異世界で京料理を食べよう！
※実在の地名、人物とは一切関係しません。
※あくまでも、創作の中の話であり、現実の話ではありません。
全てフィクションです。
※未成年の飲酒と喫煙は、法律で固く禁止されています。
(最後のお客さん 中編)
ー………京都、異世界、バー………検索っと…………。
『404 not found
お探しのページは見つかりませんでした。
もしかすると、あなたがこれを見るころには、
店主は成仏しているかもしれません。
ごめんね(＞人＜;)』
……………………………
私は名古屋に向かう新幹線の中で、そっとスマホの画面を消して、自分にしては珍しく深くため息をついた。やれやれ。ずいぶんと用意周到なことだ。…まあ、お客さんに迷惑をかけまいとする彼女なりの気遣いだと思うことにする。
店を出てから、私と王女様(ノアちゃん)はすぐに名古屋行きの新幹線のチケットを予約し、こうして京都から名古屋まで移動している。たぶん着いたら夕方だろうから、私は少し早めに2人分のホテルを予約しておく。ノアちゃんは王女様なのに財布の中に3560円しか入って無かった(毎月のバイトで得た収入から家賃と光熱費と共益費を引いて、まかない以外のささやかな食費を引くと、それしか手元に残らないのだそうだ)ので、基本的にもろもろの経費は私持ちということになった。別にそれは構わなかったのだけど、私は少しだけ王女様に同情した。貴族の生活というのも、なかなかこれで楽ではないのだ。武士は食わねど高楊枝。
私は2人がけのシートにノアちゃんと並んで座りながら、売り子さんから買った2人分のスジャータ・アイスクリームが少し柔らかくなるのを待つ間に、プレミアムモルツを飲みながら、ささやかな情報をスマホで集める。ただ、名前も年齢も不詳な店主さんの情報が簡単に引き当てられるはずもなく、それはただネットの深くて広い海の中から、小さなファインディング・ニモを1匹探し当てるのと同じくらいに無理のある試みだった。
ーちなみに、伊吹さんはさっきから何してるんですか？ 硝子の板をいじって。
硬く凍ったスジャータ・アイスクリームと格闘していたノアちゃんにスマートフォンの存在と役割を教えるべきか、私は多少迷ったが、なんとなく話がややこしい方向に行きそうな気がしたのでやめておいた。
広い広い海から、グッピーを1匹探し当てようと試みる。そんなことよ。
ーぐっぴー？
熱帯魚よ。生き様を描いて、映画にもなった。
ー凄い魚なんですね。大きいんですか？
小さいけど、カラフルでよく目立つ。性格は捉え所がなくて、ちょっと人を喰ったようなところがあるけど、本当は繊細で、他人に対する思いやりの深い魚なの。
ーとても複雑な性格のお魚ですね…。でも、きっと見つかりますよ。
私はビールを一口飲んで、それからまだスジャータ・アイスクリームが溶け始めていないことを確認してから、ノアちゃんに尋ねた。
どうしてそう思うの？
ー………探そうとする気持ちがあって、それを続けていたら、いつかきっと辿り着きますよ。
私はノアちゃんの根拠の無い言葉を、冗談だと思って少しだけ笑った。それからもう一口だけビールを飲んで、ちらりとだけ横目で見た彼女の横顔は、澄んだ真冬の湖のように、真剣で、迷いのないものだった。
一国の上に立つ人間というのは、いろいろと理解を超えた何かがあるのかもしれない。私が少しだけ感心していると、やがてアナウンスが名古屋に近づいていることを告げた。
仕事でも私用でも名古屋には何回か来たことがあったけど、なんというか、この街は捉え所が無いのだ。別に馬鹿にしているわけではなく、何が有名なのと聞かれたても、名古屋城と味噌カツくらいしか思い浮かばない(ほかにもいろいろあるんだろうけど)。魅力に溢れかえっているわけでもないけど、かといって貶すところも思い浮かばない。名古屋というのは私にとってそういうところだ。現代日本を舞台にした小説を書いていても、なんとなく名古屋は書きづらい気がして、書いたことがなかった。
ノアちゃんはたぶん人生で生まれて初めて見る現代日本に対して、ある種の驚嘆の入り混じった目で街並みを眺めている。YARISやカローラが軽いクラクションを鳴らしながらビルに囲まれた駅前の交差点を行き交い、びゅんびゅん過ぎていく。まるで、トヨタ車に生まれたことを自ら誇りに思うみたいに、車たちは意思を持って走る。やれやれ、私は運転は隣で応援する専門なんだけど、もし何かあっても名古屋では運転したくない。生きて帰れるかどうか知れたものじゃないから。
これからどうしようか？
私は自分でもよく考えずに店を出たことを、今更だけど少し後悔して呟く。別に、ノアちゃんから画期的な策が返ってくることを期待してるわけじゃ無かったけど。
