ノアと眠りにつく王国
※実在の地名、人物とは一切関係しません。
あくまで創作の中での話です。 未成年の飲酒描写が出てきますが、この世界では13歳からワインは合法になります。
※非常にショッキングな描写がありますので、苦手な人は飛ばしてください
※時系列が入り乱れるので、補足をつけてます
(第8話)
[26日 16:30 シュラーフ国内 思想教育棟 101号室]
夢を見ていた。 暖かい夢だった。 いつも見る悪夢とは違う。 お姉ちゃんが食卓の向こうで微笑んでいる、わたしの隣にはヘリオが座ってる。 少し離れた椅子にハルカちゃんが座ってる、ねえ、ノア、幸せってこういう事なんですね、ハルカちゃんはそう言ってにっこり笑った。 このアイス美味しいんですよ、おじさんが届けてくれたんです、ノアもどうぞ。 ハルカちゃんが立ち上がって、コーンに盛られたアイスをわたしに手渡してくれた。 赤いアイスクリームだ。 真っ赤な。 なんだろう、この色、知ってるような気がするけど、思い出せない。さあ、舐めてみてください、そう急かされてわたしは舌を出してアイスを少しだけ舐めてみた。 うーん、何だか変な味がする。 何だろう、これ？
ーこれですか。 美味しいでしょう、おじさんの血を固めたやつです、おじさん結構太ってたから、脂肪分とか、鉄分とか豊富なんですよ。
血？
ーそう、血です、ノア、貴方が殺した人の。
殺した？ わたしが？ どうして、そんな事を言うの、わたしはそんな事………
ー嘘は良くないです、ノア。 見てください。 ノアの幸せをみんなで一緒に楽しくお祝いするために、みんな来てくれたんですよ。 ほら、ルーアさんの前のテーブルの上、ほら、あそこです。
わたしはお姉ちゃんに眼を向けた。 お姉ちゃんはいつもの優しい顔でわたしに微笑んでくれている。 ねえノア、お祝いしましょう、みんな来てくれたのよ。
お姉ちゃんはテーブルの上を示すように手を広げる。 そこには1つの首と3つの頭蓋骨が置いてある、その首は、わたしが知ってる人だった。
お父さん。
お父さんは口を開いた。 眼を見開いたまま。 ノア、お前のせいで私までまで殺された、殺された、殺されたんだ、お前のせいで殺されたんだ、無知なお前が私の努力を無駄にした、私はお前にだけは生き残って欲しかった、だけどそれも無駄になった、ノア、お前を、お前を怨んでやる、みんなお前のせいで死んでゆく、この国はもう終わりだ、皇国は誰も救うつもりはない。 死んでゆくんだ。 みんな死ぬ、犬が死体の肉を噛み砕く、鴉が眼を抉り出して鳴く、蟲が腐った肉にたかる、そして獣の王が嗤う、わたしの時代が始まると。 みんな、全て、おまえの、せいだ。
ーわたしの……………
そうだね、ヘリオがお父さんに同意する。 ノア、君のせいでみんな死んでいく、何人殺したら君は気が済むのかな。 ハルカちゃんも頷いている。 ノア、幸せってこう言う事なんですね。 みんな死んで、後には何も残らない。 綺麗さっぱり。
違う、そんなの、違うよ、わたしは、そんなつもりは………
ー君にはそのつもりがなくっても。 結果は同じさ、王女様。
アリアさんが歌うように呟く。
ーさあみんな、歌おう、眠りにつく王国と、王女を祝福するために。
いいですね。 うん、いい案だ。 いいわよ。 おお、私も参加するぞ。
Ah people can you hear me?
