。 あ、シスコンじゃないぞ、あくまで一兄として......
黙れって言ってるだろこの野郎!!!!!!!!!
ー........いや、言ってないけどさ。 まあいいか。 なあ、いいだろ、ティア司令官。 ...妹との再会を喜びたい気は重々分かるけどさ。 ちょっと僕に預けてくれよ。 2人きりで話して見たいんだ。 ...おい、別に変なことする気はないぜ。 ただ、君もフィア君のことはショックだろうし、まあここは...レイ君を落ち着かせるためにも、ね。
黙れ...姉さん....お願いだから、こいつを黙らせて.......
ー....レイ。 ....フィアは、死んだのよ。 ....殺されたの。 ユーリィ執政官、妹は今、錯乱して、混乱しています。 ...今は、私に預けてくれませんか。
ーいや、だからこそ励ましてあげるのが、この街に住う一市民の仕事なんだよ。 大丈夫だって、サーシャの部下なんだから、僕が話を聞いてやる義務もある。 ...話し終わったら、君のところに預けるからさ。
..................ちがう......................
......................みんな、みんな、嘘つきだ...................
ーいや、だからさ、嘘じゃないんだって。 フィア君はもう死んじゃったの。
.............黙れぇえええええええええええええええっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!
僕は目の前で平然と嘘を並べ立てる男と、それから姉さんにも、殺そうと思って飛びかかろうとする。でも、それはできなかった。 誰かが、僕の腕を押さえて....おさえて......
************************
..........
............
ー.......レイ。
.........だれ?
ー.......私はもう、ここにはいないけど。
..........フィア?
ー........それでも、復讐を忘れないで。 .....私を殺した帝国を、憎むことを、忘れないで。
フィア、フィア...? 待って、どこにいるんだよ、今.....?
ー.......あなたのいるところじゃ、ないところにいるわ。
わかんないよ、それじゃ.....僕は、僕は、君に..........
ー.......レイ。 いらないわ。 謝罪も、お礼も、何もいらない。 ...その代わり、忘れないで。帝国を憎むことを。...私を犯して、殺して、バラバラにして下水道に捨てた人たちがいることを....忘れないで。
ふざけんなよ...やめてくれ、君まで、どうして...そんな、嘘を.....
ー嘘じゃないわ。 それはもう、起こってしまった事なの。 レイ。あなたのせいじゃない。
.........僕は.......君を.......
ーあなたの、せいじゃない.......。
ーねえ、大丈夫かい、結構うなされてたけど。
僕は、ゆっくりと目を開ける。
...素朴な調度品が、多すぎない程度に配置された部屋。それに、目の前の木の机に、いい香りのお茶の入ったカップが置かれてる。
ー目、覚めたかい?
僕に話しかけた声は、もう、フィアのものじゃなかった。その代わりに聞こえたのは....
.......おまえは.......
ーユーリィ・マクラウドだ。 サーシャの兄で、帝国の人間だけど、今は派遣されてこの街の執政官をやらせてもらってる。
.........聞いたよ。 ......嘘つき野郎。
ーあ、言ったっけ? まあいいか。 最近忘れっぽくって...この年で健忘症とか、勘弁して欲しいけどな。 まあ、なったらなったで、しょうがないか。 で、何だっけ...あ、お茶飲んでいいよ。飲むと、少しは落ち着くかもしれない。
...いらない。
僕がこいつの勧めを跳ね除けると、彼は肩を竦めて立ち上がる。 僕は自分の置かれた状況を観察してみる。 深い、青色の綺麗なソファの上に、僕は座らされている。 あと、腕は、短い鎖で繋がれてる。 ...僕はそれを、目の前に持ち上げてみる。
ーああごめん、僕は手錠とかいらないって言ったんだけど、護衛の兵士が結構頑固なやつで...帝国はそういう奴多いんだよ。 根はいい奴なんだよ、彼も。 まあ、飲み物を飲んだりする分には、特に気にならないと思うけど。 ...で、何だっけ....