ーそうですね……この世界には病院ってあるんでしょうか？
病院……あるけど、それがなんで？
ー店主さんがもし病気でお亡くなりになったとしたら、その前に病院に通ってた、あるいは入院していたかもしれません。それも、私と歳が違わないくらいで亡くなったのだとしたら、突発的で、それに重い病気。
ほうほう。
ーもし店主さんがこの辺の地方に住んでたのだとしたら、大きな病院のお世話になっていたかもしれません。めぼしい病院に聞き込んでみませんか。
なるほど。…ここ数年で東海で起こった女子高生・中学生の事故事件は新幹線であらかた調べてみたけど、どれも店主さんとは違うみたいだった。だとすると、確かにノアちゃんが言っている線もありうるのかもしれない。
…ノアちゃん、名探偵になれるかもよ。
ー探偵ですか？
そう。私もノアちゃんくらいの歳の時は名探偵と呼ばれたものだけど…。歳をとってくると、やっぱりカンが鈍くなるのよね…。とりあえず今日はご飯食べて、ホテルでめぼしい病院を調べようか。
それほど輝かしい成功の可能性に満ち溢れているとは思えなかったけれども、とりあえずやることは決まって、私はノアちゃんを連れて世界の山ちゃんに向かった。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
伊吹さんとノアちゃんが店を出た後で、僕は食器を洗って、夜のバータイムに向けた仕込みに入る。僕が氷を削って、店の中にエルトン・ジョンのRocket Manが軽やかなピアノの旋律に乗って静かに流れる。祈祷師さん…咲良さんは、ランチタイムの後の長い長い話し合いが終わっても、まだずっと部屋の隅の席に座っていた。何かを考えながら、何かに耳をそっと澄ますように静かに。僕はしっとりしたりんごのタルトを細長い長方形に切って、脇にマスカットを3粒とホイップクリームを少しだけ盛って、フェスティビティ・アイボリーのカップに濃いコーヒーを淹れて咲良さんにお出しする。
ー………ありがとう。
ご飯、食べてなさそうでしたから。すみません、気付くのが遅れて。
別にいいのよ、咲良さんはそう言うように軽く片手をひらひら振って、コーヒーを一口だけ飲んだ。
すみません、なんだか、変な話になっちゃって。
ー………別に、構わないわよ。私自身、いろいろと考えさせられることも、なくは無いから。
変わった人たちですよね。みんな…。とても、優しい人達ですけど。
ー…………でも、貴方に比べたらみんな一般人に見えるわ。
そうですね。僕はたぶん、生前からこんな感じだったと思うんで、なかなか他人と打ち解けることが無かったかもしれません。できれば、このお店に来てくださる皆さんとは、生前に逢っておきたかったです。
ー…不思議ね。みんな、普通に自分の人生を生きていたら、たぶん逢う事は無かった。でもみんな、この店に来て、そして巡り合ったの。ねえ、店主さん。
はい？
ー私、考えたことがなかったの。これまで、そういうことを。人は生きているうちに、誰かと巡り合って、それから離れていく。…それは生きているからこそ出来ることだって、ずっとそう思ってた。
……まあ、僕が言うのも何ですけど、普通そうですよね。
ーこの世に留まり続ける死者は、いずれ何らかの害を為す…。だから私たち祈祷師が、こうしてこの世界にいるの。でも、貴方みたいに、死んでなお、誰かを引き寄せて、繋ぐ幽霊もいる。…それはきっと、悪いことじゃないんだと思う。
お褒めに預かってどうも。咲良さん、貴方にとっては、難しい背反なのかもしれませんけど。
僕は氷を割り終えて、レモン・ジュースも搾り終えて、それから自分用のよく冷えたズブロッカを冷凍庫の奥から取り出して、グラスに注いでウィルキンソン・ソーダを注いで、軽やかな香りのウォッカ・ソーダをつくる。飲み物をもって祈祷師さんの前に腰掛けて、それからウォッカを口に含んだ。ちょっと桜の葉っぱみたいな、独特の草の香りが口の中をくすぐった。
ー……お酒は、ほどほどにした方がいいわよ。
身体に悪いですからね。煙草も。
ーまったく、悪びれないんだから…。生前からやってたの？
ハイ。そこはクリアに記憶してますね。お酒は1日に500ml缶を2本と、ウイスキーか焼酎をロックで2、3杯くらい。煙草は1日1箱を守り続けてますね。
ー………不良だったの？
いやたぶん、それは無いですね。デフォルトでこうなんです。
ーやれやれ…。やっぱり祓っとこうかしら。
優良納税者と言って欲しいですね。咲良さんに比べて、僕は自慢できることなんてほとんど無いですけど、たぶん所得に対してお国に納めている税金の割合という意味では、僕が圧倒的に勝ってると思いますね。