ー人間たちよ、私の声が聞こえるか？
And now I know and now I know …
ーこれで分かった。 ようやく理解した。
The earth will shake in two will break
ー地球は揺れて、震えて、真っ二つに割れる。
やめて。
Death all around around around around …
ー死が我々の周りに、周りに、周りに、周りに…………
やめてよ、みんな、やめて………もう……………
Now I know now I know …
ー分かったかい、ようやく分かったかい、ノア…………
分からないよ、全然わからない、わたしが何を、何をしたっていうの……
Oh flee for your life …
ー自分の命が惜ければ逃げればいい。 早く。 この国から。
嫌だ、逃げたくない、わたしは王女なんだ、義務が、この国を導く義務が………
Who heed me not let all your treasure make you…
ー楽しかった思い出に心を奪われないよう。 気をつけて。
思い出なんかじゃない！ みんな、みんな幸せだった！
Oh fear for your life………
ー君の命も脅かされてる、早く逃げたらどうだい。
逃げる！？ 逃げない、逃げる必要なんて、わたしはこの国の………
Deceive you not the fires of hell will take you…
ー勘違いしちゃいけない。 君を連れて行くのは地獄の業火じゃない。
業火？ 地獄？ どうしてわたしが焼かれなきゃーーーー
Should death await you………
ー君を待ってくれてるのは、想ってくれてるのは、死だけだ。 ノア……………
わたしは……………………………
夢はそこで終わった。 わたしは硬い床に横たわっていた。
髪の毛を触ってみた。 短い。 せっかくの、自慢の髪だったのに。 お姉ちゃんに憧れて、ずっと伸ばしてたのに。 もう無くなってしまった。
見えない。 片目が全く見えない。 手を伸ばして、右の頬を撫でてみた。 ざらざらして、少し湿っている。 なんだろう、これ。 痛い、凄く痛い………火傷………どうして、顔に火傷なんか…………松明…………あの子の持ってた松明……………わたしの………顔に………………………
ぁああああああああああああああああああああああああああああああああ！！
わたしはまた少しだけ、気を失ってたみたいだった。 誰かがわたしの頭を蹴り飛ばして、その痛みで目が覚めた。 牢の中に、何人かの人が集まっている。
ーお前は何だ。
……わたし………わたしは、ノア……王女………シュラーフの…………
誰かが後ろからわたしの腕を両脇から抱えて、無理やり立たされる。
わたしに質問してきた人が、わたしの、焼け爛れた頬を、平手で叩いた。
痛い、やめて、怪我してるの、お願いやめて、やめてくださ………
ーお前は何だ。
さっきから答えてるでしょう、王女よ、この国の、シュラーフの………
また叩かれた。 さっきより強い。 わたしは思わず叫んだ。
ーお前は何だ。
お願いやめて、もうやめて、答えてる、ノアです、ノア、わたしの名前は………
彼はまた私を叩いてから、同じ質問をする。
ーお前は何だ。
ごめんなさい、嘘をついていました、罪人です、わたしは罪人です……
ーお前の罪は。
………罪だなんて………そんな………わたしは何も……………
彼は何か棒のようなものをわたしの脚に突き当てた。 激しい焼けるような痛みと、焦げたような嫌な臭いが辺りに漂って、わたしはまた叫んだ。
ーお前の罪は。
ごめんなさい、殺しました、人をたくさん、罪のない国民をたくさんわたしは殺しました、みんな死んでいきました、アイス屋のおじさんも……お父さんも………
ーそうだ、みんな死んでいった。 お前はどう思う。
……わたしが、全部、悪いんです…………何も、何も………知らずに………
ーそうだ。 お前が、全部、悪い、お前の、命だけでは、償えない。 とても、とても重い罪だ、それを理解しろ。
………はい。
彼らはようやく牢の中から出て行ってくれた。 食事も置いて行ってくれた。 小さな紙コップに入った一杯だけのお水。 あと、生の玉葱が１つ。