......黙れよ、嘘つき野郎って言ったんだよ。
ーああ、僕が嘘つきだって話? いや違うよ。 ...えーっと、信じてもらうのって結構難しいよな...。確か、えっと、この辺に...ああ、書類の整理が悪いと、こういうときに苦労するよな。自分のせいなんだけど、ちょっと反省する。
目の前の嘘つきは、書類が詰まった棚をゴソゴソ漁って、一枚の薄い紙切れを取り出して、僕の目の前の机に置く。
ーこれこれ。あった。死亡証明書の写し。 一応、僕が赴任してからこの国で起こった事件は、逐一記録してるんだ。ほら、フィア・リーデルって書いてあるだろ? ...改めて見ると、16歳か。 ...いたたまれないな。.....ねえ、お茶飲まないか? せっかく自分で淹れたんだけど、うまくできてるか心配で......
.......こんなもの..............お前が、偽造したんだ...........
目の前の小さな紙切れには、ほんとうに....フィアの名前と、経歴と....どこで、どのように死んだかが、書いてあった。 僕は途中まで読んで、胸の中が気持ち悪くなって、お茶のカップに視線を移す。 ...それから、一口だけそれを飲んだ。 軽くて、いい香りだった。
ーいや違うって。本物。 ...えーっと、まあ言いにくい話なんだけどさ。 その、お墓とかもあるし...あとで、墓参りに行ってあげたらいい。 その、半分だけだけど...喜ぶと思う。あ、お茶、うまく淹れられてたかな?
........半分..........?
ーいやな、フィア君の死体ね...結構バラバラだったから、半分くらい流れちゃったみたいで........下水に捨てられてたからな。 なんか結構時間も経ってたから、腐敗も進んでて...ねえ、そういえばさ、下水って結局、まわりにまわって、綺麗にされて、また僕たちの口に入るのかな? そんなことないかな? ...そのお茶に、混じっちゃってないかな?
僕は...何も言わずに、カップの中の、香り高いお茶を見つめる。
ーああ、ごめん、気遣いが足りなかった...。 辛いのはよく分かる。 僕も、シュラーフの生まれでさ、マクラウド家にサーシャと一緒に引き取られたんだけど、両親も帝国に殺されちゃったし、もう散々だった...。 あ、お茶はもういらない? ごめんな、気分の悪い話で。ああ、何だっけ、また健忘症...そうだ、下水の話だっけ。 半分くらい引き上げられたんだけど、もうネズミに食い荒らされて、ひどい有様でさ...。 ネズミがどうやって、その、言いにくいんだけど、屍肉を喰うか知ってる?
..................何で...................フィアが....................そんな..........................
ーああ、フィア君を殺した奴らはな、なんか恨みをぶつけるだとか晴らすだとか、意味わからないこと話してたけど、要は逆恨みって奴でね。 君は悪くないよ。レイ。本当に。悪いのはぜんぶ帝国だ。 全ての原因は、そこにあるんだ。 その前提を忘れないでくれ。 ...で、何だっけ.......ああ、ネズミの話だっけ。
.....聞きたく.....ない.......
僕は、耳を塞ごうとする。 ...でも、手を繋ぐ鎖が短すぎて、それはできなかった。それに何だか、体が痺れるような気がして、うまく動かせない....
ーネズミが肉を漁る時って、そりゃもうゾッとするんだ。 僕が昔...シュラーフにいた頃に、よくサーシャと一緒にくだらない悪戯をしてね...あ、悪戯の話って聞きたい? でも本筋から逸れすぎるから、また今度な...サーシャにでも聞いてくれよ。 何だっけ、そうだ、いたずらして、両親によく怒られて、お仕置きで地下室に入れられたりしたんだ。そこにネズミがいっぱいいてね....どっから持ってきたのかよくわからない、腐りかけた肉の塊とかを、クチュクチュ吸うみたいに食べるんだ。噛むって感じじゃなくて、吸うんだよ。 僕とサーシャはそれが怖くって、地下室が嫌いになったっけ...多分、下水に住んでるネズミもそんな感じで、肉を食べるんだよ。 ...あ、ごめん、グロかった? まあ話を戻すと、フィア君はそんな感じになっちゃったんだけど、兎にも角にも約半分くらいは回収できてね。 何とか火葬はしたって聞いたよ。 お墓は...共同墓地の方だっけ。 後で行ってみたら。
.........何で............何で................