えへん。
ー…………………はぁ………………………………。
それに、まあ、2日後にお店を閉じて、身の回りの支度を整えたら、いずれにせよそれで終わりなのかもしれませんから。…2人のことは信じていますけど、さすがに、そこまで楽観的な話でも無いと思いますし。
ー………一応聞いとくけど、明後日の夜のうちがいい？ それとも、一夜明けた早朝がいい？
え、何がですか？？
ーお祓いよ、お、は、ら、い。…やりたくないけどね。もしも、もしもの事があったら、そうなるかもしれない。
ああ、そういうこと…。なら断然、早朝が良いですね。夜、店を閉めた後、音楽を聴きながら仕事終わりのお酒をのんびり飲んで、Amazonプライムで何か、昔の古い洋画を観るんです。タクシー・ドライバーとか、ブラック・レインとか、そういうのでいいです。そうしているうちに眠たくなって、うとうとしてきて、ベッドに入る。きれいさっぱり疲れと酔いが取れて、朝の日差しとともに目覚めて、そうしてお祓いされて消えていきたいですね。望みが叶うなら。
ー…………わかったわ。出来る限りそうする。しあさっての朝。…そんな朝、迎えなくてよくなることを、祈っているけど。
神に祈るように。
ーそうね。神様に、お祈りするように。
バータイムまでいらっしゃいますか？ 僕がそう聞くと、祈祷師さんは小さく首を横に振って、お別れを告げた。
ーまた明日も来るわ。…ゆかいな2人組からの進捗も聞かなきゃいけないし。
僕は『ゆかいな2人組』のことを考えてみる。伊吹さんとノアちゃんは、もうたぶん名古屋に着いた頃だろうか。きっと今頃、あのいまいましい味噌カツやら手羽先やらを食べて、良い感じに盛り上がってくれていることを祈りたい。目的が果たせなかったとしても、せめて楽しんで帰ってきて欲しいから。……そういえば、ノアちゃんに旅費を渡すのを完全に忘れていたけど、手持ちでやっていけるのだろうか。
ありがとう。明日はちゃんと、ランチ作りますから。そういえば。
ーなに？
しあさっての朝にお祓いされるのなら、どうも僕は1日長生きしたみたいですね。
僕は桜さんの間違いを軽くからかうために、そう伝えた。
ー…………明後日の夜の、その次の朝だから、しあさってで合ってるわよ？
えっ？
ー…えっ？
それは、ほんのちょっとした、認識の齟齬のようなものだった。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
名古屋に着いて、その翌日の朝11時過ぎ。マリオット・ホテルの一室で私は目を覚まして、まず時計を見て寝坊したことを確認して、それから部屋を見渡して、地獄…というほどでもないけど、そこそこの惨状を晒している部屋の中を確認した。結局、昨日何軒の店を回ったのか、途中から記憶に無い。私が最後に記憶しているのは、夜の1時過ぎに名古屋駅内の24時間営業の居酒屋で、ノアちゃんと鉄火巻きについて話し合ったところまでだ。たくさんのビールを飲んで、焼酎を飲んで、ハイボールを飲んで、日本酒の熱燗で乾杯して、それからこの部屋の中にはハイネケンの空き缶が1ダースと、それから赤霧島の空き瓶が1本と、半分ほどに減った赤ワインの便が机の上に置いてあった。その机の下で、ノアちゃんが転がっていた。たとえが悪いのはわかっているんだけど、それは本当に死体が転がっているようにも思えた。私はさすがに焦ってノアちゃんの側に近づいて、彼女が青白い顔で荒い呼吸を小刻みに繰り返しているのを確認して、とりあえず自分のやるべきことを理解した。
私は救急車を呼んだ。 急性アルコール中毒っぽい女の子が部屋の中で倒れている、という説明をすると、スマホの向こうで電話に出てくれた病院の人は、何も言わずに救急車を手配してくれた。やれやれ。
私は救急車が来る前に、ノアちゃんに水を飲ませて、それからその身体を支えてトイレに案内した。扉を閉めて熱いコーヒーを淹れていると、その中からこの世のものとは思えない悲惨な音が聞こえてきたので、私は何も聞かなかったことにしようと思った。それがお互いのための最善の選択なのだと思いたい。
結局、数十分後に救急車がやって来て、私はノアちゃんに肩を貸して、連れ添ってその中に入った。冷静になって思い返すと、大人として相当申し訳ないことをしている上に、私の立場は極めて微妙と言わざるを得なかった。どう考えても悪いのは私の方だし、それに未成年とお酒を飲むという行為は、この日本という国の法律に照らし合わせると、やはり『多少なりとも』問題があるはずだ。ノアちゃんのお国の法律(お酒は14歳で合法になるらしい)が通用するとも思えないし、彼女の身分を証明するものも無かった。平たく言うと、この状況下では、私とノアちゃんは犯罪者ということだった。やれやれ。自分の小説の中ではやりたい放題書けるけど、いざ現実でこういうことが起こってしまうと、正直なところかなり危ういものだ。