これも貴重品なんだ、彼らはそう言った、お前はこの国の貴重な食糧を浪費してるんだ、それも大罪だ。 この国の玉葱は美味いぞ、知ってるだろう、名産なんだ、お前も王宮で食べたことがあるだろう。 よく噛んで食べろ。 彼らはそう言って出て行った。 わたしはまたは1人で残された。玉葱。 そういえば王宮で、丸ごとバターと一緒に焼いてチーズを中に詰めたやつをよく食べた気がする。 ヘリオはそれが好きだった。 わたしはあんまり好きじゃなかったけど。
ヘリオ。
あの子はここにはいない。
「僕は君の側にいる、今までもそうだったように。」
そう約束してくれたのに。 あの子はここにはいない。 わたしを見放した。
わたしは水を一口だけ飲んで、少し咳き込んだ。
口の中が切れて血が混じっている。
それから生の玉葱を手に取った。 あの女の子がわたしに見せた、おじさんの頭蓋骨に、少し似ている気がする。 本当にみんな、死んでしまったんだ。
わたしのせいで。
わたしは皮を剥いて、一口だけ齧った。 苦い。 辛い。 ちょっと腐ってる。
そういえば、シュラーフの名産なんだっけ。 この国は魔晶と玉葱だけはよく取れる、お父さんはそう言って笑っていた。 お父さん。 お父さんも死んでしまった。
わたしのせいで。
ハルカちゃん。 ハルカちゃんは無事帰れただろうか。
ノア、貴方は今幸せなんですか。
あの子はそう言っていた。
わたしは自分の事を幸せだと思ってた。 ずっと。
ずっと思ってた。 辛い時でも、悲しい時でも、ヘリオだけはわたしに寄り添ってくれるって。 そう思ってた。
そして今、わたしのそばには、誰もいなかった。
そういえば、飛空挺の中で、ヘリオが何かわたしに渡してくれてたっけ。
本当に辛い時にしか開けないって約束したけど。 こんなに早く、1日もしないうちに、その時が来るなんて、思ってもみなかった。
わたしは汚れて擦り切れて、少しの血が滲んだ上着の内ポケットを探って、ヘリオに貰った平べったい箱を取り出した。 筆箱みたいだ。 慎重に包みを破いて、それを開けてみた。 中に入っていたのは、小さくて軽い、銀色の、拳銃だった。
拳銃。
ヘリオは全部知ってたんだ、わたしはその時ようやく分かった。 知ってて、わたしを誘導したんだ。 あの子は全部知ってたんだ。 わたしが神童と……お姉ちゃんにも………嵌められた事も、反乱軍の兵力が遥かに強大な事も、そしてこうなるためには、わたしの命令１つで良かった事も、あの子は全部わかってたんだ。 分かってて、わたしを止めなかったんだ。 ようやくそれが分かった。
わたしはヘリオに見捨てられたんだ。
そうだったんだ。
不思議とあの子を恨む気になれなかった。 シュラーフの本当の姿を、壁の向こうのことを、そこで貧困に喘ぐ人たちのことも、わたしの告発のせいでみんなが死んでいった事も、ヘリオは知っていたのだろうか。 知っていて、それでも、わたしのそばにいてくれたのだろうか。 それはもしかすると、あの子にとって、耐え難く辛いことだったかもしれない。 わたしは何も分かっていなかった。
ねえ、ヘリオ。 わたしはやっぱり、ここで、死ぬべきなのかな。
壁に向かって呟いてみたけど、もちろん何も答えは帰ってこなかった。
でもわたしには何となく、ヘリオが頷いた気がした。
………そうだよね。 それが正しいことなんだよね。
わたしは少しだけ微笑んでみた。 焼け爛れた頬が引き攣って痛かった。 右の眼はもうずっとこのまま見えないんだろうか。 見えないよね、焼けちゃったんだから。 死んでもこのままなんて嫌だな。 そういえば、死んだ後はどこに行くのだろう。 天国じゃないよね。 地獄かな。 それでもいいや。 無よりは。
何も無くなるよりは。
自分が生きてきた全てが嘘と偽りだって、そう思いたくなかったから。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
[26日 0:05 オドペレイトとフローラの境界近く]
私はハルカちゃんを助手席に座らせて、改造した車のエンジンをめいいっぱい鞭打って、夜の道を爆走していた。 ハルカちゃんは最初の方はしきりに、ごめんなさい、迷惑をかけてしまって、そう呟いていたけど、私はそれをやめさせた。
ー迷惑。 確かに大迷惑。 それは間違いない。 お金も貰ってないし。 私の仕事はここで終わり、それだけ。