ー何でって、そりゃさ、帝国のせいだよ。 ...僕も帝国の人間だけどさ。 憎んでるよ。
..............フィアは.............僕のせいで................?
ーいや違うよ。 ...帝国がぜんぶ悪い。 ......すまなかった。
彼は、僕に深く、頭を下げて言った。
ー何もかも、帝国が悪い。 レイ、君のせいじゃない。 帝国の戦争のせいだ。...憎しみを生み続ける。生まれた憎しみの中で、罪のない、立派に生きてきた人が殺される。
..............そう、だ...............
ー...僕も、フィア君の事を、少しは知ってる。 ...個人的な付き合いは、それほど深く無いんだけどな。 彼女、雑貨屋で働いてただろ。 お酒とか、茶葉とか、よく届けてくれたさ。 ...レイ、君の話も、少しだけ聞いたことがある。フィア君はいつも言ってたよ。 ...君は、本当はとても優しくて、繊細で、いい子なんだってな。 ...だから、帝国が許せないんだと思うって、フィアはそう言ってたよ。 ...僕とティアは、話を聞いて、同意したさ。 帝国がぜんぶ悪いんだ。君のせいじゃ無い。
.................帝国、が.................
ー帝国が、フィア君を殺したんだ。 フィアは、僕たちにこっそり打ち明けてくれたよ。 ...自分も、本当は、帝国が憎くて仕方がない。 ...レイみたいな力があったら、自分で、あいつらを殺しに行ってやるのにってな。 ...何でこんな話をするか分かる? 僕は帝国の人間だけど、心まではそのつもりはない。シュラーフの人間のつもりだからだ。
.......フィア、も.............帝国を...............
ーそう。 ...だからな、レイ君。 君は賢いから、どうすればいいか分かるだろ? ...フィア君の遺志を、無念を継いで、それを晴らすんだ。 ...僕とティアは、それを支援する。 君の姉さんが、どうして今、帝国についてるか分かるか? 僕と同じだ。 僕とティアは、内側から、この腐った国を滅ぼしたい。 ...手段は秘密だけどな。 レイ、君はもっと別の、確実で、直接的な手段で、フィア君の無念を晴らしてあげなきゃいけない。
.......................フィアの、ために...........................
ーねえ、その話をする前にさ。 ......話と言っても、雲を掴むような話で、あんまり具体的じゃなくて悪いんだけど。 フィア君の魂に祈るために、乾杯しないか。
ユーリィ執政官は、そう静かに言って、飾り棚の中から、透き通った琥珀の液体で満たされた、銀の装飾が施された瓶を取り出す。それから、水晶を削り出して出来たグラスと、銀のアイスペールに満たされた氷も。
ーこれは、フィア君の店で、一番上等なウイスキーでね。 僕が無理を言って、何本か買わせてもらったんだ。まだ何本か棚の中にある。 ...美味しいぞ。
彼はグラスに氷を入れて、琥珀色のウイスキーを注ぐ。 強くて、甘酸っぱい香りがする。彼はそのグラスを、僕の手に持たせる。
ーフィア君の、魂と遺志に。
......フィア..........
僕と彼は、小さくグラスを重ね合わせた。僕はウイスキーを一口飲む。 ...濃いアルコールの咽せるような味と、その後に、木苺と潮の香りがする。
ーほら、もっといっぱい飲めよ。 正気じゃない話をするには、まず僕たちが、正気を失わないとな。
.....フィア.......僕は......
僕はウイスキーを一息に飲み干す。 頭がクラクラして...でも、どこか、はっきりと覚めてくる気がする。
........僕が、やらなきゃいけないことは......
ー帝国を、滅ぼすことだ。...もっと飲めよ。 それしか、フィア君の優しく、誇り高い魂が、天に昇る方法は無いんだ。 ...もっと、もっと酔って、それから話を続けよう。
執政官は、空になった僕のグラスに、もう一杯お酒を注いでくれる。何も言わずに、僕はもう一度、それを一気に飲み干した。
ーねえ、君は未成年だろ? でも、シュラーフ基準では、14歳で成人なんだ。 ...フィア君にその話をしたらさ、自分もお酒飲んでいいのかなって、ちょっと冗談っぽく言ってたよ。
...フィアが、そんな事を?