…この子の容態、どうですか？
私は付き添いの、看護師さんか女医さんかよくわからない、白衣を着た女の人に聞いてみる。
ー………急性アルコール中毒の一歩手前ですね。平たく言うと、ものすごくアルコール中毒に近い二日酔いです。
でも、ギリギリで留まってる。
ー………ギリギリで、ね。 私としてはむしろ、貴方が何をしていたのか、なぜこういうことになっているのかを聞きたいですね。それと、この場で警察を呼ぶべきかどうかについて、判断を仰ぎたいところですが。
私にそれを決める権利があるなら、ノーと言うけど。
ー………でしょうね。この子、高校生ですか？
いや、王女様ね。よその国の…。
ー……………はあ。
本当なの。いろいろあって、この子が今この国でバイトしてるお店…幽霊がやってるんだけど…が取り潰されそうなの。変な祈祷師にお祓いされちゃいそうなの。それを阻止するために、わざわざ私たちは名古屋まで来て、それでちょっと、羽目を外しすぎちゃったのね。
ー………………薬ですか？
え？ 私は特に体調悪く無いけど？
ーいえ、その、気分が良くなる粉でも吸ってらっしゃいます？
いや、そういうのじゃなくて。真実なの。信じ難いかもしれないけど、私はできる限りありのまま、真実を語ってるの。
私が真剣味を込めてそう言うと、看護師さん？は肩の横で手を広げて、やれやれ、そう小さく呟いた。
ー……まあ正直に言って98パーセント信じてませんけど、未成年にお酒を飲ませるのは違法なんですよ。知ってます？ 少なくとも、この国では。
…………はい。
ー………前にも、貴方みたいな人がいました。決して悪い人ではないと思いますけど。緩和ケア病棟に移っていたお友達の患者さんの所に、煙草の箱と、ウイスキーと、お弁当を持ってお見舞いに来たんです。その患者さんは未成年の、高校生でした。さすがに煙草とウイスキーは、その場では飲まなかったみたいですけど。私は正直に言って、どうしたものか迷いました。その人の面会を止めるべきかについて、真剣に。
……それで、貴方はどうしたの？
ー止めませんでした。………その2人は、血の繋がった家族ではありませんでした。赤の他人、友達か、ないしは知り合いか。……けど、なんというか、その、穏やかで、信頼が通う空気があったんです。その2人の間に。それがどういう関係であったとしても、2人が最期に逢うのを止めてはいけない、そんな気がしたんです。……脱線しましたけど、つまり、何が言いたいかというとですね。私個人としては、貴方と、今ここで横たわっている王女様？が、成人と未成年という年齢の違いがありながらもお酒を酌み交わす仲であるというなら、それは別に否定しません。違法ですけどね。けれど、誰かを酔い潰れさせて、急性アルコール中毒に陥れることは、決して許された行為ではありません。それはわかりますね？
…………はい。
私は真剣に反省していたこともあって、深々と頭を下げた。たしかに、みんながみんな、アリアちゃんやヴェリズモ君のような存在とは限らないのだ。物事には、超えてはいけない一線もある。私は自分でも珍しいと思うほどに、そのことを痛感していた。現実と小説は、限りなく似ていて、それでも決定的に違うものなのだ。
ー……………通報するかどうかは、王女様の回復を待ってから、私が決めます。
…それでいいわ。貴方に任せる。ただ………
ーただ？
私の頭は、急速にぐるぐる回り始めていた。今更になって二日酔いが来たわけではない。何かがひっかかる。何か、何か、今までの話の何かが………
教えて欲しいの。さっきの話を。
ーえ？
緩和ケア病棟にいた、女子高生の患者さんと、そのお見舞いに来た人の話を。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
何かがずっと、私の頭の中でひっかかっている。
店を出て、出町柳の駅まで歩く途中でもずっと、私はそのことを考えていた。
…しあさっての朝。明後日の朝。
それは、店主さんとの、ほんの些細な認識のズレなのかもしれない。けれど、そのズレは、何故だかずっと私の頭の中をぐるぐる回っていた。
……まあ、特に大したことじゃないかもしれないけど。
私は小さく独り言を呟いて、それから小説家さん…伊吹さん…にLINEを送る。あの自称王女様と小説家のコンビは全く信用出来ないけど、それでも、少なくとも今は、同じ目的を持った仲間だと……そう信じたい。
だから私は、ほんの些細な兆しを、彼女達に伝えることに決めた。
(後編につづく)