………でも、短い時間でも一緒に旅した友達を見捨てるのは、我が家の家訓に反するの。 隣人が苦しんでいる時に、まるで他人事のように、自分が嫌な思いをしてないからって手を貸さない奴は男じゃないわ。
いや、わたしたち、女ですけど。 ハルカちゃんが小さく突っ込んできた。
この子もなかなか慣れてきたもんだ。
ー言葉のアヤってやつよ。
さて。 事態は一刻を争う。 ハルカちゃんが聞いてしまった話は、恐らく、本当だろう。 もうすぐ恐ろしいことがシュラーフの中で起こる。 それはノアちゃんと、恐らくヘリオも……巻き込んで、ふたりを呑み込んで膨れ上がる。 そして弾ける。
陸路でえっちらおっちら行ってる時間はない。
遺憾だけれど、心の底から遺憾の意を表さなければいけないけど…あのクズ男の手を借りるしかないようだった。
私は全力で車をぶっ飛ばして、フローラに急いだ。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
[26日 4:58 フローラ市街]
私は車を適当に停めて、ハルカちゃんと一緒にあの男の家に向かった。 2人とも一睡もしていないけど、不思議と疲れは感じない。 少なくとも、私たちが眠りにつくのは、ノアちゃんと、ヘリオを助け出した後のことだ。 あのクズ男の結構豪華な家の門を叩く、返事が無い。 仕方ない。 私は内ポケットから小さな銃を取り出して、先端をタオルに包んで音を立てないように蝶番を撃った。 それでようやく扉が開いてくれた。 家の中に入る、全く、なんであんなクズ野郎がこんな豪華な家に住んでいるんだろう。 自称パトロンの女の子から巻き上げた金だ。 全く。
あいつはトランクス一丁でベッドの中で眠りこけていた。 酒の瓶が山ほど転がってる。 あと大量のタバコの吸殻。 私はミカエルを、文字通り叩いて起こした。
おい、クズ野郎、早く起きて支度を整えろ。 お前が整備してた飛空挺を貸せ。 今からシュラーフまで飛ぶ。 早く、早く、早くしろ！
ー………おお神よ。 このような姿でレディを2人迎える事をお許しください。 アリア、それから皇国の小さな御嬢様、よくぞ来てくださった。 今着替えてー
着替えなくてもいいからさっさと飛空挺を出せ！
ー……………アリア。 何をする気だ。 シュラーフに行くだと。 やめておけ、あの国はもうすぐ破裂するぞ。 何のために、死ぬためにあの国に行くのか。
違います。 そう小さく、だけどはっきりと宣言したのは、ハルカちゃんだった。
ノアと、ヘリオを助けに行きます。 ミカエルさん。 お願いします。 私たちは急がなければならないんです。 貴方に御迷惑はおかけしません。 そのための手段を貸してください、お願いします、お金はありませんけど、その、わたしの臓器なら、いくらでも差し上げますから……………
ミカエルはベッドの上に座って、しっかりとハルカちゃんと、私を見つめた。
ー……ノア王女か。 それから、あの護衛。 やめておけ。 あいつらがシュラーフに行ったのなら、それは死に向かう事と同義だ。 これから何が起こるかは知らん、だが、やめておけ。 どうして自殺志願者を助ける必要がある。 アリア、ハルカ君、考え直せ。 皇国に敵対する事に繋がるぞ。 皇国の手は、広く、そして強い力を持っている。 逆らうな。 生き残れない。
このクズ、私は歯噛みしてミカエルを見つめた。
あんたの言う事は正しい。 全部正しい。 だけどあんたも知ってるでしょう、この世界には、正しいとか間違ってるとか、それだけじゃ割り切れない事がある。 あんたは、困ってる子供達を自分の保身だけのために簡単に見捨てられるの、切り捨てられるの、少なくとも昔のあんたはそんな人じゃーーーー
ー黙れ、アリア。 もう出て行け。 地下の階段から降りろ、飛空挺が隠してある、水陸両用の型だ、帝国のそれに偽装してある。 飛空挺は貸してやる、地下のシャッターを開いて少し走ったらもう海だ、そこから離陸しろ。
…………分かったわ。 ありがとう。 感謝する。
ー……………気を付けて行け。