ーそう。 それでさ、最初に飲むなら、君と一緒に飲みたいって言ってたな。 そんなささやかな、小さな願いすら、帝国のせいで...消えて、亡くなった。
.....................
ーみんな、僕もティアも...護衛の兵士も、ダウンタウンの人も、フィア君のことが好きだったんだ。 ....もちろん、君もな。 それを奪ったのは、誰だと思う?
彼は、僕のグラスに、またお酒を注いでくれる。
僕は、一気に飲み干して....覚めていく頭で考えて、はっきりと答える。
....帝国の、せいだ。
ーそうだ。帝国のせいだ。滅ぼすべきなんだよ。あんな国はな。 ...ねえ。 もっと飲みなよ。大丈夫、動けなくなったら、サーシャかティアに迎えに来てもらうからさ。 ...何もかも、悪いのは帝国なんだ。レイ。...自分を、責めないでくれ。 責めるなら、帝国か...それか、帝国を滅ぼすのに時間をかけすぎてる、僕にしてくれ。
.......別に、貴方は..........悪く無い。
ー.....そう言ってもらえると、少しは気が楽だな。
彼はまた、僕のグラスにウイスキーを注いでくれた。
ボトルの中は、もうほとんど空だったけど、彼は棚の中から新しい酒を取り出してくれる。
ーそれを飲んだら、話をしよう。 ...「塔」と、そこに眠っている、「杖」のことについて。
僕は彼の話を、早く聞きたくて....また、グラスを空けた。
ー君は、何も悪く無いんだ。 レイ。 ...君の心の中で、君に呼びかける声に従うといい。耳を背けずに、話を聞くといい。
......こえ......
ー君には聞こえているはずだ。 ....フィア君の、その魂が彷徨う声が。 ....それが、君を、塔に連れて行ってくれる。
.........フィアの、こえに..........
ーそうだ。声に従うんだ。 ...その塔の中に眠る杖は、滅びの杖だ。本当に強い魔力を持つ人間にしか扱えない。 ...僕も、そこに入ったことがあるけど、杖は選べなかった。 僕が手に入れたのは、別のものだ。
.....ほろびの、つえ.......
ーもっと飲みなよ。
彼はまた、僕のグラスに新しいお酒を注いでくれる。 ...意外と、優しい人だ。
ー塔は、理力の塔と呼ばれる。 ...そこに辿り着くまでには、君の優しい仲間と、サーシャの力を利用するといい。 ...でも、仲間たちの言うことに、心を許し過ぎてはいけない。 彼らは、恨みを、復讐を、否定するだろうからな。
.....なかま......サーシャと....アルルゥと......フレイア.......
ーそう、その3人。 僕はあとの2人にはあったこと無いけどさ、みんないい奴らなんだろ? でも、みんなは、君とは違う。 ...家族を、友達を、何もかもを失う苦痛を知らない。 ...それに、危ない橋を渡り過ぎてるだろ? 帝国がそれを知ったら...まあ、僕は例外として...どうすると思う? サーシャの未熟な工作で、本当にいつまでも隠し果せるかな? ...あいつは理想家に過ぎるからな。いい子なんだけど。 根拠のない夢は、妄想と言うんだよ。
........いやだ...........みんなが..............いなくなるのは................
ーそうだろ? そのためには君が率先して、杖を授からなければならない。 ...レイ。 守るために、あえて、遠ざけるんだ。 意味がわかるよな? ...心を許しすぎるなってことだよ。 仲間たちの言うことから耳を遠ざけたければ、酒を飲むといい。 そのための、いい薬も、君にあげよう。 ...酒と一緒に飲むと、心が落ち着いて、冷えていく。 冷えた心で、冷静に、君がやるべきことだけを見続けるんだ。 .......わかったかい?
..........わかっ........た............