彼女達は出て行った。 俺はベッドの上の写真立てを眺めた。 毎朝、毎晩、その習慣を欠かした事は無かった。 親父。 母さん。 妹も弟も。 みんな死んだ。 死んでしまったんだ。 弟は笑って出兵した。 母と妹はその後ろ姿を見送った。 親父は戦争のための予備役として駆り出された。 俺は従軍記者としてグラエキア軍に従事した。 誰も帰ってこなかった。 後に残ったのは燃やし尽くされた家々だけだった。 それをやったのはシュラーフの軍だった。 あの戦争を終わらせたのは皇国の力だ、力、あの圧倒的な力、兵器、兵站、そして死ねども死ねども溢れ出してくる兵士たち。
みんな死んでいった。
往きて帰りし者はなし。
俺は写真を手に持ったまま寝転がった。 ノア王女か。 14歳くらいだったか。 俺のパトロンになってもらうにはあと10年くらい経たないとな。 そういえば、妹も同じくらいの年だったっけ。 今年でもう22、3歳か。 生き続けてくれていたら。
そうだな。 俺は小さく呟いた。 写真に向かって。
俺だけ生き続けてしまったんだからな。 何か1つくらいはやらなきゃな。
俺は服を着込んで、地下室に向かった。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
[26日 5:21 ミカエル家地下 飛空挺内部]
小さめの飛空挺だったけど、速力は十分出せそうだ。 これなら十分、準備を整えて昼過ぎにはシュラーフに着くことが出来る。 だけどひとつだけ、些細な問題なのだけれど、この期に及んで私が考えてなかった問題が浮上した。
誰が運転するんだ、これ。
私は車以外は無理だ。 ハルカちゃん……論外。 さて困った。 あのミカエルのクズ野郎にはもう頼めなさそうだし……。
ハルカちゃん。 困った事になった。 運転手がいない。
ー……え、アリアさん、運転できないんですかこれ。
残念ながら免許を持ってない。 そうだな、知ってるのは、高度が落ちて墜落しそうになったら、まず飛空挺を下に向けて下降させる事だ。 普通、墜落しそうなんだから上だって思うでしょ？ これが違うんだな。 上昇に必要な速度をつけるために、一旦下に向かわないといけないんだ。 それは人間の本能に反する行為だ、だけど、これはとても大事なことなんだ、よく覚えておいて。
ー…………しっかり覚えておきます。 だけど、運転手さんがーーー
ハルカちゃんが言いかけたところで、ようやく私は、誰かが運転席に乗り込んだ事に気付いた。 結構立派なパイロット用の制服だ。 なんだあいつ。
私は椅子から立ち上がって、運転席のガラス越しに、その男を見た。
ー…おお、神よ、お許しください。 このような殺戮のための道具を再び運転することを。 未来のパトロンを助けに行くためなのです、執筆を続けるためには金が必要なのです。 仕方ないことなのです。 ………なあ、アリア。
このクズ野郎。
ちょっとだけ、ほんの少しだけど、こいつを見直した。
だけど、乱入者はミカエルだけじゃなかった。 そろそろ出発しよう、そう言う段になってようやく、私は、自分と、ハルカちゃんと、ミカエル以外に、この飛空挺に乗り込んでいる奴に気付いた。 わたしはこいつを知っている。
………やあ、南条紗奈さん。 どうしたの、ノア王女救出作戦に同行してくれるの。
どう見てもフレンドリーな雰囲気じゃなかったけど、とりあえず私はそう尋ねた。
ー………ハルカちゃんを確保しに来たんですよ。 アリアさん。 動かないで。 誰もそこから動いてはいけません。 動いたら殺します。
君1人で3人…(残りは小さな子供とクズ野郎だけど…)…を相手にできるの………
言いかけた私の頬に鋭い痛みが走って、私は軽くその部分を撫でてみた。 切れている。 投げナイフ。 いつ投げたんだ？ 全く見えなかった。
ー…私を甘く見ないで下さい。 貴方達民間人3人程度で、私の相手になると思わないでください。 アリアさん、ハルカちゃん、短い時間でしたけど、楽しかったです。 戻りましょう。 ハルカ。 貴方は皇国のものです。 ヘリオちゃんの事は確かに残念です。 もう助からないと思います。 けれど、それは貴方が気にすることじゃない。
ハルカちゃんは、紗奈さんを静かに見つめていた。
それからはっきり言った。
ー……必ず、皇国には戻ります。 ノアと、ヘリオを、助けてから。
紗奈さんはかなり苛立ってる。 刺激しないほうがいい。 こいつは、その気にさえなれば、私とミカエルくらい簡単に殺せる、そのための力も、覚悟もある。 間抜けそうに見えても、やはりこいつも南条家の一員なのだ。 あの神童のために全てを捧げる覚悟を持っている。 危険だ。 あまりにも危険だ。