ーいい子だ。 ......なあ、もっと飲もうよ。 珍しく僕も、行けるとこまで行っちゃおうかって気分になってるんだ。 お酒の話をしようよ。 大丈夫だ、僕も15歳くらいの時からこっそり飲んでたっけな。 誰かに復讐する事を考えながらさ、ただ本当に、憎しみと恨みだけに心を任せて、お酒をいっぱい飲むんだ。 そうするとな、不思議な事なんだけど、世界はぐるぐる回って、酔っ払ってるってことがよくわかるんだけどさ、頭のどこか芯は冷えてくるんだな。 頭っていうか、心が凍っていくみたいに、だんだんと、他の奴らが言ってることなんて、本当は何も分かってないんだってことが理解できてくるんだ。
.......うん......なんとなく.......わかるきがする............
ーそうだろ? 君はなんとなく、僕と似てるからな。 孤独を感じ過ぎて、繊細なんだ。なあ、君の仲間のことについて聞かせてくれよ。 サーシャのことはさ、そりゃ兄貴だから、まあよく知ってる方だよ、でも他の2人のことは知らないんだ。 いい奴らなのかい?
..........そうだ.......アルルゥは、にぎやかで、あかるくって.....とっても、みみがいいんだ。 ....たまに、ちょっとだけうるさいけど.........。
ーミ族かい? たまたまだね、レイ、君が目指そうとする塔は、ミ族の里を超えた先にあるんだ。ミ族は勝者だからな、亜人たちの中で、いまだに故郷になんとか住み続けてる奴は彼らしかいないんだよ。 なあ、もっと酒を飲もうよ、飲みながら、次はフレイアの事を聞かせてくれよ。
........フレイアは........いやなやつだとおもってたけど.........、やさしいひとだとおもう......
ー優しいのかい。 優しい人には、注意しないといけないよ、レイ。
どうして.........?
ー本心から君に優しくしてくれる人でもな、誰も、君と同じ経験をしたわけじゃ無いし、君のことを本当にわかってくれるかと言うと、そういうわけでも無いんだ。 ...だから、彼らは優しさの影に隠れて、たまに自分の主張を押し付けてくるかもしれない。 ...主張だったり、正義だったりする。 でもそれは、あくまで彼らの主張やら正義やらであって、レイ、君のすべきことは、決して変わらないんだ。 ...そうだ、君のやるべきことは、何だっけ?
ぼくは.......ていこく、を..............
ーそうだね、帝国を潰して、君のフィア君をネズミに食わせた奴らを、一匹残らず同じ目に合わせてやらないといけないな。 そうしないと、フィア君の魂は、安らかに眠ることができない。 なあ、もう一度乾杯しようよ。
....フィア、に......?
ーそうだな、フィア君の魂が、君の復讐を導いてくれるように、祈ろうか。 素晴らしい日だと思う。 君はとても、純粋で、友達思いな子だね、レイ...。....あ、机の上に倒れた。 酔っ払い過ぎたのかな。 酒はほどほどにしておかないと、危ないぞ。 なあ、もう聞いてないかもしれないけどさ、レイ君、仰向けには寝ないようにしろよ。 ゲロが喉に詰まって、寝てる間に窒息死しちゃうかもしれないからな。 横向けか、俯せがいいんだ。 ...そういえば、君、まだ16歳なんだっけ。 だめじゃないか、成人する前に酒なんて飲んじゃ。 僕は成人するまで飲まなかったぞ。 法律は守ったほうがいい。 余計なトラブルの元になるからな......。
.....ねえ、そういえばさ、レイ。 君がこの部屋に来たのは、いつだっけ? 今日の夕方だっけ? 昨日の夜だっけ? 昨日の昼かな? もしかすると、1日中飲んでたのかな? 変だな、まだ数時間しか経ってない気もするけど。 ねえ、サーシャとの約束の時間は、大丈夫なのかい? 遅れたりしたら、怒られるかもしれないぞ。 もしかして、食事もしないで、飲み続けてたのかな? それとも、君がこの部屋でずっと、ながーい間寝てて、さっき起きたばっかりなのかな? 多分違うかな、昨日、君はフィロ...ん? なんか名前違うかな...が死んだショックで、ずっとパブで飲んだくれてたのかな? だめじゃないか。 未成年なのに....。