ー……ハルカ。 貴方がどうしても聞かないなら、今ここでこの人たちをーーー
紗奈さんはそう言いかけて、はっとして駆け出したハルカちゃんを止めようとしたけど、もう遅かった。 わたしも止められなかった。 それほどに、ハルカちゃんの行動は、早くて、的確なものだった。 彼女は、さっき私に向かって投げられたナイフに向かって走って、その柄をぐっと引っ張って突き刺さった壁から抜いた。 そしてそれを自分の首元に突きつけた。
ー………何を、してるの、ハルカちゃん…………
ーミカエルさん、早く、飛空挺を出してください。 早く！ 紗奈さん、ごめんなさい。 貴方も巻き込んでしまって。 でもここで連れ戻されるなら、私は今ここでこのナイフを首に突き刺します、必ずそうします。 貴方も、私が死んだら困るでしょう。 だから今は大人しくしてください。 お願いです。 ノアとヘリオを助けたら、必ず私は皇国に戻ります。
………分かってます。 次に私が臓器を提供したら、それが私の最期だって。 それくらいは私にも分かります。 だけど、私は行かなければなりません。 ノアと約束しました。 それに、ルカとも約束しました。 必ずノアを助けるって。 必ず……
そして沈黙が訪れた。
私がそれを破って、口を開いた。
ミカエル。 早く出しなさい。
…紗奈さん。 私からもお願いするわ。 これが終わるまで、ハルカちゃんを自由にさせてあげて。 貴方も少しでも一緒に過ごしたのだから分かるでしょう。 この子はモノじゃない、自分の考えと、優しい心を持ってる、1人の人間なのよ。 その子が友達を助けに行くって言ってるの。 約束するわ。 皇国に迷惑はかけない。 だから今は、今だけは、私たちを自由にさせて。
彼女はしばらく何も言わなかった。 ミカエルが飛空挺を発進させても、ずっとそのまま黙っていた。 少しの間が空いてから、紗奈さんは小さく口を開いた。
ー………ハルカちゃん。 約束ですよ。 ノア王女を助けたら必ず皇国に戻る。 助けられなくても戻る。 …ヘリオの事までは、私は知りません。 これから彼女に何が起こるのか。 期限付きです。 私が貴方達を監視します。 逃げようとしたら殺します。
オーケー。 交渉成立………。
ー…………………これは個人的な意見ですが。
うん、何？？
ー……………………貴方達の事は、嫌いではありません。
運転席に座ってるクズっぽい奴のことまでは知りませんが。
おいおい、ずいぶん酷い言い方じゃないか、お嬢さん、運転席からミカエルの野郎が大声で放送を流した。 なんだ君もアリアと同じタイプか。 俺のパトロン志望だけど上手く切り出せないんだろう、なんだそう言う事か。 それならそうと早くーー
こいつはやっぱり殺してもいいかもしれない。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
[26日 15:10 シュラーフ郊外]
それで。 飛空挺がシュラーフの郊外まで到着してから、ようやく私の方から切り出した。 まあここまではとりあえず来れたわけなんだけど、問題は、ノアちゃんが今どこにいるかって事よ。
(もし今も生きてたらだけどね……)
流石にそこまでは口には出さなかったけど、正直全員同じことを感じていたかもしれない。 上空から微かに見えたシュラーフの現状は、確かに惨憺たるものだった。 唯一、街としての形をとどめているはずのちっぽけな市街ーその中心にある王宮もー全てが火に包まれていたから。 間違いなく内乱だ。
わたしはさりげなく運転席の近くに歩いて行って、クズ男に尋ねてみた。
……ミカエル。 内乱を密かに主導したのは、やっぱり皇国だと思う？
彼は暫く考えて呟いた。
ー……おそらくな。 この状況はまだ国外に漏れてない。 海上を見ただろう、皇国の戦艦がウジャウジャいる、封鎖だな。
情報を統制する意味は？
ー………さあな。 色々あるとは思うが。 確実なのは、皇国はこの内乱を利用して、シュラーフの魔晶以外にも、何かしらを狙ってるだろうって事くらいだ。
それ以上はなんとも言えんな。 アリア。 それより俺の方が聞きたい。 この状況でどうやってノア王女を探す？ そもそも生きているかどうかも怪しい。
ノープラン。