僕は、グラスやら酒やらを撒き散らして、机の上に突っ伏して、口の端から奇妙な液体を流し続けているレイ君を見ながら、そういえば薬はどこにあったっけと思って、引き出しの中を少し漁った。 探してるうちに、レイ君の顔はどんどん青白くなっていって、だんだん呼吸が側から聞いててわかるくらいに不規則になっていく。 困ったな。 この状況じゃまるで、僕が悪いみたいじゃないか。 レイ君が勝手に、いっぱい飲んだだけなのに。 僕はそれを止めようとした。でも彼女は、僕の静止を聞かずに、飲み続けた。 まあ、サーシャしかり、この年の子供は、結構反抗期なものだ。僕がそうだったのかは、よく覚えてないけど。
ーあった、あった。
僕は棚の中から、銀の小瓶に入った薬を取り出す。とても高価で、素晴らしいものだ。 飲むか、鼻から吸うと、とても気分が悪くなって、何もかも嫌になって、頭の中には冷え切った怒りだけが残る。亜人たちが、戦闘の際に好んで服用する、興奮剤とは逆の神経に働きかける代物だ。
ねえ、レイ、もっと酒を飲みなよ、乾杯しよう、僕はそう言いながら、彼女のためにその薬を半分ほど、グラスの中に入れてウイスキーを注ぐ。ちょっと微妙な色になった気がするけど、まあレイ君は気持ちよさそうに飲んでくれてるし、これでよしとしよう。でも、彼女が自分で飲んでくれてるのかな? 僕が手伝ってるだけなのかな? まあ結果はおんなじだし、どっちでもたいした問題ではないけど。そういえば、レイ君の旅立ちを祝って、このお酒と、薬をたくさん持たせてあげなきゃいけない。僕はそう思って、護衛の兵士たちを呼んだ。彼らは扉を開けて、しばらく部屋の中に立ち込める濃厚で強烈な酒と、吐瀉物の臭いに顔を顰める。
ー....執政官殿、これは.....
ー......すまない。 僕は止めようと思ったんだけど、彼女は自分で、散々飲んじゃったんだ。 きっと、友達が死んじゃった憎しみを、何とかして発散したかっただけなのかもしれないね。ここに来る前に、ダウンタウンのパブで散々飲んでたみたいだから、すぐに倒れちゃった。でも、16歳にしては、かなり酒が強いと思う。
僕の優秀な護衛たちは、手早くテーブルを片付けながら、レイ君を起こして、どうしましょうか、そう尋ねてくる。
ー...ああ...レイ君のこと? サーシャのところに連れてってあげたら。 そういえばさ、彼女、このウイスキーと薬、かなり気に入ったみたいだからさ。 旅立ちの前に、荷物につめてあげて、たくさん持たせてあげようよ。
護衛の兵の1人が頷いて、テーブルの上に3本ほど転がった空き瓶と、残り半分くらいにまで減った1本の瓶を見る。
ー...また、豪勢な飲み方を、したものですね。
ーああ、僕はほとんど飲んでないんだけどね。
ー本国から直送されてくる、高級酒ですよ。 いいのですか?
ーいいよ、いいよ。このベドウィンじゃ、絶対買えない酒だからな。 ねえ、君も飲むかい? ダウンタウンの酒屋やら雑貨屋じゃ、癖のある焼酎か黒ビールしか売ってないから、結構不自由するだろ? あれはあれで、慣れたらいいものだけどな。
ー気持ちは山々ですが、レイ・オーデルをサーシャ司令官殿に送り届けた後で、頂きます。
ー真面目なんだな、君。 レイ君は丁重に送り届けてくれよ。...まだ若いのに、かわいそうに。大事な友達が死んじゃったんだって。
えっと、誰だったかな......全然知らない名前の子だったけど.......。
やっぱり、僕は健忘症なのかもしれない。 今度、医者に行った方がいいかな?