ーさいですか。 何だ、俺たちはこの滅びかけの国にピクニックでもしに来たのか？ 生憎ワインを持ってきてない。
わかったわかった。 とりあえず案を募るから。
それで。 私はハルカちゃんと紗奈さんに向き直って喋った。 ノアちゃん救出作戦なんだけど、とりあえず居場所が分からない。 不明。 何か案のある人ー。
ー………わかりません。
ー………あるわけないじゃないの 。 貴方が考えなさいよ。
まあそれは確かに。 ごもっとも。
私も考えてみた。 まあこれはノアちゃんが生きてると仮定して……あ、ごめんハルカちゃん、生きてる、絶対まだ生きてるから………(たぶん)…………今一番、ノアちゃんがいる可能性が高いのは何処だろう。 王宮、それは無い。 だって超燃えてるし。
このシュラーフのどこに、ノアちゃんがいるか。 それを考えなければ。
ー…………思想教育棟。
紗奈さんがぽつりと呟いた。
は？ なにそれ？ もう名前からしてアレな雰囲気が漂ってるけど。
ーシュラーフの強制隔離施設です。 まあ要するに反乱分子とかの収容所ですね。 可能性があるとしたら、もしかしたらそこかもしれませんね。
ほうほう。 理由を聞こう。
ー いやまあ勘ですけど。 王政への怒りに燃え盛る市民が、ノアさんとか国王を捕らえて隔離してるとしたら、自分達が最も憎んできた象徴に意趣返しとして放り込んでてもおかしく無いかなって。 それに、あれだけの暴動の中で、まだ燃えずに残ってる。 あえて残されてるのかもしれませんね。 誰かを閉じ込めておくために……
見事な推理。 素晴らしい、褒めて進ぜよう。 もちろんノアちゃんが生きてる前提だとして……あ、本当にごめん、生きてる、きっと生きてるから……(たぶん)……
じゃあ次の課題。 とりあえずこの飛空挺はここに停めるとして。 どうやってそこまで行く？ 自慢じゃないけど私は肉弾戦は全然無理、ていうか血を見るのがイヤ。 採血でも失神しちゃうレベルだから……運転席のクズ男も当然無理。 ハルカちゃんも見るからに無理。 もうちょっとカルシウムと乳酸菌とった方がいいよ。
私は紗奈さんの方をじっと見つめた。
ハルカちゃんもじっと見つめた。
運転席からミカエルも覗き込んでいた。
ー……………貴方達本当にノープランで来たんですね。 信じられない。
………まあ、ハルカちゃんに無事帰国してもらうためにも、私が何とかしまーー
「「「よろしくお願いします」」」
素晴らしい。 パーティ構成は完璧に近い。 ドナー少女、車の運転手、飛空挺の運転手、それから戦闘員。 完璧に近い。 あと王女様と護衛………護衛……………
そういえば、ヘリオちゃんはノアと一緒に居るんだろうか。
…多分それは無いだろう。 あの子は恐らく裏切った。 ノアちゃんを。
いずれにせよ、ヘリオは恐らくもう、戻らないだろう。
とりあえず市内潜入組は3人。 紗奈ちゃん先頭、私とハルカちゃんはできる限り応援する。 完璧な役割分担。 ミカエルは当然待機。 応援は3人もいらないし、ノアちゃん救出後に即座に撤退する必要があったから。
でも市街は、私の想像とは逆に、静寂に包まれていた。
燃えている。 全てが。
荘厳を誇ったに違いない寺院も。 端正な作りの家々も。
過去の栄華を謳歌した王宮も。
そして死骸。 この街に今残っているのは死骸だけだった。
軍人さんと、衛兵さんと、それから、市民。
みんな死んでいた。
ある人は頭を真っ二つに割られて。
ある人は目も、耳も、鼻も、唇も、全てを刮げ取られて。
ある人は、幼い子供ごと、その心の臓を撃ち抜かれて。
ハルカちゃん、見ちゃダメ、私はそう呟いて彼女の目をそっと覆った。
ここは地獄だ。 人の憎しみによって形取られた。 地獄は神が創り上げた地底の国なんかじゃない、きっと、それは人の心によって成り立つ国なのだ。
ー………行きましょう。 早く。
紗奈ちゃんがそう呟いて、私たちも早足で崩れた壁の向こう側に向かって歩いて行った。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
[26日 16:40 シュラーフ国内 思想教育棟 101号室]
拳銃での自殺のやり方ってけっこう難しいんだったっけ。 そんな映画をずっと昔に見た気がする。 まだ幼かったわたしは、それを観て怖くてしばらく泣いてたと思う。 そんなわたしを隣で慰めてくれたのはいつも、お姉ちゃんと、ヘリオだった。