ー...私の知る限り、君は医者に行く必要はないよ。 少なくとも、君は自分で、そうする必要はないと言う事を、理解しているから。
そうかな、そう言ってくれると嬉しいよ。
僕は彼の囁く声に、小さくそう返した。
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待ち合わせの夜になっても、レイは宿に姿を表さなかった。 私と、フレイアと、アルルゥは先に食事も済ませてしまって、それから部屋の中で、明日の荷造りをしながらレイがやってくるのを待ち続ける。
...ねえ、レイ、遅くないかしら。
ーまあ、友達との別れを惜しんでるんだろ。 ...正直なところ、無事に帰ってこれるかどうかも、よくわからない旅だからな。
フレイアはビールの入ったグラスを静かに傾けながら、少し憂鬱そうに、窓の外を眺める。
ー...そうなのです。 ミ族の里に向かうには、夜森を通らなければいけないのです。
ねえ、夜森って、どんなところなの? ...それに、フレイア、貴方言ってたわよね。
ー...「御伽噺」の話か。
そう、それ。
ー......1コずつ答えるか。 夜森は、まあ...あの山よりも恐ろしいところだ。 昼は何ということもない、深い森だ。 ...夜の間は、私にも何が起こるか分からん。
ー...ミ族も、ファ族も...亜人も人間も、決して夜の森には近付かないのです。 曰く付きの森なのです。 幽霊が出るかもしれないのです...アルルゥはお化けは苦手なのです...
お化けって...大した迷信もあるものね。
ー迷信ならいいんだがな。 ...私の知ってる限り、暗くなった夜森から、生きて帰ってきた奴は居ないな。 ...ベドウィンから抜けていくには、最低でも2泊はしなきゃいけないな。
...じゃ、私たちもダメじゃないの。
ーだから、魔導師殿がいるんだろ。 ...あいつ確かに遅いな。 ...また捕まってないだろうな。
ーレイはもう大丈夫なのです。 きっと、友達と楽しくお喋りしてるのです。
...そうね。 レイは、きっと大丈夫よ。 ...ねえ、御伽噺の方を教えてくれる?
ー......本当に、御伽噺だぞ。 亜人の間で伝わる話だ。 ...昔、亜人の数がもっと多くて、人間よりも、亜人がこの星を支配して、闊歩していた時代の話だ。 ...そのころは、亜人同士の戦争やら領土争いが、今とは比べ物にならないレベルで激しかった。 そんな中でな、ある種族の王様が、「杖」を用いて、亜人の争いを平定したんだ。
杖...?
ーアルルゥも知ってるのです。 ケイリュオンと呼ばれる、死と生を司る魔法を宿した...とても強い力の杖なのです。
死と生を、司る魔法?
ーそうだ。 その王は、ケイリュオンの力をもって、死と恐怖をもって亜人と人間を支配した。 ケイリュオンの魔力は、あらゆる生者を死者に変え、死者を生者に変えることができると、そう伝えられている。 ...だがそれは、人の絶対不可侵の、克服できない領域を、簡単に犯す魔法だ。 ...誰にでも平等なのは、生まれることと、...死ぬことだけだからな。
ー...ケイリュオンの力に取り憑かれた王は、人から恐れられ、孤独になっていったのです...そして彼は、最後には、自ら毒杯をあおって、その生涯を閉じたのです...。
...教訓めいた話ね。 ......人の領域を超えた力は、人を孤独にしていく。
ー......だから、御伽噺だって言っただろ。 誰も、そんな杖を見たことはないし、その王の名前も知らん。 ...まあ、そんなものが今この世界にあったら、確実に、国同士の力関係は一変するだろうな。
......アロハルト公爵も、その御伽噺を知ってるのかしら。
ー......さあな。 .....なあ、あいつ、本気で遅いぞ。 ...さすがに、そろそろ...
フレイアが若干心配そうにそう言うのが、私はちょっとおかしくって、それに、嬉しかった。...フレイアとレイは、なんだかんだで結構相性がいいと思う。
そうね...確かに、そろそろ迎えに........
その時、部屋のドアが、規則正しく2回ノックされて、私たちは一斉に振り向く。
ーサーシャ司令官殿。 ここにお泊まりと聞きました。 司令官殿の護衛の魔導師を、お連れいたしました。
...レイ...?
私は歩いていって、ドアを開ける。
ドアの先の廊下には、帝国の兵士が2人と、それから....
......レイ!!
彼らに両手を抱えられて、眠るようにか細い呼吸を繰り返す、レイの姿があった。
(第7話終わり)