でも今は誰もいない。 わたしはひとり。 たったひとり。
……そんな事を考えるんじゃなかった。 自殺のやり方を思い出そうとしてたんだっけ。 確か頭とか額を撃ち抜くのはダメなんだ。 たまに死にきれなくてひどい後遺症が残って生き残るかもしれないから。 どうするんだっけ。 そうだ。 口で咥えて撃ち抜くんだっけ。 それが一番確実って言ってた気がする。
みんなにまた逢いたいな。 ヘリオ。 ハルカちゃん。 アリアさん。 お父さん。 お姉ちゃん。 みんなにまた逢えるといいな。 ワインとサンドイッチを持ってみんなで旅行に出かけよう。 広い草原の真ん中に布を広げて、座ってみんなでご飯を食べよう。 酔いが回ったら歌おう。 綺麗な歌を。
わたしの罪って、死んだ後は赦されるんだろうか。
そうだといいなあ。
わたしは口を開けてー切れた唇が痛かったー銀色に光る、小さな銃の先端を咥えた。
それから、引き金に指をかけて、軽く力を込めた。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
[26日 16:35 シュラーフ国内 思想教育棟 入口]
………とりあえず思想教育棟まで歩いて来れた。 反乱軍はここには殆ど兵力を割いていないようだった。 それはそうだろう。 あれだけ国軍も衛兵も皆殺しに近い形で殺した後で、この収容所にわざわざ来るやつなんて私たちくらいしかいないだろうから。 棟の入り口に、何人か少数の見張りが立っている。
よし、紗奈ちゃん、ここは任せたぞ。
ー………本当に人任せですね、貴方。
ー紗奈さん、頑張って下さい。
ー………はいはい。
紗奈ちゃんは例の物騒な投げナイフを何本か取り出した。 それから、それを軽く投げた。 子供とキャッチボールでもするみたいに。 その動作の軽さは、それほど何の緊張も感じさせなくて、私がたまに、自然と歌を口ずさんでしまうのと同じくらいに、自然に、流れるように行われた。 その全てのナイフは彼等の脚の脛あたりに突き刺さった。 彼等はそのまま崩れ落ちて、動かなくなった。
ー即効性の筋弛緩剤を仕込んでます。 良かったですねアリアさん。 貴方の頬を掠ったのがアレだったら、貴方今頃お寝んねですから。
おお、怖。 女の子がそんな物騒なもの持ち歩くんじゃ無いよ。
ー……貴方、大体私と同い年くらいですよね。 なんでそんな上からの物言いなんですか。 まあいいです。 あいつら尋問して、ノアちゃんの居場所を吐かせましょう。
紗奈さんは物騒な事をさらりと言って、さっさと見張りの所に歩いて行ってしまった。 私たちも遅れないようについて行く。
ーお前ら、ここに王女様を監禁してるんだったら、今すぐその場所を教えなさい。 答えはまず、イエスか、ノーか。 その2択で。 ノーなら殺します。
……イエス。 1人が答えた。
ーならその場所を教えなさい。 鍵…カードキーとか…passとか…そういうのがあるならそれも一緒に教えなさい。 知らないなら殺します。
…………101、号室………鍵は、ここに…………
ーオッケー。 素晴らしい。 それから最後に1つ。 私は正直、ノア王女様とは別に知り合いじゃ無いんですけど。 まあ友達の友達みたいなものです。 何か酷い事をしていたら、申し訳ないですけど、私は貴方達を赦さないかもしれません。
…………あの、王女が、俺たちに、何を、したのか、知って、るのか。
紗奈さんは、それに対しては何も答えなかった。 だから代わりに私が答えた。
知らない。 私は正直に答えた。 それは知らない。 だけど助ける。
ノアちゃんと国王が造った地獄と、貴方達が創った地獄。
同じ地獄に何か違いがあるの？
彼は何も答えなかった。
101号室………101号室……………やばいなにここ。 広すぎ。 勘弁してほしい。
わたし達は何分か彷徨って、ようやく101号室を見つけた。
101号室。 中々皮肉の効いた名前だ。
私は鍵を差し込んで、回すのももどかしかったけど、それを回した。
(第8話おわり)
(引用)
The Prophet's Song (May)…Queen
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